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午前2時の巡回記録には、居ないはずの入居者がいる。  作者: 葉山 乃愛


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12/16

――第12話:二重登記の矛盾――

「……登記、だと?」



 俺は前方に立ち塞がる

黒いインク塗れの男――

前施設長だったモノを睨み据えた。

 

 その顔の半分は完全に崩れ、

キクチサエの『215』という数字が

皮膚の裏側から無数に浮かび上がっている。



「先輩、危ない! 触れたら

僕たちまで上書きされます!」


 渡辺が叫び、俺の前に立ちはだかろうとする。

 その腰の引けた、だが必死な姿勢に

俺は小さく息を吐いた。


「心配するな、渡辺。

こいつの言葉はハッタリだ」



「ハッタリ……ですか?」


「ああ。法律的にも業務的にも、

『キクチサエ』という人格データは

既に一昨日の夜、本物の事故報告原本に

よって『ひだまりの家』の入居者として

正式に再登録されている。

高城主任が行政への提出も済ませたはずだ」



 俺はバインダーを叩いた。


「それが事実なら、この『ひだまりの里』に

もう一度『キクチサエ』を登録することは

絶対に不可能なんだよ。

一つのマイナンバー、一つの介護保険番号で

二つの施設に同時入居することはできない。

――介護保険制度における『二重登記の矛盾』だ」



 その言葉が終わるか終わらないかの瞬間、

前施設長の黒い顔が、ビキビキと

不自然な亀裂を生んだ。



『ギ……ギギ……だが、私は現に、

ここで……キクチサエとして、

受理されて……いるんだ……!

定員は……51名に……増床された……!』



「いいえ、それは受理されていませんわ」


 横から冷徹な声が響く。

 園崎が、手にした巨大な穴あけパンチを

銃のようにつま先下がりに構えながら、

前施設長を一歩ずつ追い詰めていく。


「大内さんの言う通り、二重登記はエラー。

そして、さっき私がその不備だらけの

移動届の空欄に『穴』をあけたことで、

この施設のシステムは完全にフリーズしています。

つまり、あなたは今、どちらの施設にも

所属していない――ただの『宙ぶらりんの不正データ』ですのよ?」



「そういうことだ。園崎さん、ナイスパンチ」


 俺は園崎と視線を交わし、不敵に笑う。


「前施設長。あんたはキクチさんの呪いを利用して

保身を図ろうとしたが、逆にシステムの

バグに巻き込まれただけだ。

あんたはもう、この施設の経営者でもなければ、

入居者でもない。ただの『存在しないノイズ』だ!」



『ガァァァァァァァッ!!!』



 前施設長の身体から、黒いインクが

激しく飛び散る。

 それは204号室のドアノブを掴み、

力任せに押し開けようとした。

 せめて部屋の中の本物の入居者を道連れに、

現実の記録を破壊しようという腹積もりだ。



「させまーーすっ!!!」



 その時、叫んだのは渡辺だった。

 奴は恐怖で顔を涙と鼻水でグシャグシャに

しながらも、猛然とダッシュし、

前施設長の黒い身体へと

ダイビングタックルを敢行した。



 ズドンッ!


 物質としての質量を持たないはずの

怪異の身体が、渡辺の『泥臭い執念』によって、

ドアの前から大きく弾き飛ばされる。



「やったな、渡辺! 園崎さん、今だ!」


「ええ、抹殺シュレッドの時間ですわ!」



 園崎が素早く前へ踏み込み、

宙に浮いた『入居者移動届(緊急)』の

原本――前施設長の胸元に張り付いていた

黒い紙切れに向けて、

穴あけパンチの刃をガチリと噛み合わせた。



 パチンッ!!!



 これまでで最も高い金属音が、

暗い廊下に鳴り響く。

 移動届の『発信元・施設長印』の

部分が、完璧な円形にくり抜かれた。



『ア、アアアアアアアアアッ!!!』



 前施設長の叫び声が、

シュレッダーにかかる紙のように

ズタズタに細切れになっていく。

 彼の身体を構成していた黒いインクは、

形を維持できなくなり、

床へと激しく崩れ落ち、そのまま

蒸発するように消えていった。



 バタン。


 静寂が戻った廊下。

204号室のドアは、固く閉ざされたままだ。

中の入居者様は、何も知らずに

安らかな眠りを守られた。



「……はぁ、はぁ……死ぬかと、思った……」

 床に倒れ込んだ渡辺が、

大の字になって天井を見上げている。



「よく動いた、渡辺。お前のタックルの

成功確率は、俺の計算を超えていたよ」

 俺が手を差し伸べると、渡辺は

照れくさそうにその手を握って立ち上がった。



「ふふ、これで一件落着、かしら?」

 園崎がパンチのゴミ受けから、

丸くくり抜かれた黒い紙クズを

ゴミ箱へと綺麗に捨てながら微笑む。



 タブレットを見る。

【 現在の入居者数:50名 / 定員50名 】

 数字は、完璧な正常値に戻っていた。



 だが。



 チーン。


 突然、静まり返ったフロアの

奥にある『エレベーター』が、

誰も呼んでいないのに動き出した。


 インジケーターのランプが、

ゆっくりと上昇していく。

1階から、2階へ。そして――3階へ。



「……大内さん」

 園崎の笑みが消える。


「この『ひだまりの里』の3階は、

数ヶ月前から改修工事中で、

誰も入れない『閉鎖フロア』になっているはずですわ」



 エレベーターの針は、

存在しないはずの『4階』のランプを

不自然に点滅させながら、

不気味な駆動音を響かせ始めた。


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