15話 勘違い
「――あれ、僕、いつの間に……イェーグ? ごめん、僕遅刻した……?」
夢を見ていたようだった。僕は、まだ混沌としている意識をかき集めて、目の前の少女にヘラリと笑った。
イェーグは一瞬ひどく裏切られたような、傷ついたような顔をし、
「クーロ、なのか」
「えっと、僕に用なんだっけ。ごめん、少しぼーっとしてたみたい」
うっすらと、ここまで歩いてきた記憶はあるが、どうにもディティールに欠ける。何か、漠然と、大切な話をしていた気がする。
「……お前の、今期取っている授業教えろ。オレ様が、お前をオレ様の、まあ正確にはレオグランの社交会に招待しやる」
さっと顔を下げて、イェーグはキレ悪く言葉を濁した。さらさらと招待状の宛名を書いた後、書きオレの予定を確認し、日付けを付け加えた。
「レオグランにはオレ様が話を通してくるから、絶対こいよ。……お前も準備しておけ」
最後の言葉は、僕に言っているようには聞こえなかった。まるで僕の後ろにいる幽霊にでも話しかけるように、遠くに彼女の目線があった。
「ええっ、な、なんで? 僕、平民だし、孤児だし……あっ、ウィートフィール家はお世話になってたけど、今は学費援助も切られたから、僕が招待される理由がない、んだけど……」
本気でわからない。イェーグとは何度か授業が一緒になって、そこで二、三言交わして、まあ散歩先が被ることがあって……そこでは結構会話したか。いや、意外と、僕と仲が良いのかな、あ、にやけそうだ。今までアベル以外と、寮の同室すら大して会話らしいことはしたことなかった。でも、そんな中でも、確かにイェーグは僕の名前を覚えてくれていて、こうして社交の招待もくれる。
アベルはよく誰々の社交会に呼ばれたと僕に自慢していた。なぜそんなことを自慢するのか、その時はわからなかったけど、今なら、僕もそうするかもしれない。
「わかった! ありがとう!」
オルトナムケン家当主レオグランが開く社交会、聞いた時は格式高いものかと思ったけど、こうして庶民の僕も誘われるんだ。意外と普通に交友が目的なのかもしれない。
それよりもイェーグが、僕を友達のように扱ってくれることが嬉しかった。
でも握手を差し出すと、イェーグは少し顔を翳らせた。南領には無い文化だったのかもしれない。
――お前は無知なんだから、黙って俺に従っておけ。
アベルだったら、そう言って僕を止めるだろうか。
「ご、ごめんっ」「いいや」引いた腕を引き戻す、いやもっと密着するように引かれた。剣術の時も、彼女の見掛けに寄らぬ怪力に多くの人が騙されていた。
至近距離で見ると、彼女の首元にはオルトナムケン家の紋章が見えた。南領代表貴族としての紋章。
――お前なんか、オレ以外の誰が相手にする? お前の利用価値をよく考えろ。
僕の、利用価値。
氷水を浴びたように、頭の上から血潮の凍えた。
そうか。
なぜ、イェーグが今になって、僕を社交会に招待したのか。
そんなの、理由は一つじゃないか。
僕が。
僕が、ロデリオット・ハーデンバルツの友人だからだ。
少なくとも、みんなの中では。
学園に蔓延した噂によれば。
なんてバカなんだ。アベルのいう通り、僕は無知で無力だ。
何が友人だ。バカな勘違いに、頬が燃えるように熱くなった。
「イェーグ……僕は、僕が、ロデリオットの友人だから、いや、」
こんなことを確かめて何になるというのか。それでも、否定して欲しくて僕は尋ねてしまった。
イェーグは、今まで見たこともない、授業中、派手に刀身が体にぶつかった時にも見せたことのない顔で、目を丸くした。
「違う! 違う、違うんだ。オレは、本当は、お前を招待なんてしたくなくて……違う、そういう意味じゃない!」
僕はどんな言葉が、イェーグの口から欲しかったのか。
どんな言葉も、僕に受け取る準備がなければ、無意味なのに。
僕は、イェーグの視界から逃げるように駆け出していた。
情けないセリフひとつ残して。
「ごめん、招待ありがとう、行くから、ごめん」
最初のごめんは、変なことを聞いてごめん。次のごめんは話の流れを断ち切って、まだ言いたいことがありそうな君をおいて逃げてごめん。
きっと伝わっていない。
変な奴だと思われるだろう。だけど、僕は泣いているところを見られるほうが耐えられなかった。
今の僕には、嘘が必要だ。
本当の僕の無価値さを覆い隠す、嘘が。
キャサリン・ハーデンバルツへ捧げる嘘。お兄さんは、貴女を深く愛していました。
ノクシア・サルド・イェーグ・オルトナムケンに渡す嘘。ロデリオット・ハーデンバルツは僕の友人でした。
みんなが望む嘘の物語。
矛盾なく敷き詰めるそれは、僕の願望なのかもしれない。
もし、僕に、僕を見て評価してくれる人がいれば――。
それぞれについて考え始めた時、僕はポケットに突っ込んだままのキャサリンへ書いた罪の告白文を思い出した。
アベルの暴力のあと、僕は贖罪への道を切り捨てた。だから、その手紙は処分しなければいけなかった。
それなのに。
「ないっ、ない、ない!」
確かに、懐へ入れていたはずの手紙がないのだ。
落とした? ありえない。ポケットならまだしも、ジャケットの下だよ。
盗まれた? いつ、誰が、アベルなら、手紙の中身を読んだ瞬間、僕を脅すために接触を取っただろう。
ここに来る前、居眠りしていた時? 誰が、部屋には僕以外いなかったし、一度出て行った同室の人が太陽が浮いている間に戻ってきたことは一度もない。
いつ、いつなのか。いつから、なかったのか。混乱する頭は、イェーグと合っていたとき、の混濁した記憶を疑った。
僕は、イェーグと会う前、記憶にかけがある。
何があったのか、いくら頭を掻きむしっても、どうしても思い出せなかった。




