#37 レクセル、ベッドの中で
「ん、いいよ」
「まあっ!」
顔を綻ばせるラヴジョイに、レクセルは小さく笑う。
寂しくて一緒に寝てほしいだなんて、子供みたいに……ラヴジョイも可愛いところあるじゃん。
もー仕方ないなぁ、って感じでオーケーした。
――――鈍感、ここに極まれり。
子供はレクセルの方である。
こういうニュアンスの寝るというのは、就寝の意味ではない。
こうしてレクセルは自覚なきまま、貞操の危機に陥った。
その日の夜。
枕を抱え、扉の前に立つ少女が1人。
その名はレクセル、主人公である。
パジャマの薄さと対照的に、その顔からは余裕が滲む。
なにせ年上のラヴジョイに甘えられた(と思いこんでいる)のだ、今夜はおねえさんとして振る舞おうと決めていた。
クールに微笑みすら浮かべて、コンコンと扉を叩く。
「ラヴジョイ、来たよ」
「――――どうぞ、お入りになって」
がちゃりとノブを捻ると、ラヴジョイはすでにベッドにいた。
待ちきれなかったのか、と笑うレクセルに、ちょいちょいと手招きをする。
「……はは。いきなり甘えすぎ」
晩酌でもするのかと思っていたけど、そんなことはなかった。
姫は即就寝をご所望らしい。
レクセルはふっとため息をついて、ぺたぺたと歩く。
焚いてあったらしきお香の匂いが、しっとりと流れてくる。
甘い空気を纏いながら、レクセルはスリッパを脱いでベッドへ腰かけた。
ラヴジョイがぱちりと瞬きをして、くすぐったそうに微笑んだ。
「もう……待ちくたびれましたのよ」
「そんな遅れてないでしょ。そんなに私と寝たいの?」
「ええ。レクセルと夢を見たいですわ」
「夢かあ……絵本でも持ってくればよかったかな」
「ふふ、読み聞かせよりも――――えいっ」
「ひゃあ!」
ばっ! とふかふかな羽根布団を被せられる。
おかしそうに笑うレクセルの背中を、ラヴジョイは優しく抱きしめた。
「もう、ラヴジョイなにするのっ」
「レクセルは……暖かいですわね」
「今日は本当に甘えん坊だな! いいけどさ」
レクセルは回された手を撫でる。
ラヴジョイのそれは、じんわりと熱い。
「そっちこそ、体温高いんだね」
手のみならず、抱き着かれた背中も。
布団がいらないんじゃないかってくらい、ぽかぽかだ。
厚着してるんじゃないの、と後ろをまさぐる。
――――すべすべしていた。
「え、これで半袖? …………あれ?」
腕を上へ伝っていくも、袖がない。
伝わってくるのは肌の感触ばかり。
どこに布があるんだ、と手を動かせば……。
「んっ……」
「んっ!?」
柔らかい、なにかに触れて。
びくりと手を離した、その瞬間。
レクセルはくるりと転がされた。
肩をぎゅっと押さえられる。
……目の前に、ラヴジョイの顔。
それは綺麗で、吸い込まれそうで、キラキラと――――情熱的に輝いていた。
「ら、ラヴジョイ……?」
「レクセル……」
「わ、わ、わ……なんでなにも着てないの!? これじゃ裸婦ジョイだよ!」
「やかましいですわね……ふふふ」
変な雰囲気をなんとかしようとぶっ込んだボケは、華麗に跳ね返され。
それすらも愛しいとばかりに、ラヴジョイは微笑む。
レクセルの首筋に、つーっと汗が垂れた。
「な、なにするの。なんか変だよ……」
「変になるんですわよ、レクセルも」
「なんで? どうやって!?」
「……やけに初心ですわね。意外とこういうのには慣れていない?」
「こういうのって? 知らないよっ?!」
「あらあらそれは。まあ……ではわたくしに任せてくださいな」
「ひ、ひゃ――――っ」
胸元にくっついていたラヴジョイの頭が持ち上がる。
目線が真っ直ぐ揃う。
垂れ下がった水色の髪が周りを覆って、ラヴジョイの瞳だけが、こちらを見ていた。
「レクセル。あなたが欲しいの」
「う……」
「わたくしに、くださいな」
ゆっくりと、顔が下ろされる。
鼻と鼻が、さらりと触れて――――。
「…………ぐす」
「――――っ?!」
――――弾かれたように離れた。
ラヴジョイが目を瞬いて、レクセルを見た。
「ハレー……ハレーがいい……っ」
目の前でたらたらと流れる涙。
漏れて出てきた、知らない名前。
ごくりと喉を鳴らしてラヴジョイは尋ねる。
「ハレー……?」
「好きなの……ハレーが好きで……っ」
「…………好きな方が、いらっしゃるのね?」
「……ん、うん……」
絞り出すような声に、ラヴジョイは――――。
「――――そうでしたの」
ふー、と小さく息を吐いた。
目の前にあった、金色の前髪を揺らしてから。
レクセルを押さえていた手を退ける。
起き上がって、身体に毛布を巻いた。
「……ごめんなさいね。怖がらせてしまって」
「ううん……違くて、その……あの、」
「あらら……よし、よし――――大丈夫。大丈夫ですのよ」
未だ、ぽろぽろ涙をこぼすレクセルだが……。
ショックで泣いているのかと思いきや、そうではないらしい。
それを察したラヴジョイは、軽く頭を撫でた。
子供をあやすように優しく、ゆっくりと。
下心は溶けて消えて、既にない。
――――レクセルはようやく自覚した。
1人の女性として、ハレーを好きなことを。
今までずっと、それに気付いていないふりをしていたということを。
女心がどうとか、恋愛経験がどうとかは、全て建前。
……認めるのが怖くて、言い訳してたんだ。
己の本音を一気に受け止めたせいで、レクセルはキャパオーバーに陥っていた。
襲われかけた記憶を押し流すほど強い感情の濁流が、涙として溢れ出す。
ラヴジョイは、なにも言わずに側にいた。
安心させるように、ただただ撫でていた。
その姿は全く子供ではなく。
紛うことなき、おねえさんであった――――。
「私って、ハレーに恋してたんだ……」
少し、落ち着いてから。
信じられないといった口調で、レクセルが呟く。
傍らのラヴジョイはネグリジェ姿で、おかしそうに笑みを漏らした。
「鈍感にも程がありますわよ……わたくしに襲われかけて、ようやく気付くだなんて」
「全くだよ……」
ダブルベッドに、1人分の隙間を空けて。
言葉のままに一緒に寝ながら、2人は言葉を交わしていた。
「教えて欲しいのだけど……どうしたら、恋ができるのかしら。恋の定義は、なんですの?」
そう尋ねたラヴジョイに、私もまだよくわかってないけど――――と前置きして。
「……自分が恋をしたと思った時が、恋なのかも」
ぽつり、と答えた。
思えばずっと、ハレーへの気持ちは変わっていない。
ハレーのことが好き。遊便になる前から同じ。
この気持ちに、恋という名前が付いたのは。
自分が恋だと認めたからだ。
そのきっかけは随分とその……無理やりだったけど。
苦笑しながら紡がれた言葉に、ラヴジョイは少し考える。
しばらくして、ふぅとため息をついた。
「わたくしは……恋をしようとすら、していなかったのかもしれませんわね」
「ふうん……?」
「押し付けられたと拒否してばかりで、お相手の方に相談すらせず逃げ出して。思えばあの方、お会いする度に言っていましたわ――――きみと話ができて、僕はとても幸せだ、と」
お世辞だと思っていたけれど。
もしかして、あれは本心から言ってくださっていたのかしら……?
ラヴジョイはわずかに頬を染めて、少し俯く。
それからゆっくり呟いた。
――――受け入れるべきは、令嬢としての運命ではなくて。
すぐ近くにあった想い、だったのかしら。
「……ラヴジョイ、舞踏会はいつ?」
「えっ? ええと……明後日ですわね」
「ならまだ間に合う――――今のラヴジョイなら相手の人のこと、もしかしたら気に入るかもだよ。充てがわれた相手じゃなく、好きな人になるかも」
たとえ、結婚するという結果は同じになっても。
まだ自分の意思を無視するには早いんだ。
レクセルの言葉に、ラヴジョイは息を呑んだ。
髪をひとふさ、きゅっと握り込む。
気付いたら、目元がやけに熱くなっていて。
じわりと滲んだなにかが、1粒だけ、溢れていった。
「…………そう、ですわね。まだ、遅くはないですわね」
「そうだよ。なんなら夜中も飛んで、1日でジェミニまで戻ってあげる」
「……でも。それでは、レクセルに負担がかかりませんこと……?」
「私を誰だと思ってるの。この歳で遊便を任されてるの、世界で私だけなんだよ」
「…………ふふ。ではお願いいたしますわ。今度は彼に、しっかり向き合いたいですもの!」
この夜。
恋に気付いた2人がいた。
1人は、運命に縛られていた令嬢で。
もう1人は、自分の思い込みに縛られていた少女である。
――――その少女の名は、レクセル。
主人公であった。
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