16話 南領の秘密
「おい、ノシクア」
「――迂闊に、その名前で呼びかけるなと、言ったはずだ」
貴族寮の一室、レオグランに与えられた部屋で、彼を待っていたのは妹のノクシアだった。ソファに大股で腰掛ける様子は、とても王国の四家のご令嬢の姿には見えなかったが。
魔法認証を勝手にハックして、兄の部屋に来るのは、緊急時のみという約束だった。だからレオグランは苛立ちを抑えながら、言葉を返したのだった。
「名前ねぇ、はっ、お前がオレ様から盗み取ったんだろう?」
「私の意思ではない。南の方と、オルトナムケンの血による契約だろう――こんな話をしに来たわけではないだろう、本題に入れ」
ノクシアが座るソファの目の前に腰掛け、妹の目を見た。十歳を最後に、もはやノクシアのもので無くなった己、未だ幼き日の面影を強く残すその姿を見ることは、いつだってレオグランの胸にとって奇妙な感情を呼び起こさせる。まだ、自分は夢のなかにいるのではないだろうかという、現実に対する疑い。だから、お互い、自然と顔を合わせるのを避けるようになった。
「いつ見ても、反吐が出る、オレ様の顔だ」
「私からも、足を広げすぎだ、お前は」
南の神代精霊と契約を交わしたのは強欲な領主だった。
――偉大なる精霊よ! 北のものが無限の魔力を契約したと聞く! もし汝が、北の精霊よりも優れているのならば、どうか、我らに、無限の魔力と、強靭な肉体を授けたまえ!
一つの契約に二つの願い。
――南で最も偉大な精霊は笑った。
でもそれは、きっと、赦しの笑みではなかった。
オルトナムケンは、子供を二つ作れ。
一人目には、優れた肉体を与える。疲れを知らず、万力を秘めた、丈夫な体を。
だから鍛えよ、十を数えるその日まで。
二人目には、優れた魔法の力を与える。北が与えたのに劣らぬ量と質の魔力を。
だから鍛えよ、十を数えるその日まで。
なぜなら、十歳を迎えた日、二つの魂は入れ替わる。
こうして、当主に相応しい肉体を魔力を持った人間が生まれる。
南の契約だ。
レオグランは、剣術に励み、ある日寝台で起きるとノクシアになっていた。女の細い腕で、さらさらと流れる髪をすいた時、彼が、彼女が何を思ったか。
ノクシアは、魔術に励み、ある日寝台で起きるとレオグランになっていた。鍛え上げられた見知らむ無骨な体で彼女が、彼が何を思ったか。
誰にも理解できないだろう。
「――ずいぶん、勝手な約束をしたな」
妹の話す社交会への招待者、レオグランは厄介なことになったと、ため息をついた。
レオグランと、ノクシアの魂が入れ替わっているのは南領の、オルトナムケン家のトップシークレット。それをあっさり部外者に漏らしたノクシア。処分をどうするべきか、今はまだ正式に当主の座にないレオグランには難しい問題だった。
「オレ様に感謝すべきだろう!? オレたちが、戻れるかもしれなんだぞ!!」
ノクシアは、レオグランに戻ることを今も諦めていない。
長期的に見れば、この状況こそ、最も家の害になる。だが頭から否定して、相手とズブズブの関係になられたほうが厄介だ、と判断したレオグランは苦々しく言う。
「わかった。感謝している。当日は、すぐ私に紹介して別室に移るよう手配する」
ソファから飛び上がって、ノクシアははしゃぐ、レオグランが今の自分に不満を抱いていないことにも気付かずに。




