18話 彼女を怒らせるには
「それで――」
ゆらりと、微笑みをやめた少女は氷のように鋭く恐ろしい。チラリと、控えるリーラを一別し、ミクシリオに視線を戻した。
「昨日夜、私の元に来る代わりに――」
リーラは伏せていた目を開き、キャサリンの斜め後ろに立つと一枚の写真をミクシリオに見せるように持った。
「出逢っていたこの西領の女とは、どういう関係ですか?」
銀色の髪、艶やかなブラウンチョコレートの肌。鋭く睨みつける金色の瞳。その全てがしっかりと収められていた。
「い、イェーグ!?」
思いもよらない人物の写真にミクシリオは混乱していた。二人きりで会っていたつもりが、どこからか監視されていたのだろうか。それはつまり、ミクシリオが疑われていたことを意味する。
疑われるに十分な、ロデリオットに関する秘密を抱えたミクシリオはわかりやすく狼狽した。
「え、えっと、彼女は――」
だがもちろん、ミクシリオが説明するまでもないことだった。ハーデンバルツ家の娘が、南領代表貴族の勢力図を知らないわけがない。
鋭利な氷の声色が切り込む。
「西領代表貴族オルトナムケン家のご令妹。幼き日には魔法の神童とも称されていましたが、今は見る影もなく粗暴な貴族令嬢あるまじき振る舞いの数々。極め付けはあの短髪。淑女に程遠く――」
「やめろ! あ、いや、やめてください……」思わずミクシリオは叫んでいた。戻らない言葉、立ち上がった勢いに任せてにリーラから写真を奪い取る。
「イェーグは、自分の見た目を記録されることを嫌っていた。この写真はどうやって撮ったんだ? 許可がないものなら、僕が捨てておく!」リーラは静かに頷く。
「隠し撮りです。ご随意に」
後ろめたいことなんて何一つないかのようにキャサリンは会話を続ける。
「ミク様、私の最初の質問にお答えいただけますか? 彼女とは、どういう関係でしょうか。なぜ、イェーグと彼女をお呼びになるのでしょう。彼女は――」
「それも、イェーグが嫌がったからだ。南領の伝統に合わせるならサルドって呼ぶのが正しいことも知ってるよ。でも、僕とイェーグは、友達、……一歩手前、みたいな関係だったから……い、いや、友達じゃないにしても、嫌がることをしたくなかったんだよ」
言葉を選びながらミクシリオはいった。二人は本人でさえ、うまく定義できない関係だった。
「では、知人といったところでしょうか」
「まあ、そうかも……昨日は、会って招待を受けたんだ、いや、受けたんです。イェーグのお兄さんがこれから開く社交会に」
社交会。ぴくりとキャサリンが停止した。
頬に手を当て、頬を紅潮させて言った。
「まあまあまあ!! 社交会! なるほど……リーラ! あれを」
「はい。ただいまご用意いたします」音もなく、リーラは魔法で姿を消し、キャサリンとロデリオットの二人だけが部屋に残された。
落ちる静寂を気まずく感じていたのはミクシリオだけだったようで、キャサリンは微笑むとその柔らかな手で両手を包むと言った。
「準備は、全てこの私にお任せください」
「じゅ、じゅんび?」
すでに彼女はミクシリオを見ていない。
「キャサリン様、こちらに」
言葉通り、すぐに戻ってきたリーラが恭しくかかげる小箱をキャサリンは受け取ると、中を改めた。
黄金に輝く指輪。中央に輝くのはキャサリンの瞳にも似た青い宝石だった。
「これは兄、ロデリオットがこの学園に、私宛位に置いて行ったものです。ハーデンバルツ家現当主のみが持つことを許される指輪――」
指を彩る石がよく見えるように、掲げたまま続ける。
「この指輪が、置いて行かれたということの意味。兄が単身1等級遺跡へ消えたという状況を加味し……」
完璧な笑みは崩れない。
「私、このキャサリン・ローデンバルツこそが、現ハーデンバルツ家当主となります」
晴れやかな笑みだった。
その言葉が、実の兄の死を意味していることなんて、忘れてしまったような、眩しい眩しい笑みだった。
「ですから、私は、私の権限において、その社交会に参加することにいたします。――今までは、兄が家の代表として勝手に断っていましたが、今回からは私も参加させてもらいましょう。よかったです、ミク様と参加できて」
何がよかったのか、喉まで出かかった言葉を飲み込んでミクシリオはその言葉の裏の意味を必死に考えようとした。
キャサリンは実の兄が消えて不安定になっているんだ。だから、『よかった』なんて言葉を吐いてしまったのだ。だから聞き返したりしたら、彼女が正気の戻った時、傷ついてしまう。だから、なんてことがないように、触れないように、
「そ、そっか。じゃあ、一緒に行く?」
引き攣った顔をしてないか、心配事はそれだけだ。軽い冗談のつもりでミクシリオは手を差し出した。エスコートは立場がある程度同じでなければならない。だから、この手をキャサリンが取ることなんて、ありえないはずだった。
「はい!」
この手を、握り返されることも、笑顔の応答を見ることも。
ありえないはずだったのに。
「では、早速寸法を測って、準備いたしますね! リーラ、お願いします」
「ハーデンバルツ家専属の王都在住テーラーをお呼びしております。今しばらく、お待ちください」
とんとん拍子で、話が進む。
「ま、待って、服って……」
「エスコートなさるなら、私のドレスと合わせる必要があるでしょう? それに、ミク様はそう言った服をお持ちになっていないとかと思って」
確かにミクシリオに社交会用の服なんてない。だが、それ以前に、
「ぼ、僕平民ですよ!?」
「暫定的な、ものでしょう?」
きょとんと、キャサリンは首を傾げた。ジョークとしても、成立していないようなおかしなことを言われたかのように。小さな子供の、戯言に困惑するように。
「来年の、進路が確定するのを待っていたんですよね、きっと。北門騎士の任命を」手を打って付け足す。「ああ、ミク様の望みでしたら、前倒しても構いませんよ私は。そうなされば、社交会で発表もできますから、そういたしましょうか?」
北門騎士。ミクシリオは今日ほどアベルと過ごした座学の時間を感謝した瞬間はなかった。それは北領代表貴族のみが授けることのできる、平民であっても受け取れる騎士位・名誉称号だった。
「な、なんでっ、いや、違う! ロデリオットは、ロディは、僕にそんなものあげる気はなかった! 僕は受け取れない!!」
思いの外大きな声に、自分自身に驚きながらもミクシリオははっきりと告げた。
「……なぜ、受け取らないのですか。正直になってくださいませ、兄に尽くした理由があるのでしょう? この程度の地位くらい……ああ、兄はもっと上等なものを約束していましたか? それは申し訳ございません、一体どのような」
「ち、違うんです、本当に、僕は何も、入りません。僕は、そんなすごい称号もらえません。エスコートは他の人に」
「なりません!!」
キャサリンが、怒っている。
学園の聖女にして、高嶺の花にして、ロデリオットがいくら迷惑をかけようと眉一つ潜めなかった少女が、今頬をあからめ、机を力強く叩いた。
「いいですか、エスコートは絶対です」
「ひゃ、い、はい!」
情けない返事だったが、エスコートの確約に僅かにキャサリンの怒りも和らいだ。
「称号については、日を改めましょう。私が投手についた以上、新たな称号を用意することも可能ですし……」
「――テーラー方がお見えになりました」
凛とした声が割り込む。リーラの登場に心の底から感謝しつつ、ミクシリオは逃げるように部屋を移った。




