第23話:氷姫への刺客と、勇者の二段構え
地下金庫を空っぽにされた翌日。
王都の高級サロンの密室で、バルド侯爵は血走った目で勇者アルスにすがりついていた。
「勇者様! 頼みます、どうかあの帳簿を取り返してくだされ! あれが王家の手に渡れば、私だけでなく、勇者様のこれまでの横領や奴隷の売買まで全て公になってしまいますぞ!」
「チッ……使えねぇ豚だな。だから言ったはずだ、証拠が残る紙の帳簿など燃やしてしまえと」
アルスは忌々しそうに舌打ちをしながら、爪を噛んだ。
「十中八九、あれを盗んだのは第一王女の手の者だ。あの女、最近俺に対する目が特に冷ややかだからな」
「で、ではどうすれば……!?」
「……消すしかないな。王女を、帳簿ごと」
「なっ!? い、いくらなんでも王族を暗殺するなど——」
「やるんだよ。お前が懇意にしている裏の暗殺ギルドに、全財産を叩いて『最高ランクの部隊』を雇え。俺が近衛兵の警備網に意図的な『穴』を作ってやる」
アルスの狂気を孕んだ目に、バルド侯爵はただ震えながら頷くしかなかった。
◆ ◆ ◆
その夜。
王城の深部、シルヴィアの私室。
窓の外には土砂降りの雨が降り注いでいた。
(……来るわね)
シルヴィアはドレスのままベッドに腰掛け、掌に鋭い氷の刃を生成していた。
裏帳簿を奪った以上、勇者派が口封じに動くことは彼女も想定済みだった。だが、彼女の予想を遥かに超える数の『気配』が、窓や扉の向こうから迫っていた。
「数、およそ二十。全員が魔力持ちの凄腕……勇者も、本気で私を殺しに来たのね」
音もなく窓が割れ、黒装束の暗殺者たちが雪崩れ込んでくる。
シルヴィアが氷の魔法を放とうとした、その瞬間。
「——遅いな。待ちくたびれたぞ」
部屋の隅の影から、漆黒の【黒霧】が爆発的に膨れ上がった。
「なっ!? 霧……!?」
「前が見えねぇ!」
突如として視界と音を奪われた暗殺者たちがパニックに陥る。
その絶対の闇の中を、俺とセリアは水を得た魚のように躍動した。
「セリア、一匹も逃がすな」
「御意」
セリアの【幻惑魔法】が霧の中で発動し、暗殺者たちは同士討ちを始める。
その隙を突き、俺は【敏捷強化】で一気に距離を詰め、骨の大剣で暗殺者たちを次々と両断していく。
血飛沫が舞い、骨が砕ける。Aランク魔物すら切り伏せる俺の暴力の前に、人間の暗殺者など赤子も同然だった。
「ひぃっ、化け物……!」
「逃げろ! 話が違——」
絶叫は長く続かない。
ものの数十秒で、部屋に侵入した二十人の精鋭暗殺者は、誰一人として逃げることなく物言わぬ肉塊へと変わった。
黒霧を晴らすと、血だまりの中に立つ俺たちを見て、シルヴィアが呆然と息を吐く。
「すごい……たった二人で、これほどの数の精鋭を……」
「大した連中じゃなかったな。裏帳簿は俺の【収納袋】に入れたままだ。これで奴らは手出しできま——」
俺が剣の血を振り払った、その時だった。
バンッ!! と、部屋の扉が乱暴に蹴り破られた。
「——そこまでだ、逆賊ども!!」
部屋に雪崩れ込んできたのは、重武装の近衛騎士たち。
そしてその後ろから、勝ち誇ったような、酷薄な笑みを浮かべた勇者アルスが姿を現した。
「ユ、勇者アルス……!? なぜ貴方がここに」
「王女殿下の部屋から悲鳴が聞こえたものでね! 駆けつけてみれば……なんと、王女自らが怪しげな賊を城に引き入れ、密談の相談をしていたとは!」
アルスの言葉に、シルヴィアの顔から血の気が引く。
暗殺者たちを差し向けたのは、彼女を殺すためだけではない。もし暗殺が失敗したとしても、「王女が正体不明の賊(暗殺者)と密会していた」という事実をでっち上げ、反逆罪を被せるための『二段構えの罠』だったのだ。
近衛騎士たちが、一斉に俺たちとシルヴィアに剣を向ける。
証拠の裏帳簿は今、得体の知れない「仮面の賊(俺)」が持っている。状況は最悪に思えた。
「ここは引くぞ」
俺はシルヴィアに小声で告げ、背後の窓を指差した。
「俺の足ならお前を抱えて逃げ切れる」
だが、シルヴィアは唇を噛み締め、首を横に振った。
「駄目よ……私が逃げれば、父様への反逆を認めたことになる。王家の名誉を、この私自身の手で汚すわけにはいかない……っ」
彼女は自らの氷の刃を消滅させ、両手を前へ突き出した。
「私は逃げない。無実を、父様の前で証明してみせるわ!」




