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午前2時の巡回記録には、居ないはずの入居者がいる。  作者: 葉山 乃愛


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15/16

――第15話:0号室の原簿(オリジン)――

 法人発祥の地、『ひだまりの本館』。



 築40年を超える鉄筋コンクリートの建物は、

夜の闇の中で、まるで沈黙する巨大な墓標のように

そびえ立っていた。


 定員100名。この地域で最大規模を誇る老舗施設であり、

先ほど俺たちが打倒した理事長が、

すべての『偽りの記録』を開始した元凶の場所だ。



「大内統括主任。こちらが本館の地下へと続く、

図面から抹消されていた隠し階段です」


 高城主任が懐中電灯の光で、

リネン室の奥にある重厚な鉄扉を照らし出した。

 その胸元には、先ほどシステムから自動発令された

『統括主任』の新しい辞令が白く光っている。


 俺を支える彼女の視線には、かつての冷徹さに加え、

戦友に対する絶対的な信頼が宿っていた。



「大内先輩! 本館の夜勤帯のスタッフたちの

安全は確保しました。全員、1階のロビーで

ぐっすり『眠らされて』いますが、バイタルは正常です!」


 後方から、無線機を握りしめた渡辺が駆け寄ってくる。

 かつて怯えて泣いていた後輩は、今や100人規模の施設でも

冷静に状況を把握できる、一流の夜勤職員の顔になっていた。



「よし。園崎さんは?」


「いつでもいけますわ」

 園崎が闇の中で、巨大な穴あけパンチをカチリと鳴らす。

「本社の監査データと本館の契約書、すべて照合を終えました。

この地下に眠っているのは、単なる架空請求のデータではありません。

この法人が設立された瞬間に生み出された、

すべての『隠蔽された命の記録』ですのよ」



 四人で鉄扉を押し開け、湿った地下階段を降りていく。

 ツンと鼻を突く強い塩素の臭い。

 だが、今回はそれだけではない。

 古い紙がカビたような、そして、無数の人間の『ため息』が

何十年も積み重なったような、重苦しい空気が肌に纏わりつく。



 最深部にあったのは、錆びついた真鍮のプレートが掲げられた

木製のドアだった。そこに刻まれた文字は――『 0 号 室 』。



「定員100名の施設に、存在してはならない0番目の部屋か」


 俺はドアノブに手をかけ、一気に引き開けた。



 室内に広がっていた光景に、全員が息を呑んだ。


 そこは、無数の『黒いファイル』で埋め尽くされた空間だった。

 壁という壁、床から天井に至るまで、びっしりと

過去40年分の「死亡退所届」や「事故報告書」が敷き詰められている。

 そして部屋の中央には、かつて『ひだまりの家』の305号室で

見たものと同じ、白い結晶でできたベッドが置かれていた。



『……よく……ここまで……来ましたね……大内さん……』



 部屋の奥の闇から、無数の紙片が擦れ合うような音が響く。

 現れたのは、白いポロシャツを着た、輪郭の曖昧な影。

 キクチサエ――いや、違う。

 その胸元の名簿には、無数の異なる名前と顔が、

パラパラ漫画のように超高速で切り替わり続けていた。



「あんたは……この施設で亡くなり、無かったことにされた

すべての入居者たちの『総意』か」


 俺はバインダーを強く抱きしめ、影を見据えた。



『私たちは……ただの数字として……処理された……。

黒字経営のための……穴埋めデータ……。

この法人が続く限り……私たちは永遠に……

深夜2時の記録の中で……徘徊し続けるのよ……』



 その瞬間、部屋中の黒いファイルが一斉に開き、

猛烈な勢いでページが捲れ始めた。

 文字が、インクが、濁流となって床を這い、

俺たちの足元を浸食していく。


 高城主任のスマホが、渡辺のタブレットが、

あり得ない速度で明滅し、法人の全データが

【 存在しない 】というエラーコードで埋め尽くされていく。

 歴史そのものが、怪異の怨念によって上書きされようとしていた。



「先輩! システムが完全にハッキングされてます!

俺たちの雇用記録どころか、この施設の『設立認可証』まで

消されかけてます! 建物が保ちません!」

 渡辺が崩れかける壁を背中で支えながら絶叫する。



「大内さん、これほどの膨大な不正書類、

私のパンチでは穴をあけきれませんわ……!」

 園崎の手元で、穴あけパンチが強烈な負荷により

パチパチと火花を散らしている。



(クソッ、情報量が多すぎる。40年分の怨念の期待値を、

たった四人のペンでどうやって覆す!?)


 俺の脳細胞が、限界を超えて加速する。

 これまでのすべての事件の伏線が、脳内で走馬灯のように駆け巡った。


 305号室のキクチサエ。204号室の前施設長。本社の理事長。

 彼らはなぜ、記録に執着した?

 なぜ、深夜2時にだけ現れた?



「……そうか! そういうことか!」

 俺は叫んだ。



「高城主任! 全施設の過去ログの『最初の1ページ目』を開け!

この法人が設立された、昭和61年8月1日の記録だ!」


「っ……! はい!」

 高城主任が猛烈なタイピングで、システムの最深部、

暗号化された『設立原簿』のプロテクトを打ち破った。


 画面に表示されたのは、色褪せた一枚の許可証。

 そこには、驚くべき『矛盾』が記録されていた。



「見ろ! この施設は、最初から定員100名じゃなかった。

設立時の申請書には『定員99名』と書かれている。

だが、理事長が利権を得るために、最初の1名――

『0号室の入居者』の存在を闇に葬り、無理やり100名として

登記を通したんだ!

すべてのバグの始まりは、この『最初の改ざん』だ!」



 影が、ギチギチと激しい音を立てて身悶えした。

 図星だ。



「怪異の処理手順を反転させる!

高城主任、その設立原簿の定員を『99名』に書き換えろ!

園崎さん、その原簿の『100名』の数字に穴をあけろ!

渡辺、俺を支えろ!」


「了解っ!!!」

 三人の声が、重なり合う。



 高城がエンターキーを叩き、園崎がパンチを振り下ろし、

渡辺が俺の身体を背後から力強く支えた。


 俺は愛用の赤ペンを限界まで握りしめ、

部屋の中央で蠢く40年分の怨念の核心――

『最初の隠蔽記録』の紙面へと、渾身の力で突き立てた。



「介護記録の鉄則・最終章!

どれほど過去の記録であっても、真実が明かされた時、

その命は永遠に『正当な歴史』として刻まれる!」


 俺は『定員100名』の偽りの数字に、

真っ赤な二重線を、激しく叩き込んだ。


「0号室は存在しない! あんたたちは全員、

今日この瞬間をもって、現実の『天国』へと正規退所だ!」



 ゴガァァァァァァァン!!!!!



 本館全体が、天に向かって咆哮するような地鳴りに包まれた。

 何万枚もの黒いファイルが光の破片となって弾け飛び、

地下室の闇を真っ白に照らし出していく。


 影を構成していた無数の顔が、最後には全員、

穏やかな、救われたような笑顔になって、

朝の光のような輝きの中に消えていった。



 ……しん、と。

 静寂が、地下室を満たした。



 手元のタブレットを見る。

【 ひだまりの本館 定員:99名(満床) 状態:正常 】

 すべての記録が、完璧な調和を取り戻していた。



「……終わったんですね、先輩」

 渡辺が床に座り込み、今度は涙を流さずに、

男らしい顔で不敵に笑った。


「ええ。最高の引き継ぎができましたわ」

 園崎がパンチをポケットに収め、優雅にお辞儀をする。


「大内統括主任。これで、すべての施設の期待値は

『エラーなし』の100%に固定されました」

 高城主任が眼鏡を押し上げ、微かに、だが確かに誇らしげに微笑んだ。



 バインダーを閉じ、俺は胸ポケットにペンを差した。


「よし、夜勤終了だ。全員、盛大に残業代を申請して、

美味いもんでも食いに行くぞ」



 長い、本当に長い夜が明けた。

 正面玄関から外へ出ると、眩しいほどの朝日は、

俺たち四人の『正しい記録』を、真っ白に照らし出していた。



(――『午前2時の巡回記録には、居ないはずの入居者がいる。』・第一部 完――)


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