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午前2時の巡回記録には、居ないはずの入居者がいる。  作者: 葉山 乃愛


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――第3話:暗闇のチャットログ――

 ドクン、と心臓が強く脈打つ。



 スマートフォンの液晶が放つ

青白い光だけが、

静まり返った暗黒の廊下で、

俺の顔を冷たく照らしていた。



 画面に表示された、渡辺からの写真。

 ドロドロに腐りかけた足元に散らばる、

見覚えのある古い事故報告書。


 それは、今日の夕方、

俺が確かに自分の手で細断したはずの、

数年前の隠蔽された書類だった。



「……あり得ない」


 俺は思考を高速で回転させる。

 渡辺は体調不良で欠勤したはずだ。

 だが、このメッセージが本物なら、

奴は今、この施設の中にいる。

 存在しない『305号室』のベッドの下に。



 画面をスクロールし、

俺は震える指先で文字を打ち込んだ。



【俺】:

渡辺、落ち着け。お前は今どこにいる?

そこは3階なのか?

その写真はどこで撮った?



 送信ボタンを押す。

 既読は――つかない。



 もし渡辺の言う通り、

『キクチ』という怪異が、

チェックシートに名前を書き込むことで

次の被害者を「担当」として

引きずり込もうとしているのだとしたら。


 さっき、2時ちょうどの欄の

『305号室』の横に、

俺の筆跡でレ点を入れたのは誰だ?


 俺自身が、無意識のうちに

怪異の片棒を担がされているのか?



 バサリ、と暗闇の中で

紙が擦れる音が聞こえた。



 音がしたのは、前方――

廊下の突き当たりにある『リネン室』だ。

 普段はシーツやタオルを保管する、

窓のない狭い部屋。

 そのドアが、ゆっくりと

数センチだけ開いている。



 足元を見れば、あのツンとした

次亜塩素酸ナトリウムの白い足跡が、

リネン室のドアの隙間へと、

真っ直ぐに吸い込まれるように続いている。



「……行くしかないか」


 ここで引き返して事務所に籠もっても、

次の4時の巡回が来れば、

またチェックシートの矛盾に直面する。

 期待値を計算するなら、

まだこちらの体力が万全で、

状況がこれ以上悪化していない今、

情報のソースを叩くのが最善だ。



 俺はスマートフォンのライトを点灯し、

光の筒で闇を切り裂きながら、

一歩一歩、リネン室へと近づいた。



 ドアノブに手をかける。

 ひんやりとした金属の冷たさが、

手のひらから心臓へと伝わる。


 意を決して、ドアを押し開けた。



 カサカサカサカサッ!



 ライトの光の中に飛び込んできたのは、

棚から床一面にぶちまけられた、

大量の紙切れだった。


 細長く裁断された、シュレッダーのクズ。

 それが、生き物のように蠢きながら、

部屋の中央で一つの形を結ぼうとしている。



 床に散らばる細長い紙切れの数々に、

懐中電灯の光を当てる。

 そこに印刷された文字が、

細切れになりながらも目に飛び込んできた。


『死亡原因:誤嚥による窒息』

『発見者:菊池きくち

『措置:施設長指示により不記載とする』



「……これ、は……」


 脳裏に、数年前に噂で聞いた

施設の黒い歴史がフラッシュバックする。

 当時、この施設には『菊池』という、

仕事の割り振りに異常なこだわりを持つ、

偏執的な夜勤専門のベテラン職員がいた。


 だが、ある夜、彼女の担当フロアで

凄惨な事故が起き、

その直後に菊池は突然姿を消したという。



 怪異の正体は、幽霊なんかじゃない。

 正しく処理されず、

闇に葬られた『未完の記録』そのものだ。



 カチ、カチ、カチ。



 背後で、静かな音が響いた。

 それは、事務用のノック式ボールペンを

連打する音。



 振り返ると、リネン室の

一番奥にある、普段は使われていない

古い木製の机の前に、

背中の丸まった人影が座っていた。


 緑色のポロシャツ。

 ドロドロに濡れた、白く濁った肌。


 それは、ゆっくりとこちらを振り向く。



「……あ、大内おおうち先輩……」



 ライトの光が照らし出したのは、

血の気の失せた顔でガタガタと震える、

後輩の渡辺の姿だった。



 だが、何かがおかしい。

 奴の手元には、

あの『深夜巡回チェックシート』が握られている。

 

 渡辺は狂ったような笑みを浮かべ、

ボールペンをシートに突き立てながら、

掠れた声で呟いた。



「先輩、見つけました。

305号室の、キクチさんの次の担当……

僕じゃなくて、大内先輩の名前に書き換えたら、

僕、おうちに帰れるって、キクチさんが……」



 渡辺が掲げたシートの一番下。

『305号室 キクチサエ』のすぐ横の

『4:00』の欄に、

俺の名前『大内』の文字が、

無数のレ点で真っ黒に塗り潰されながら

刻まれようとしていた。


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