17話 雪原の毒花の目覚め
「本日の授業は先程のもので終わりで間違いないでしょうか? キャサリン様がお待ちです」
講義堂を出た瞬間、両手を掴まれ、空き教室に引き釣りこまれたミクシリオにリーラはそう言った。女性の細い腕を振り払うこともできないミクシリオに残された選択肢は一つだった。
星読塔最上階は、前来た時と内装が大きく変わっていた。木製の年季の入った椅子と机は、現在どちらも白磁のひんやりとしたものに置き換わっていた。
そして机の上には、ティーセットが一式置かれており、微笑むキャサリンはまさにその場の支配者に相応しいご令嬢然とした存在感を示している。
部屋に漂う、軽やかな花の香り。
香りを、ミクシリオは知っていた。
促されるまま席についたミクシリオは震える手を押さえて――カップも中身も彼が一生かけて稼ぐ給金を超えているだろう――口角をゆっくり持ち上げて、そっと陶器の器に口をつけた。
王国に広く流通する多種多様な原産領の紅茶。その香りは、昔アベルの利き紅茶に付き合った時に覚えた知識だった。
北紅茶協会オリジナルブレンド紅茶ノーザンライツ。
主に中央に流通する王家の紅茶にも負けない北領で最も高価な紅茶、だった気がする。
北領において最も歴史と権威ある代表貴族ハーデンバルツ家が飲むものとなれば、その中でも最上級のものだろう。
「と、とても、おいしいです……」
「ふふっ、うれしいです! 私も、好きなんです、こちらの紅茶」ほっそりとした手が、カップを揺らして、覗き込む。ミクシリオも同様にカップをのぞき見た。紅茶の薄い茶色に天井の星々の装飾が反射して輝いく中にぽつんと浮かない顔が浮かんでいた。
全てを告白する手紙は結局見つからなかった。だが、その代わりにミクシリオが書いた覚えのない、ロデリオットの手紙がキャサリンへと渡っていたのだ。
その見覚えのない手紙を、ミクシリオに見えるように机に置いたキャサリンは内容はもう覚えてしまったからお返しする、と笑った。
「申し訳ありません。リーラが拾ったのですが、開封して中を見てしまいました。ミクシリオ様のもので間違いありませんか?」
手紙の横に置かれた封筒は確かにミクシリオが使っていたもので、文字を書くのに使われているペンも、現在はミクシリオが持っているものに相違ない。
つまり、これはミクシリオが偽造した手紙だろう。全く書いた覚えがないということを除けば。
「驚きました、このようにして兄の心を知る日が来るとは」キャサリンの感情の読めない微笑。ミクシリオは中身が彼女を傷つけていないことを切に願った。
開かれた手紙に書かれた文字はロデリオットのペンで書かれている。見かけ上は完璧にロデリオットがミクシリオにあてて書いた手紙だった。
ミクシリオは曖昧に笑う。
誤魔化すにしても、中身を見ないことには話を合わせることもできない。
「中を見てもいいですか? ね、念の為……」
「もちろんです。内容について、尋ねたいことがありますので、中を見ながらでも答えていただけますか」
『親愛なるミクへ』少し文字が斜めに上がる癖。筆跡は完璧だった。
混乱しつつも目を走らせる。
『まさかクラスも身分も異なる俺たちがこうやって文通をする日が来るとは、東の預言者でさえ驚くだろうな。でもまあ俺はお前のこと、秋の騒動から一目置いてたんだぜ。この俺と純粋な剣術勝負で渡り合える奴なんてそうそういない。いや、渡り合う、は流石に盛ったな。でもお前みたいなチビでヒョロイ奴が俺にかすり傷つけるなんてすごいことだ。俺の剣の腕が落ちたなんて馬鹿なこと言う奴がいるかもしれないが、それはあり得ないから、お前は自信を持っていいぞ。』
秋の大会で、ミクシリオがロデリオットの頬に小さな引っ掻き傷を作ったことを、二人の他に誰が知り得るだろうか。
『中央学園なんて、くだらないし俺の人生に少しも必要がないことだと思っていたが、全てはお前と出会うためだったのかもな。お前と過ごす時間だけは、このクソみたいな学園で悪くない時間だ。』
ありえない。ありえない。ロデリオットが。
『明日は旧塔の方でサボるつもりだ。あそこは人目が少なくていいぞ。お前も来るといい。別に待ったりはしないが、来たら退屈はしないだろう。
そうだ、この前聞いてきた妹の話もしてやる。あいつとは、まあ兄妹というより他人に近い気もするが、悪いやつじゃない。俺に似て、いや、似てはないが、美しいだろう? それに、金もあるし、俺にもしものことがあればあいつが当主だな。いや、つまりだな、とにかくあいつは俺の次くらいくらいには優秀だし、優良物件ってことを伝えたかっただけだ。
誌面で尽くすには限界があるな、今日はここまでにしてやる。
ただ一人の友人、ロディより』
ミクシリオの頭はパニックだった。
傷の話は間違いなく自分しか知りようがない。でも、書いた覚えはない。
仮に自分が書いたものだとするのならば、最後の行は顔から火が吹き出そうなほど恥ずかしかった。
――確かにキャサリン様は美しいけど!!
その最後の行に目を通すのを、キャサリンは待っていた。そして、ゆっくりと溜まっていた質問を投げかけた。
「それで、兄からの手紙で間違いありませんか? 内容について、どういった返信を? 私のことを、兄に聞いたのですか? 兄が語る私を、どう思いました?」
想定していない質問の嵐にミクシリオは青ざめた。だが期待に満ちた瞳は彼を逃さない。「え、えと、昔のことだから……」思い出すフリで時間を稼ぐ。「そう、うん、ロディからもらった手紙だよ」見覚えのありすぎる筆跡の前ではそういうより他なかった。「返信は、差し障りのないことを……返したよ」ちらりと彼女を見返すが、今のところ疑われてはいない。それよりも、先を促すように力強く生命力に溢れた視線。
キャサリンが最も聞きたかったのは、最後の問だった。
「君のこと、キャサリン様のことは尊敬してたから、自然と話題に上がって……」
目を泳がせるミクシリオが言い淀む間に、キャサリンは椅子を引く音もなく立ち上がり、机を回り込んだ。そのまま逃げ場を塞ぐようにミクシリオの正面へ立つ。
「どう、思いましたか?」もう一度、同じように問う。
「どう思ったかって、そ、それは、ロディの言う通りだなぁって……」
「つまり……」
決定的な言葉を、絶対的に求める彼女はミクシリオの頬を両手で挟んだ。決して逃さぬという意思を込めて。
「私を美しいと、魅力的であると、ミクシリオ様も、お思いなんですね?」
言葉が、視線が、その瞳が。
キャサリンが欲しい全てだった。
「は、はい……っ」掠れた声が、確かに肯定をした。
キャサリンは、華奢な淡い印象に反して、長身だ。男であるミクシリオより背の高い彼女を見上げる形になる。
星々を模した照明が神秘的を通り過ぎて、畏れを抱かせるように照らし上げた。透き通る金髪から、青い狂気が覗く。
「ふふふっ、そう、そうなんですね」
うっとりと、青がとろけて、やっとその指がミクシリオの顔を離れた。
白いレースを翻し、笑い舞うキャサリンは子供のように無邪気に笑った。




