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復讐のスキル・イーター  作者: 鷲尾秋水
王都簒奪編

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第32話:死の罠と幻惑の迷宮

暗殺教団の地下墓所(カタコンベ)、第二層。

永遠に続くかと思われた螺旋階段を下りきった俺たちを待ち受けていたのは、第一層とは比較にならないほど濃密な「死の気配」だった。

空気は氷室のように冷たく、ひどく乾燥している。肺に吸い込むたびに、微かな鉄の匂い——何百年も前に染み付いた古い血の匂いが鼻腔を突いた。


「……ここからが本番のようですね。お二人とも、私の足跡を正確にトレースして歩いてください。数センチのズレが命取りになります」


先頭を歩くセリアが、極度の緊張状態のまま振り返らずに告げた。

彼女の目は暗闇に完全に順応し、石畳の僅かな色の違い、空気のわずかな流れ、そして壁に刻まれた古代文字の魔力残滓を鋭く読み取っている。


「ストップ」


突如、セリアが右手を挙げて歩みを止めた。

俺とシルヴィアもピタリと静止する。俺の【気配察知】にも、シルヴィアの魔力感知にも、何も異常は感じられない。ただの、カビ臭い石造りの通路だ。

セリアは腰を屈め、床スレスレの空間に顔を近づけた。そして懐から香炉のような小さな筒を取り出し、微量の煙を前方の空間に吹きかける。


「……っ」


シルヴィアが息を呑んだ。

煙が空中に漂った瞬間、何もないはずの空間に、蜘蛛の糸よりも細い『無数の魔力線』が幾重にも交差しているのが浮かび上がったのだ。通路全体を覆う、不可視のレーザー網のような罠だった。


「【魔力励起】の結界糸です。術者の魔力に反応して起動する極めて悪辣な罠。シルヴィア様のような規格外の魔力を持った方が不用意に近づけば、呼吸の魔力漏れだけで引火し……通路の壁に仕込まれた強酸のガスが噴出すると同時に、天井が崩落して私たちを押し潰す仕掛けになっています」


「息をしているだけで発動する罠……。私、全く気づかなかったわ」


「当然です。これは魔物を狩るための罠ではなく、『人間(魔導士)を暗殺するため』に特化した教団の秘術ですから」


セリアはそう言うと、細いピンセットのような専用の暗器を取り出し、複雑に絡み合った結界糸の『結び目』にあたる空間の歪みを、一つずつ、慎重に解いていく。

額には玉の汗が浮かんでいるが、その手つきには一切の迷いがない。糸が切れるたびに、パチン……パチンと、静電気のような微かな音が響いた。

数分後、空間を覆っていた不可視の網が完全に消滅した。


「解除、完了しました。進みましょう」


「見事だ、セリア。お前がいなければ、俺は強酸のガスを黒霧で防げたとしても、生き埋めになったシルヴィアを掘り起こすハメになっていた」


「ふふっ、本当にそうね。私なんて最初の罠で串刺しにされていたかもしれないわ。ありがとう、セリア」


俺とシルヴィアからの惜しみない称賛を受け、セリアは「もったいないお言葉です」と深く頭を下げた。だが、その仮面の下にある表情が、蕩けるような喜悦に満ちていることを俺は知っている。


(ああ……クロウ様。シルヴィア様。私のような者の技術を、これほどまでに頼りにしてくださるなんて……!)


セリアの胸の奥で、かつてのトラウマが急速に塗り替えられていく。

見捨てられるための斥候ではない。最強の主を守り、導くための『先導者』。その絶対的な自己肯定感が、彼女の暗殺者としての才能をさらに開花させていた。

◆ ◆ ◆

さらに迷宮の奥へ進むと、通路が開け、巨大な石柱が何本も立ち並ぶ広大な広間へと出た。

かつて教団の儀式が行われていたであろうその場所は、不気味なほどに静まり返っていた。

だが、広間の中央に差し掛かった瞬間。

セリアが両手に短剣を抜き放ち、クルリと俺たちの方を振り返った。


「クロウ様、シルヴィア様。背中合わせに陣形を。……『影』が来ます」


セリアの警告と同時だった。

広間を埋め尽くす数十本の巨大な石柱。その石柱が落とす『影』の中から、ドロリとした漆黒の泥のようなものが這い出してきた。

それは次第に人間の形を成し、ボロボロの暗殺装束を纏ったアンデッドへと姿を変える。影から現れた死霊の暗殺者——『シャドウ・ワイト』の群れだ。その数はざっと三十体を超えている。


『ァァ……ギィィィッ……』


生者の温もりを憎む亡霊たちが、音もなく壁や天井、床の影を這い回り、俺たちを完全に包囲した。


「厄介ね。物理的な実体が薄いから、普通の武器はすり抜けるわ。私が魔力で一帯を凍らせる?」


シルヴィアが『絶対零度の魔杖』を構える。だが、セリアがそれを制した。


「お待ちを。この広間の石柱は、上の階層を支える要石(キーストーン)になっています。シルヴィア様の魔法で柱を破壊すれば、墓所全体が崩壊する危険があります」


「なら、俺が一体ずつ黒霧で喰らおう。少々時間はかかるがな」


「……いえ」


セリアは俺の言葉を遮り、両手の短剣をシャドウ・ワイトの群れに向けた。


「クロウ様とシルヴィア様は、そのまま少しだけ魔力を放出してください。奴らを惹きつける『極上の囮』として。……ここは、私の獲物(狩り場)です」


「ほう?」


俺は面白そうに口角を上げ、大剣を地面に突き立てて腕を組んだ。シルヴィアも意図を察し、杖を下ろして背中合わせに立つ。


「いいだろう。俺たちを囮に使え、セリア」


クロウからの全幅の信頼。その言葉は、セリアにとって何百のバフ魔法よりも強烈な力を与えた。


『ギシャァァァァッ!!』


巨大な魔力の塊である俺たちに狙いを定め、三十体以上のシャドウ・ワイトが一斉に影から飛び出し、四方八方から襲いかかってくる。

だが、セリアは動じない。彼女は深く息を吸い込み、両手の短剣をクロスさせるように構えた。


「【幻惑魔法】——『深淵の万華鏡(アビス・カレイドスコープ)』」


空間が、文字通り『割れた』。

セリアを中心にして放たれた強力な幻惑の波動が、広間全体の空間を万華鏡のように歪め、屈折させたのだ。


『!? ギ、ガァ……?』


襲いかかってきたシャドウ・ワイトたちが、空中で唐突に動きを止めた。

彼らの視覚と魔力感知は完全に破壊されていた。彼らの目には今、三十人のクロウ、三十人のシルヴィア、そして上下左右が完全に反転した狂った世界が映し出されている。

アンデッドたちが虚空を切り裂き、仲間同士で衝突し、混乱の極みに陥る中。

唯一、真実の視界を持っているセリアが、本物の『影』に溶け込んだ。


「一人」


虚空を彷徨うワイトの背後に音もなく顕現したセリアが、その首元に短剣を突き立てる。魔力を纏った刃が、アンデッドの核である魔石を正確に砕いた。


「二人、三人」


流れるような身のこなし。壁を蹴り、柱の影から影へと跳躍しながら、混乱するワイトたちの死角から次々と致命の一撃を放っていく。

一切の無駄がない。足音も、剣を振るう風切り音すらも、全てが幻惑の魔法によってかき消されている。

ただ、アンデッドが霧散していく微かな音だけが広間に響き続けた。


「……美しいわね」


背中合わせのまま、シルヴィアが感嘆のため息を漏らした。


「ああ。暴力でねじ伏せる俺たちとは対極にある、完全な『静の殺意』だ。……俺の目に狂いはなかった」


俺たちがその死の舞踏を鑑賞している間に、事態は最終局面を迎えていた。

群れのリーダー格である一際大きなシャドウ・ワイトが、幻惑を強引に振り切り、無防備に立っている俺の背後へ向けて特攻を仕掛けてきたのだ。


「クロウ、後ろ!」


シルヴィアが叫ぶ。だが俺は大剣を抜かず、振り返りすらしなかった。

なぜなら、俺の頭上の暗闇から、既に『彼女』が落下してきていたからだ。


「——私の『神』に、汚い手で触れるな」


冷徹な宣告と共に、天井から降下してきたセリアの両足が、リーダーのワイトの肩を強引に挟み込んだ。

そのまま遠心力を利用してワイトの巨体を地面に叩きつけ、同時に両手の短剣を、亡霊の眼窩に深く、脳天の魔石まで一息に突き刺した。


パキィィィィンッ……!!


最後の魔石が砕け散る音と共に、幻惑の結界が解け、広間は再び静寂に包まれた。

三十体以上いたアンデッドの暗殺者たちは、俺とシルヴィアが指一本動かすことなく、全てセリア一人の手によって全滅させられていた。


「殲滅、完了しました」


僅かに肩で息をしながら、セリアが短剣の汚れを払い、俺の前で跪く。


「見事だ。お前はもう、ただの斥候じゃない。世界に名だたる暗殺者たちにも引けを取らない実力だ」


「勿体なきお言葉。……全ては、クロウ様が私に与えてくださった力のおかげです」


セリアは仮面の奥で、至上の喜びに打ち震えていた。

広間を抜け、さらに奥へと進むと、やがて空気が一段と重く、冷たく変わるのを感じた。

通路の突き当り。そこには、禍々しい呪いの鎖で幾重にも封印された、巨大な『黒鉄の双扉』がそびえ立っていた。


「……この奥から、途方もない魔力と呪いを感じるわ」


シルヴィアが魔杖を強く握りしめる。


「ここが最下層。暗殺教団の長が眠る『霊廟の間』だ」


俺の言葉に、セリアも短剣を構え直し、静かに頷いた。

この扉の奥に、彼女を最強の暗殺者へと至らしめる『幻影の双剣』と、それを護る最凶の亡霊が待ち受けている。

俺たちは顔を見合わせ、重い呪いの扉へと手をかけた。

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