第25話:氷の魔女の覚醒と、三つ目の仮面
王都から北へ数日。
極寒の地へと向かう罪人護送用の粗末な馬車の中で、シルヴィアは虚ろな目で床を見つめていた。
両手首にはめられた重い『魔力封じの枷』が、皮膚を擦り剥いている。だが、それ以上に彼女の心は痛ましく引き裂かれ、血を流し尽くしていた。
(国のために……お父様のために、私は……)
正義を信じていた。自分が泥を被ってでも、国を蝕む悪を絶てば、いつか父も民も分かってくれると信じていた。
だが、現実はどうだ。勇者と腐敗貴族の嘘がまかり通り、実の父親にすら冷酷に切り捨てられた。
自分の人生は、信念は、いったい何だったのだろうか。
全てが馬鹿らしくなり、シルヴィアの瞳から最後の一滴の涙がこぼれ落ちそうになった——その時。
『——な、なんだこの霧は!?』
『前が見えん! 止まれ、馬を止めろ!』
馬車の外から、護送の騎士たちのパニックに陥った声が響いた。
同時に、外の光を完全に遮断するような『漆黒の闇』が馬車の窓を覆い尽くす。
「……霧……?」
シルヴィアの脳裏に、あの夜、王城の自室で見た絶対的な闇の記憶がフラッシュバックする。
直後、ドンッ! という重い打撃音と共に、外から悲鳴が連続して上がった。
『ヒッ、なんだこいつら——ぐはぁっ!』
『化け、物……!』
悲鳴は数十秒で完全に途絶えた。
静寂が訪れた後、バキィッ! という破壊音と共に、分厚い鉄板で補強されていた馬車の扉が、紙切れのように引き剥がされた。
「迎えに来たぞ、元・王女殿下」
漆黒の霧を背負い、夜の闇そのもののような黒コートを翻して。
骸骨の仮面を被った男——クロウが、悠然と馬車の中を覗き込んでいた。その背後には、同じく仮面を被ったセリアが、気絶した護送兵たちの山の上で静かに傅いている。
「クロウ……なぜ、貴方がここに……」
「国はもうお前をいらないそうだ。なら、俺が拾ってやると思ってな」
クロウは馬車に乗り込むと、シルヴィアの両手首を拘束している魔力封じの枷を掴んだ。
鍵穴など無視し、彼が規格外の【筋力強化】で両腕に力を込めると、頑強な特殊合金の枷がメキメキと音を立て、飴細工のように引きちぎられた。
「あ……」
抑え込まれていた魔力が、シルヴィアの体内にドクンと蘇る。
「お前は正しくあろうとして、全てを失った。なら、これからは間違えてみろ」
クロウは、呆然とするシルヴィアの前に手を差し出した。
「世界がお前を捨てるなら、俺たちの闇に来い。あの腐りきった勇者どもに、極上の地獄を見せてやろうじゃないか」
その言葉は、どんな甘い慰めよりも、今のシルヴィアの乾ききった心に深く染み渡った。
正義も、王家の誇りも、もう何の意味もない。残っているのは、自分を陥れた勇者たちへのどす黒い憎悪だけ。
そして目の前の男は、その憎悪を共に喰らい尽くしてくれる絶対的な『力』を持っている。
「……ええ。そうね」
シルヴィアは、静かに笑った。
王族としての優美な微笑みではない。全てを捨て去った、冷たくて美しい狂気の笑み。
彼女がクロウの手を強く握り返した瞬間——。
彼女の体から限界を超えた【氷魔法】の魔力が爆発的に吹き荒れた。
パキィィィィンッ!!
シルヴィアを中心に広がった極低温の冷気が、護送馬車を、周囲の木々を、地面を、一瞬にして分厚い氷で覆い尽くす。それは、王女としてのしがらみから解放され、本来の力を取り戻した『氷の魔女』の産声だった。
「いい魔力だ。……これを被れ」
クロウが懐から取り出したのは、彼らと同じ、漆黒に塗られた『三つ目の仮面』だった。
シルヴィアはそれを受け取ると、躊躇うことなく自分の顔に被った。
「これからは、私もあなたたちの共犯者。……よろしく頼むわね、クロウ、セリア」
王都の光を追放された姫君は、こうして闇の深淵へと舞い降りた。
勇者への復讐を誓う、最強の『仮面の三人組』がここに誕生したのだ。




