#16 レクセル、やらかす
シャワーの音だけが、変わらずに響いていた。
お湯がレクセルの背中を流れ、重なった肌を伝い、ビエラの身体から床へと落ちていく。
上がり続ける体温を誤魔化すように、ビエラはもう少しだけ、腕に力を込める。
レクセルの背中は細くて滑らかで、けれども華奢な感じはしなかった。
目の前に広がる、濡れそぼったプラチナが振り返る。
甘く、少しだけウッディなシャンプーの香り。
嫌われちゃったかも……とビエラは突然怖くなって、恐る恐る目線を上げる。
レクセルは――――呆れたように笑っていた。
「楽しい? これ」
「…………うん」
「へー」
ほわほわした感覚がビエラの胸に広がってゆく。
この想いも、気持ちも、全てを受け入れてくれる。
レクセルの微笑みは、そんなふうに伝わった。
――――だが違った。
レクセルはやはり、なにもわかっていなかった!
「これ、ハレーにもやられたなぁ……」
しみじみと漏れ出たその言葉。
ビエラの腕がぴくりと震える。
「…………ハレー、って?」
「ん? あぁ、私の親友。ちょうど今のビエラみたいに、突然後ろから抱き締めてきてさー」
「……その人、男? 女?」
「はは、男だったら問題でしょ」
「女でも――あたしは女のほうが問題なんだけど……?」
するりと離れるビエラ。
不思議そうな顔で、レクセルは首を傾げた。
「え、なんで問題なの?」
「なんでって…………普通この状況で、他の女の話する?」
「まるで私が浮気したみたいな言い方だな……」
――――へん。へんだ。
このひと、へんだ。
ビエラは後ずさりして、目を見開く。
くらくらしながら、かけてあったタオルを抱いて。
わからない、と呟いた。
「……なにが?」
「あたし、あんたがわからないわ……! 信じられない……っ!」
湯気と共に、赤い髪が抜け出して。
ぴしゃりとドアが閉められた。
「……………………は……ぁ」
呆然とする顔へ、吹き込んだ風が当たる。
ちくりと寒さが肌を刺した。
――――作戦当日の朝。
澄み渡った空の下、エンジンが次々と目を覚ます。
滲み出す闘志とガソリンの香りが混じり合い、高揚した空気が滑走路へと流れ出した。
「レクセルさんのこと、ずっと慕ってるから!」
「寂しいですぅ……どうかお元気で」
「敵はわたしたちに任せて! 配達は頼んだよ、救世主っ!」
追い越しざまに一声かけて、各々の愛機へと走っていく配達人たち。
応えつつレクセルも〈スー〉へと向かう。
最後尾に駐機された白い愛機の側に――――どういう訳か、赤いツインテールが見えた。
「ビエラ」
「……人の気持ちに鈍いあんたに、地上は向いてないわ。ずっと空にいればいいのよ」
仁王立ちのまま、ビエラはフンと鼻を鳴らす。
1週間前に出会った時と同じ態度で、レクセルを見ずに言葉を連ねた。
「救世主がいなくなったって問題ない。〈エンベロープ•エクスプレス〉は元々あたしとみんなだけでやってきた。――――だからあんたは余計なこと考えず、封鎖を抜けることだけに集中しなさい!」
「……誰かが危なくなった時は?」
「あたしが助ける。ここの隊長はあたしなんだから……いいわねっ!」
念を押して、ビエラは踵を返す。
足早に遠ざかる後ろ姿へ、レクセルは思わず。
「ビエラ、あのさ――――」
「聞こえないっ!」
呼びかけたが、ビエラは走り去ってしまった。
なびいていたプラチナの髪が、すぅ……と静かになる。深いため息をついた。
「……行くか」
ぴしゃんと風防を閉める。
スイッチを入れて、〈スー〉が目を覚ます。
1500馬力の鳴動がパイロットの調子を窺うように、操縦桿から伝わってきた。
「ん、平気だよ」
なんとなく、そう呟いてから。
レクセルは車輪のブレーキを解除した。
『――――みんな、今日は派手に暴れるわよっ! レクセルの機体が霞むくらい墜として墜として墜としまくって、略奪機の目を引きつけるの! いいわねっ!』
いつにもまして前のめりな音頭がスピーカーを揺らす。
〈スー〉の前方、レクセルの盾となるように翼を並べた配達人たちが、エンジンを猛らせ応を返す。
『隊長、張り切ってますねっ!』
『去るレクセルを安心させたいのでしょうね』
『または寂しいのを誤魔化してるとか!』
『でも隊長とレクセルさん、なんかケンカしたって噂が……』
『『『『マジで!?』』』』
「――――聞こえてるわよ!!! 集中しなさいっ!」
がーっと怒鳴るビエラ。
りょーかいでーす――――と強風を受け流すようなみんなの返事に、頬を膨らませかけた時。
『2時方向に略奪機! 5機います!』
――――配達人たちの空気が変わった。
慣れているとはいえ、命のかかった仕事が始まる。
各自が操縦桿を握り直す中、ビエラの指示が凛と響く。
「アトラスとブルックス、迎撃を頼むわ! 他はレクセルを守りつつ直進!」
『アトラス機、了解!』
『ブルックス機、任された!』
編隊の端を飛んでいた2機が、するりと編隊を抜けて敵へと向かっていく。
彼らが略奪機を翻弄している隙に、レクセルたちは先へと急ぐ。
敵を見つけるたびに編隊を分けて対応しつつ、向かうは封鎖網の端。
――――荷物を積んだレクセルをその外へ送り出す、そのためだけに。
『下方10時に略奪機3!』
『……自分が行こう』
『わたしもー』
『任せたわよっ!』
『上方3時、数は3機です』
『えーと……チャンとテンペル、お願い!』
『おっけーちゃんっ』
『ほいさー』
……1機、そしてまた1機。
配達人たちが編隊を離れ、囮となって略奪機を抑える。
出発時、ずらりと並んでいた僚機たちは、ビエラを含め6機にまで減っていた。
『……よかった、もう少しで封鎖を抜けるわ!』
ビエラが嬉しそうにレクセルを振り返り――――はっ! と慌てて前を向く。
昨日の今日でこれじゃ、誰が見てもチョロい女じゃないの……!
なんて、思わず誤魔化したビエラだったが。
互いの機体は数百メートル離れている。
当のレクセルは全く気付いていなかった。
無線を聞いて、ほっと息をつくレクセル。
索敵で乾いた目をぱちぱち瞬き、先のほうを見つめた。
今日は雲が少ないから、どこまでも同じ色が続いている。
まるでまっさらなキャンバスのよう。
その上のゴミは、よく目立つ。
じぃい……と。
レクセルの目つきが、少し悪くなった。
「……正面、敵編隊。およそ20機」
『――――こちらも視認、多いっ……!?』
ほぼ同時に見つけていたビエラが呻いた。
今のレクセルは荷物を満載しており、身軽に戦えるのは自分含めて実質4機。
レクセルの護衛に1機残せば3対20……多勢に無勢だ。
よりにもよって、ゴール間近のここで!
『――――どうします、隊長っ!?』
切羽詰まった仲間の無線。
近付く敵の機影。
ビエラはぎりりと歯噛みして、後ろの〈スー〉に目を向けた。
「――――レクセル」
『問題ない。ここまでありがとう』
「あんたねぇ……はぁ。了解、あんたは前だけ見てなさいよ」
言う間もなく答えが返り、思わずため息が出る。
――――あんたも同じ判断なのね。
後ろめたい気持ちが、少しだけ和らいで。
ビエラは決断とともにマイクを入れた。
「……全機、あたしに付いてきなさい! レクセルが離脱する時間を稼ぐ!」
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