#8 レクセル、女を泣かせる
さく、とわずかに音がたつ。
切り分けたキッシュを口に運んで、レクセルは口端を少し緩めた。
「――――おいしい」
「でしょう〜!」
レヴィがすすめるだけある。
濃厚で、けれどふわふわした卵の生地。
そこにほうれん草の苦みと、カリカリ香ばしいベーコンのしょっぱさが合わさって、1つの完成したうま味として舌に溶けていく…………!
がっつきたくなる食欲をなんとか堪え、レクセルはコーヒーで味覚をリセット。
食事姿もきれい……と目を輝かせるレヴィに、そうかな、なんて強がってみせる。
ほんとーはいますぐもっとたべたいな。がまんしろ。
「――ねね! 配達人っていろんな街に行くんでしょ? 他の街にも、おいしいご飯ありました?」
「……いや。いつもは配達先でご飯食べない」
「えっお腹空きません? てゆーか滞在中何日間も絶食するってことですか……?」
「日帰りできる距離しか飛ばないの、普通は」
レクセルは、スープのスプーンをカタリと置いた。
「……長い距離を1人で配達するのは大変でしょ。最寄りの街まで運んだら、そこから次の配達人にバトンタッチするんだよ」
「あぁ! つまり運び先に滞在しないからご飯食べずに帰るってこと――――あれぇ……?」
目をぱちくりさせるレヴィ。
小さくキッシュを切って、もぐもぐして。
少し考えた。
「――――なんでレクさんはファーストに滞在してるんです……?」
「私は普通の配達人じゃなくなったから」
「もしかして、闇の配達人!?」
「なにそれ。遊便だよ」
ゆ……う、びん?
レヴィが首を傾げたのを見て、レクセルははっとなる。
配達人の常識は一般常識ではないのだ。
「……遊ぶ便って書いて、遊便。決まった街に留まらず、難しい配達を専門にする配達人のこと」
「難しい配達、ですか?」
「それこそ長い距離を1人で運んだりね。――でも私が遊便になったの3日前だから、今回が初仕事」
「なるほどしっくり……はっ! ってことわぁ!」
レヴィはずい、と身を乗り出した。
「レクさんがファーストに来たのも滞在することになったのも、わたしと出会う運命だったのかも!?」
「いや遊便になったからでしょ」
「それが運命なんですよぉ! ロマンチック♡」
ひゃあと頬を押さえるレヴィ。
あと何回デートできるかな、ファーストにはいつまでいるんですかぁ? なんてキラキラしながら尋ねてみれば――――。
「明日には発つけど」
「……………………えっ急すぎ」
「いや決まってたから」
「そっそそそれ、先に言ってくださいよぉ!!!」
――――さらりと言ったレクセルへ思わず叫んだ。
「会えるの、あと1日だけってことですか……?」
「出発するの早朝なんだよね」
「今日が最後じゃないですかぁ!」
あまりにも突然過ぎる、とレヴィは頭を抱えた。
曲がりなりにも、デートする仲の別れ方ではない。
……しかし相手はレクセルである。
恋愛方面の一般常識は、レクセルの常識にはないのであった。
食事を終えて、カフェを出る2人。
今度は私が払う、とスマートに会計を済ませたレクセルに惚れ直したのも束の間、レヴィはずーんと重い足を動かしていた。
「ほんとに、いなくなっちゃうんですかぁ……」
「仕事だからね。でも、レヴィと会えて楽しかった」
「……さみしいこと言わないでくださいよぅ」
レヴィはレクセルの腕にむぎゅうと引っ付く。
とぼとぼ歩くその瞳に、ギラギラした看板が映り込んだ。
ラブホテルだった。
「れ、レクさん……わたし、ちょっと疲れちゃったかも……」
「まぁ食後だしね。早く帰って寝な」
「ぐっ……レクさんは、疲れてないんですかぁ」
「こんなんで疲れてたら配達人やってられないって」
「ううぅタフな人だぁ……」
ちらちら、看板に視線を送るレヴィ。
レクセルは当然のごとく気づかない。
2人はラブホテルの前を通り過ぎた。
しかし。
この辺りにはまだ、何軒かあって。
「わー見てくださいレクさん、お城みたいなホテル♡ 泊まってみたくないですかぁ?」
「えぇ、成金趣味じゃない?」
「そういう設計意図じゃないと思いますぅ……」
――――2軒目、通過。
「ここ、ベッドが尋常じゃなくふわふわだって噂なんですよぉ。明日のお仕事に備えて、ぐっすりお休みしません?」
「私、かったい操縦席に慣れちゃってさ。あまり柔らかすぎると寝られないんだよね」
「悲しき職業病じゃないですかぁ……」
――――3軒目、通過。
こんなやりとりがしばらく続く。
「ねぇ。ホテルってそんな泊まりたいもの……?」
最終的に、通りがかったホテルの名前を読み上げるマシーンと化したレヴィ。
流石にレクセルはツッコミを入れた。
「レヴィはこの街に住んでるんだし、いつでも泊まればいいじゃん」
「そうじゃないんですよぉ……って、ほんとはわかってますよね。わかってはぐらかして――――あぁっ!」
ぶつぶつ言いかけて、レヴィはばっと顔を上げる。
なにかに気付いたようなその表情に、レクセルは首を傾げた。
「もしかして、わたしのことを思って? 自分の体を大事にしろってことですか……っ」
「……ん? なんの話?」
「んもぅ白々しいですよ♡ そっかぁ、それなら言う通りにします♡」
想い人に気遣われていると分かって、レヴィはぽかぽか、温かくなった。幸せがふつふつと湧いてきた。
なお勘違いである。
レクセルはまだ首を傾げている。
この女、誘われたことにすら気付いていなかった。
ラブホテルとホテルの違いを知らないからである。
「――――じゃあここで。2日間も付き合ってくれてありがとう」
「はいっ! レクさんもお元気で……ぇ……」
くしゃり。
レヴィの顔が歪む。
「――――わ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙! ざびじい゙ぃぃーっ」
「えぇ、泣くほど……?」
「そうでずよぉ! そりゃレクさんにとっては女遊びのうちの1つだったかもしれないけどぉ――――」
「いや違うし……」(※違わない)
「――――わたしにとっては忘れられない2日間だったんですからぁ!」
ぐりぐりと頭を押し付けられるレクセル。
レヴィの見た目も相まって、はたから見れば妹に甘えられている姉にしか見えない。
もっとも、レヴィの根底にあるのは家族愛ではなく性欲だが……それを理解しているのはレヴィ本人だけであった。もう1人の当事者は理解していない。
仕方ないな、とばかりにレクセルはため息をつく。
幼子をあやすように、震える桃色の髪をぽんぽんと撫でた。
「……私も忘れないよ、レヴィ」
「レクさぁん……」
「元気でね」
名残惜しそうな声を置き去りにして、レクセルは踵を返す。
少しだけ滲んだ涙が、風に溶ける。
プラチナの髪がきらり、夜の闇にきらめいて。
レヴィはそれを、見えなくなるまで手を振っていた。
「あぁあ、いっちゃった……」
すとんとしゃがみ込む。
胸にこみ上げる、温かくてちくちくした感覚。
これが、失恋の痛みってやつ……?
「うぅっ――――ぐすっ……」
こうして。
レクセルは女を泣かせたのであった。
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