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午前2時の巡回記録には、居ないはずの入居者がいる。  作者: 葉山 乃愛


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14/16

――第14話:解雇通知の包囲網――

 午前1時50分。



 静まり返った『ひだまりの里』の

事務所には、本来ならここにいるはずのない

四人の影があった。


 大内、渡辺、園崎。

 そして、本家『ひだまりの家』から

すべての不正ログを携えて緊急合流した、

介護主任の高城だ。



「大内君、これが本社の理事長が

過去5年間にわたり主導してきた、

系列全施設における『架空入居』および

『補助金不正受給』の全容です」


 高城主任は鉄縁の眼鏡のブリッジを

中指で静かに押し上げ、

極上の証拠書類をデスクに並べた。

 徹夜が続いているはずなのに、

その背筋は定規で測ったように真っ直ぐだ。



「さすが主任、完璧な期待値の構築だ。

これで盤面は揃った」


 俺は愛用の油性ペンを指先で回す。


「本社の理事長は、自分が築いた

『書類上の架空の城』が監査で

崩壊するのを防ぐため、今夜午前2時、

俺たち四人を組織から抹消しにくる。

怪異化した『人事解雇届』を持ってな」



「せ、先輩……僕たちの雇用契約が

書類ごと消されたら、僕たちって

どうなっちゃうんですか?」


 渡辺は青い顔でインカムのコードを

弄んでいるが、その目には前話までの

ただ怯えるだけの光はなかった。

 両腕の筋肉をきしませて怪異のドアを

こじ開けた経験が、奴を確実に

「戦力」へと昇華させている。



「労働基準法や契約の概念そのものが、

怪異の力で上書きされるということよ。

『最初からここで働いていなかった人間』

として処理されれば、私たちの記憶も肉体も、

この施設から物理的に弾き出されるでしょうね」


 園崎がおっとりと微笑みながら、

愛用の巨大穴あけパンチの刃を

ティッシュで丁寧に拭き上げている。

 その仕草は、さながら処刑人が

己の武器を研いでいるかのようだった。



 ピピッ。


 インカムが午前2時を告げた。



 ドサリ。


 事務所の受付カウンターの上に、

音もなく『一束の分厚い書類』が

出現した。


 一番上の紙面には、血のような赤インクで

大きくこう印字されている。


『懲戒解雇通知書・即時発効』

『対象者:大内 大、高城 律子、園崎 恵、渡辺 蓮』

『理由:著しい業務妨害および妄想による施設破壊』



 その書類の束から、黒い泥のような

万年筆のインクがゴボゴボと湧き出し、

カウンターを汚しながら床へと滴り落ちる。

 日常の契約が、怪異へと反転していく。



「ふん、待たせたね、諸君」


 背後から、低く威厳のある声が響いた。

 振り返ると、事務所の入り口に、

仕立ての良いスリーピーススーツを着た

初老の男が立っていた。

 本社の最高経営責任者――理事長だ。


 だが、その輪郭は酷く不自然だった。

 彼の身体の影は、背後の壁に

何百枚もの『退職届』や『契約解除書』の

形となって幾重にも重なり、

巨大な翼のように不気味に蠢いている。



「理事長。深夜のご出勤、

ご苦労様です」

 俺はバインダーを構え、冷徹に言った。



「大内君、君たちは少々やりすぎた。

施設のバグを突いて経営を脅かすなど、

雇われの分際で言語道断だ。

その『懲戒解雇通知』がシステムに

完全同期された瞬間、君たちのこれまでの

実績も、発言も、すべて『無資格者の妄言』

として歴史から抹消される」


 理事長が手をかざすと、カウンターの

解雇通知書が激しくページを捲り始めた。

 同期完了デッドエンドまで、あと数分。



「それはどうかしら?」

 高城主任が、一歩前に出た。


「理事長。あなたがその解雇通知を

有効にするためには、労働基準法第20条に基づき、

『30日前までの予告』または

『30日分以上の平均賃金の支払い』が

帳簿上に記録されていなければなりません。

ですが、あなたの裏帳簿はすべて凍結されています」



「な、何だと……?」

 理事長の顔がみしりと歪む。



「さらに言わせていただきますわ」

 園崎が穴あけパンチをカチリと鳴らした。


「この解雇通知書、本社の『取締役会の承認印』が

抜けておりますの。理事長一人の独断による

解雇手続きは、当社の就業規則第14条に

違反する『無効な書類』ですわ」


 園崎は鋭く踏み込み、解雇通知書の

承認欄に向けて、穴あけパンチを躊躇なく叩きつけた。



 パチンッ!!!



 文字が弾け飛ぶような絶叫が

理事長の口から漏れる。

 彼の背後の契約書の影が、

バリバリと音を立てて破れ始めた。



「渡辺、今だ! 『あれ』を出せ!」

「了解です、先輩!」


 渡辺が事務所の金庫から引っ張り出してきたのは、

一冊の古びた『労働組合結成届』だった。

 かつて菊池さんたちが、前施設長の不正に対抗するために

極秘裏に作成し、握り潰されていた本物の書類だ。



「二重登記の矛盾、そして手続きの不備!

この状況下において、俺たち四人の結束は

正当な『労働基準法による保護対象』として

確定している!」


 俺は高城主任が作った不正告発の書類と、

渡辺が持ってきた組合届を重ね合わせ、

理事長の解雇通知書の上から、

赤の油性ペンで巨大な二重線を叩き込んだ。


「介護記録の鉄則その5!

現場を泥に塗れさせ、私欲のために

仲間を切り捨てる経営者の命令は――

『不当労働行為』として、その存在を全面却下する!」



 ギャァァァァァァァッ!!!



 理事長の身体から、無数の解雇通知が

紙吹雪のように剥がれ落ち、

彼自身が黒いインクの塊となって

床のシミへと急速に縮小していく。


「馬鹿な……私の築いたグループが……

私の記録がぁぁぁ!!」



 最後の書類がシュレッダーにかけられたような

音を立てて消滅し、事務所には

完全な静寂と、朝の気配が戻ってきた。



 タブレットの画面を見る。

【 雇用状態:正常 / 全員継続勤務 】



「……勝った、のか?」

 渡辺がへたり込み、今度は本当に

晴れやかな顔で笑った。


「ええ、完璧な書類の勝利ですわ」

 園崎もパンチを納め、満足そうに頷く。



 だが、高城主任だけは、

じっと事務所の窓の外を見つめていた。

 夜明けの街並み。その中に建つ、

この法人で最も歴史の古い、最初の施設――

『ひだまりの本館(定員100名)』。



 ピピッ。


 高城の端末に、本社システムからの

最終通知が届く。


【システム警告】:

最高経営責任者の抹消に伴い、本館地下の

『未認可・隔離病棟(0号室)』の

ロックが自動解錠されました。

全記録の崩壊を防ぐため、至急、

大内統括主任の臨検を要請します。



「大内君。どうやら、私たちの『記録』の戦いは、

あの最初の場所で終着点を迎えるようです」

 高城主任が、眼鏡の奥の瞳を

かつてないほど熱く燃え上がらせて微笑んだ。



「上等だ」

 俺はペンをポケットに差し込み、

不敵に笑う。


「定員100名、最後のギャンブルだ。

全員で本物の『完璧な記録』を書き残しにいくぞ」


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