#32 レクセル、一夜を明かす
「早速だけど夕食にしよう。座って待ってて」
「お手伝いしますわ」
「大丈夫だよ、やること少ないしね」
ひらひら手を振って、レクセルは食品棚にしゃがみ込む。
詰め込まれたスープ缶を手に取りひっくり返した。
「期限は――――よし、大丈夫」
スープ缶と乾パンのパウチ、それぞれ2つずつ。
流し台の下に積まれた片手鍋を引っ張り出し、水で軽くすすぐ。
「見ていてもよろしくて?」
「いいけど」
そんなに面白いものかな。
そんなニュアンスを込めたがしかし、ラヴジョイはすたりすたりと隣に来る。
ちらっと横を見てから、レクセルは1つ目のスープ缶を開けた。
「まあ、缶はそのように開けるんですのね」
「……やってみる?」
「いえ、遠慮いたしますわ。慣れていない者が手を出していい代物ではありませんもの」
「そんな大げさなもんじゃないよ……ほら、持ってみな」
ラヴジョイの手に缶切りを押し付ける。
溶けてしまいそうなほどに細い指が、遠慮がちに柄を握った。
「先端を缶の縁に噛ませて。そう、それからツマミを回して」
「こうかしら――――あら、外れてしまいましたわ」
「ちゃんと握っとかないと」
ほろりと落としそうな握り方に首を振り、レクセルはラヴジョイの上から手を重ねた。
骨がないのかと疑うほど、柔らかい手。
工具を持ったことすらなさそうだ。
力を込めてもいいものか。
一瞬悩んだあげく、でも力入れないと外れるしな、と意を決して、レクセルはぎゅうと握り締めた。
回して、と囁くとラヴジョイは頷いて、これまた細い指でツマミを回す。
――――回らない。
「壊れないから、無理やり回して」
「はい……!」
んっ、と吐息が漏れる。動いた。
缶が回転しながら、キリキリキリ――――と切れ目が入っていく。
あっという間に一回りしかけた。
「はいストップ」
「できましたわ……!」
「ね、簡単だったでしょ――――いやラヴジョイの手には少しきつかったか」
「いえ、大変興味深い体験でしたわ……缶を開けるというのは、このような感覚、このような音なのですわね」
……やっぱり大げさだよな。
レクセルはこっそりそう思った。
「――――それにしてもレクセルの手は、しなやかであるのにしっかりしていて、素敵ですわね」
わたくしとは大違い、と手を開いたり閉じたりしながら、ラヴジョイがしみじみと呟く。
触れたところがさわさわするような感触を思い出しつつ、レクセルはそりゃあねと返す。
なんとなく指を擦り合わせる。
シルクか、もしくは水面のような。
吸い付くような感覚が残っている気がした。
「……っ、私は毎日、操縦桿握っているから」
「わたくしも配達人になれば、レクセルのように頼もしい指になれるのかしら」
「そのままのほうがいいよ。……綺麗な指なんだし」
「…………ふふ」
付け足した一言に、ラヴジョイが嬉しそうに微笑む。
思い出したようにレクセルは鍋へスープ缶を空けた。
少し勢いが付いて、どぽぽと音が立った。
「こんなに心躍るディナーは初めてですわ」
相変わらず大げさな表現で、ラヴジョイは楽しそうにスプーンを握る。
温めたトマトスープはアルミのボウルへ。
パウチを開けただけの乾パンに、飲み物は香りが飛んだ粉のコーヒー。
インスタントそのものの食事だが、お嬢様には新鮮なようで、まるでアトラクションかなにかのように目を輝かせていた。
「まあ、なんて濃厚なスープなのかしら」
「濃いだけだよ。まあ不味くはないよね」
「出来合いとはとても思えません、美味しい……!」
上品にスープを飲むラヴジョイ。
それを見ながら、レクセルも口をつける。
いつもより少しだけ、美味しい気がした。
「割れませんわ……これはどのように食せばいいんですの?」
顔を上げると、今度は乾パンと格闘していた。
丁寧にも小さく割って食べようとしてるけど、ラヴジョイの力では割れなさそう。
それに、配達人はそんな食べ方はしないものだ。
「齧るんだよ」
「か、硬いですわ……」
「んー、じゃあスープに浸して。柔らかくなるから」
ラヴジョイは1枚摘んで、そーっと浸す。
ちなみにレクセルは普通に齧っていた。
感心したように、ラヴジョイが呟く。
「顎がお強いのですわね……」
「それなんか嫌だな……」
結局レクセルも浸した。
図らずも揃って、柔らかくなった乾パンを齧る。
「これなら食べやすいですわ!」
「意外とイケる」
久しぶりの浸しパンは、思っていたよりも温かかった。
「――――ずいぶんと、興味深い日常を過ごしていらっしゃいますのね……!」
食後のコーヒーを片手に、ラヴジョイは目を輝かせる。
まあね……と少し引き気味に、レクセルはため息をついた。
……本当は、ラヴジョイの出奔の理由を聞きたかったのだけど。
切り出し方を迷っているうちに、遊便の経験談をせがまれてしまったのだ。
いかにも貴族(推定)らしい余裕と、時折見せる無邪気さのギャップ。
そして吸い込まれるような、澄んだ瞳。
あと美貌。
無意識に親近感を抱かせるその人柄に、あれよあれよと話してしまったクセルである。
「――――まあ、封鎖を突破なんて!」
「……今考えても無茶だったよあれは」
それはパラナルでの強行突破のことだったり、
「――――まあ、それはハニートラップですわね!」
「……ハニトラじゃない。引っかかってないもん」
スバルでのトラウマじみた、遊便狩りの思い出であったり。
中でもラヴジョイが身を乗り出したのは、ファーストの街で観た映画の話であった。
「わたくしも観ましたわよ、〈アルマの休日〉」
「本当によかった、私感動して涙出ちゃったし……」
「ええ、間違いなく歴史的名作になる作品ですわ。わたくしもずいぶんと影響を受けてしまいまして……」
奇しくもその舞台は、今向かっている目的地。
すごい巡り合わせだな……とレクセルが思う中。
ラヴジョイはなにかを想う様に、胸の前できゅっと拳を握り込む。
「……わたくしもその舞台に立てば、決心がつくはず」
噛み締めるような、微かな呟き。
レクセルが顔を上げる。
しかしなにか尋ねる前に、ラヴジョイは席を立った。
「いけませんわ、明日がありますのに。ごめんあそばせ、わたくしがお話をねだってしまって……早くお休みしませんと」
「……大丈夫だよ、徹夜で飛ぶこともあるし。でもそうだな、そろそろ寝よう」
手早く食器を洗い、料金箱へ硬貨を入れて。
2人は宿泊室へと向かう。
当たり前ながらどの部屋も空いていたので隣り合った2つを選んだ。
「寒くはないと思うけど、ベッド硬いからな……寝られる?」
「ふふ、寝ることは得意ですの。問題ありませんわ」
「それはいい。おやすみ、ラヴジョイ」
「レクセルも、いい夢を」
心なしか、初めて会った時より柔らかい雰囲気のラヴジョイに片手を上げて、レクセルは扉を閉めたのであった。
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