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午前2時の巡回記録には、居ないはずの入居者がいる。  作者: 葉山 乃愛


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16/16

――第16話:新章・夜勤スタッフの『空白の1時間』――

 『ひだまりの本館』の地下トラブルから一ヶ月。



 定員99名へと正常化された施設には、

平穏な日常が戻った……はずだった。


 俺――大内大は、法人の『統括主任』としての

激務に追われながらも、現場の夜勤シフトに

入り続けている。

 怪異を退けた赤ペンは、今や新しい

介護記録の山を捌くための相棒となっていた。



「大内統括主任。今月のシフト表と、

各病棟の『夜間超過勤務手当』の

申請書です。確認をお願いします」


 事務所のデスクに書類を置いたのは、

本館の夜勤に正式に組み込まれた高城だ。

 彼女の徹底した管理により、現場の

ブラックな労働環境は劇的に改善されていた。

 冷徹な効率主義の裏にある、仲間への

確かな配慮が、今の彼女の美しさを支えている。



「ありがたい。主任が来てくれてから、

書類の『バグ』を見つける前に

体力が尽きることがなくなったよ」


 俺は笑いながらサインを入れる。



「当然の割り振りです。ですが――」

 高城は眼鏡の奥の目を僅かに細め、

一枚の『タイムカードのコピー』を差し出した。


「これを見てください。最近、本館で

夜勤に入っている一般職員たちの間で、

奇妙な『打刻のズレ』が発生しています。

全員、午前2時から午前3時までの記憶が

曖昧で、その1時間だけ、記録が

物理的に『真っ白』になっているのです」



 午前2時から3時。

 かつて俺たちが怪異と戦っていた、

あの忌まわしい時間帯だ。


 0号室の怨念は消え去ったはず。

 なのに、現場の日常にはまだ

『見えない歪み』が残っているというのか。



「先輩! 大変です!

2階の一般棟で、ちょっとあり得ない

巡回エラーが出てます!」


 インカムから、渡辺の焦った声が飛び込んできた。

 かつての泣き虫も、今や無線機の向こうで

的確に異常事態を報せる頼れる後輩だ。



「どうした渡辺、落ち着いて状況を話せ」


「208号室のベッドが……空なんです!

でも、センサーマットの記録上は

『体重55キロの人間が今も寝ている』って

認識されていて、ナースコールを踏む音だけが

室内から聞こえてくるんです!」



 実体のない、重量だけの入居者。

 それはかつて、前施設長や理事長が

『書類上だけ』で生み出していた

架空のデータそのものだった。



「大内さん、やはり終わってなど

いませんでしたのね」


 いつの間にか事務所のドアの前に立っていた

園崎が、おっとりと、しかし嬉しそうに

微笑んだ。

 その手には、あの怪異の文字を撃ち抜いてきた

巨大な事務用穴あけパンチが、

鈍い銀色の光を放ちながら握られている。


「本社の理事長が消えても、国や自治体へ

提出された『過去の介護報酬請求書』の

原本は、まだ街の『行政文書保管庫』に

眠っていますわ。

システムに残された『幽霊データ』が、

今度は私たちの日常そのものを

削り取ろうとしているみたいです」



 そうか。施設の中のバグを直しても、

外側にある『公的な記録』との整合性が

取れなくなった結果、この建物自体が

現実から乖離し始めているんだ。



 ピピッ。


 事務所のデジタル時計が、

午前2時00分を示した瞬間。



 ガガガガガガガッ……!



 事務所のすべてのPCの画面が暗転し、

白い文字で【 勤務時間外のアクセス 】という

警告が一斉にポップアップした。

 それと同時に、俺たちの手首にある

腕時計の秒針が、ピタリと動きを止める。


 窓の外を見ると、夜勤中に稼働しているはずの

街灯や、遠くを走る車のライトが、

まるで時間が静止したかのように

その場で完全にフリーズしていた。



「タイムカードの『空白の1時間』が、

今、俺たちを包囲しに来たか」


 俺は胸ポケットから赤の油性ペンを引き抜き、

カチリとキャップを外した。



「高城主任はシステム側から『存在しない1時間』の

証明を頼む。園崎さんは現実のドアが閉まるのを防いでくれ。

渡辺、2階の幽霊入居者を物理的に押さえ込むぞ!」



「了解です! もう昔の僕みたいに、

記録のオバケなんかに負けませんから!」

 渡辺の力強い声がインカムから響く。



 俺たちはバインダーを構え、

時間が止まった『午前2時の廊下』へと

一歩を踏み出した。

 背後の闇から、無数の『未承認の書類』が、

カサカサと音を立てて這い出してくるのを

感じながら――。


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