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午前2時の巡回記録には、居ないはずの入居者がいる。  作者: 葉山 乃愛


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13/16

――第13話:閉鎖階のオーバーフロー――

 ゴト……ゴト……ゴト……。



 静まり返った館内に、

エレベーターが上昇する重々しい

金属音だけが低く響く。


 インジケーターの光は、

本来なら立ち入り禁止であるはずの

『3階』を通り越し、

パネルの枠外にある虚無の空間――

存在しない『4階』の文字を

激しく点滅させていた。



「園崎さん。この施設の改修工事の

『実施計画書』、誰の決裁で

承認されたものだ?」


 俺はタブレットの画面を

高速でスクロールしながら尋ねた。



「前施設長ですわ。

でも、工事の目的はただの

『老朽化した内装の修繕』として

処理されていましたけれど……」


 園崎は穴あけパンチを胸元で

強く握り締め、エレベーターの

表示を冷たい目で見上げている。



「やっぱりな。あの男、

『ひだまりの家』で305号室という

バグの部屋を作ったノウハウを、

この本拠地でも悪用してやがったんだ」


 俺は画面に表示された

数年前の工事請負契約書を指し示した。


「見てみろ。工事の施工会社、

ペーパーカンパニーだ。

そして、修繕されたはずの3階の

『総床面積』の計算が、

実際の図面よりわずかに広い。

名目は修繕だが、書類上だけで

『もう一つ上の階(4階)』を

増築する偽装工作が行われている」



 キクチサエという30人目のバグを

隠すために平屋を3階建てに歪めたのなら、

この50人規模の大型施設では、

一体どれほどの『不法データ』が

その閉鎖された階層に

溜め込まれているというのだ。



「先輩……エレベーター、

止まりました……!」


 渡辺が俺の腕を掴んで叫ぶ。



 ピンコーン。


 間の抜けた電子音とともに、

エレベーターの扉が

ゆっくりと左右に開いた。


 だが、中に人影はない。

 ただ、カチカチカチカチと、

あの事務用ボールペンを

連打するような音が、

無人の籠の中から響いてくる。



 そして、エレベーター内の壁に

貼られた『避難経路図』が、

じわりと黒いインクで染まり、

新しいフロアマップへと

勝手に書き換えられていくのが見えた。


 増設されたのは、4階だけではない。

 5階、6階、7階――。

 書類上の階層が、まるで細胞分裂のように

上へと無限に積み上がっていく。



処理能力キャパシティ

オーバーフローだ。

前施設長という制御弁を失ったことで、

この施設が溜め込んできた

『裏の入居届』が一気に

具現化しようとしている」


 俺は自分の愛用ペンを強く握り直した。


「このままだと、この建物の現実の構造が

書類の重みに耐えきれなくなって崩壊する。

生存期待値を上げるには、

エレベーターを直接叩くしかない」



「大内さん、ここは私に任せて」


 園崎が前に出た。

 おっとりとした美貌に、

かつてない苛烈な笑みが浮かぶ。


「無許可の増築、不適切なフロア更新。

相談員として、この『不正な移動届』の

束は、一瞬でシュレダーに

叩き込んで差し上げますわ!」



 園崎は開いたエレベーターのドアの隙間に

迷うことなく飛び込み、

狂ったように点滅する『階数ボタン』の

基盤に向けて、巨大な穴あけパンチの

刃を突き立てた。



 パチンッ!!!



 激しい火花が散り、エレベーターの

全ボタンの光が一瞬で消灯する。



 ギィィィァァァァァッ!!!



 建物の天井の奥深くから、

まるで巨大な怪物の骨が軋むような

凄まじい絶叫が轟いた。

 それと同時に、エレベーターの籠が

ガタガタと激しく揺れ始め、

扉が閉まろうと閉鎖の駆動音を立てる。



「園崎さん、戻れ!」

 俺は叫んだ。



「くっ……! パンチが、

肉厚な書類バグに噛み込んで

抜けませんわ……!」


 園崎の顔に、初めて焦りの色が浮かぶ。

 閉まりかける頑丈な鋼鉄のドアが、

彼女の身体を挟み込もうと迫る。



「園崎さんッ!」


 その瞬間、俺の横を疾風のように

駆け抜けた影があった。

 渡辺だ。


 奴は自分の安全圏を完全に放棄し、

閉まりかけるドアの隙間に

自らの両腕を力任せに突っ込んだ。



「閉まるなァァァ!!!

業務命令違反だろこれぇぇぇ!!!」


 渡辺は顔を真っ赤にし、

筋肉をきしませながら、怪異の力で

閉じようとするエレベーターのドアを

肉体一つで押し留めた。

 あの弱気な後輩が、

完全に『現場の意地』を通している。



「大内君、今です!」

 高城主任のインカムからの声が、

俺の耳に鋭く届いた。

事務所に残った彼女が、システム側からの

バックアップを開始したのだ。


【高城】:

全館システム強制シャットダウン実行。

物理的エラーを確定させてください!



「よくやった、二人とも!」


 俺は渡辺が開けたわずかな隙間から、

エレベーター内の園崎のバインダーに挟まれた

『改修工事実施計画書』の原本へ向かって、

赤のボールペンを力強く突き刺した。



「介護記録の鉄則その4!

実体のない空間の記録は、

すべて『架空請求』とみなし、

即座に全額却下する!」


 計画書の表紙に、大きく、

斜めに引き裂くような赤の二重線を

叩き込む。



 ドゴォォォォォン!!!



 地響きとともに、頭上から降り注いでいた

冷気とインクの雨が、ピタリと止まった。

 エレベーターのドアが力を失って開き、

渡辺と園崎が床へと倒れ込む。


 インジケーターの『4階』の文字は、

煙のように掻き消え、

ただの『1階』の表示へと戻っていた。



「はぁ……はぁ……先輩、俺、

今度こそ死にましたよね……?」

 渡辺が両腕を押さえながら、

涙目で笑っている。



「死んでねえよ。生存確率は100%だ、

バカ野郎」

 俺は渡辺の頭を乱暴に撫で、

園崎の手を取って引き起こした。



「助かりましたわ、お二人とも。

……でも、これで本当に『書類』は

片付いたのかしら?」

 園崎が乱れた髪を直しながら、

静かに微笑む。



 俺は手元のタブレットを見た。

 画面には、高城主任によって

完璧にクリーンアップされた

監査用の最終報告書が表示されている。


 だが、その報告書の『特記事項』の欄に、

俺たちの知らない文字が、

一文字ずつ、ゆっくりと手書きのように

紡がれ始めていた。



『 令和8年7月14日 午前2時00分

 本社の最高経営責任者(理事長)が、

 監査妨害のため、全職員の「人事解雇届」を

 持って現地へ向かう。 』



「……なるほど」


 俺はペンを回し、不敵に口元を歪めた。


「怪異のラスボスは、本社の理事長か。

次は俺たちの『雇用契約書』を賭けた

ギャンブルってわけだな」


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