13話 再びの憑依
ミクシリオが目覚めた時、すでに彼がとっている一日の授業は終わっていた。思わぬサボりに心を痛めたが、今はもっと明確に痛む箇所があった。
頬が腫れている。これはキャサリンに今日合わない理由になるだろう、とミクシリオは心の中で言い訳をした。よくよく考えれば、イェーグとの約束もある。やはり今日はキャサリンに会わない方がいい。
そう思えは胸にのしかかる重圧のような憂鬱な気分は吹き飛ぶ。相変わらず胸ポケットには、キャサリンに渡すはずだった手紙があるが、そのことをミクシリオは意識的に忘れてようとした。
そんな時だった。物陰から、見知らぬ少女が現れたのは。
「失礼致します。ミクシリオ・クーロ様で間違い無いでしょうか」
立ち振る舞いから、即座に理解できた。ミクシリオと同じ使用人。使用人としての質は相手の方がよっぽど上だったが、明らかに主人がいるものの振る舞いだった。
「はい、あってます。僕はミクシリオですけど、もっ、もしかしてキャサリン様のお使いですか?」
探していた相手だとわかり、相手の使用人は安堵した。
「おっしゃる通り、キャサリン様のご用事です。 ああ、申し遅れました。私はキャサリン様の側仕えを務めます、リーラと申します。クーロ様には、本日キャサリン様にご用があったものかと思いましたが、授業時刻が終わってもいらっしゃらなかったため、こうして探しに参りました」
そう説明しながら、リーラの無表情な顔は困っているようにも見えた。
「え、や、約束したわけでもないのに……? 貴族ってそんな感じなんだぁ」
リーラはその疑問には無言を返した。どう言葉を返そうとも、主人の名誉を傷つける恐れがあると判断したからだ。
「いや、文句とかじゃないよ! ただ、ちょっと驚いて。僕、今日はちょっと別の予定があるから、行かないでおこうと思ってたんだ。ほら、この傷も怖いでしょ?」
赤く腫れる頬を指さされ、リーラは一般的に大きなアザなどは怖がられるものだということを思い出した。北領主の汚れ仕事のために雇われていた彼女にとってその感性はとっくに失ったものだった。
「はあ。そう言うものですか。しかし、困りましたね。キャサリン様はすっかりあなたが来るものだと、心待ちにされております」
己の主人の特性を理解しているリーラはミクシリオが来ない場合にキャサリンがどうなるか考えて、来ないと会う発言を撤回させられないかとそう言ってみた。
「うっ、」
「未だロデリオット様の消息がつかめない中、もしかしたら貴方様が何か手掛かりになるものを持っているのではないかという希望」
それは代理当主から預かった任務のためであることを伏せリーラは畳み掛ける。
「不安の中、お兄様の言葉を求めるキャサリン様の気持ち……どうにか、来られませんか?」
そう重いことを並べられれば、余計に行きづらい。ミクシリオは、心が折れそうになり、無意識に心臓のあたりを握っていた。
ぐしゃり。微かな紙の音。
その瞬間、リーラの瞳が閃光を放った。残像を観察するどころか、ミクシリオには懐にしまった手紙を、たった今目の前の少女に擦られたことさえ気づけなかった。
「……しかし無理強いはできませんね。では後日、日を改めてお願いいたします」
ミクシリオからは急にあっさりと身を引いたように見える。不自然なほどの変わり身だったが、引いてくれることを願っていた故に不自然さに気がつかない。
よかったぁ、と思い安心して本日最後の約束であるイェーグとの待ち合わせまで、ゆっくりと今後について考えることができた。
差し迫る危機もなく、気が緩んだミクシリオが寝てしまったことを責められるものはいなかった。
「こいつ……マジで気づかなかったのか? リーラが手紙持って行ったぞ……」
平和そうに眠るミクシリオ。いやミクと呼ぶべきか。
俺は漂い、ことの次第を観察していた。リーラは代々ハーデンバルツ家に使える家系から来ている精鋭だ。しかたない。身内が優秀なことに俺は喜ぶべきだろう。
少しもイライラなんてしていない。
それより、一向に起きる様子がないが、イェーグのことを、いやこれは父方の苗字だ。なぜこいつはノクシア・サルド・イェーグ・オルトナムケンのことを、そう呼ぶんだ?
まぁノクシアと呼ぶ関係でないのは当然として、どうしてサルドと呼ばないのか。常識があれば、南領の女を父方の苗字で呼ぶなんて真似はしないだろう。
そして当のサルドも、なぜイェーグなんて呼ばれ方を許しているんだ。それはノクシアの兄、レオグランの呼ばれ方ではないのか。
二人の関係が、何か特殊なものなんだろうか。それならば、今ここで俺がいくら合理でもって推理しようが答えにたどり着くわけがない。
引っ掛かりはするが、差し当たりもっと考えるべき重要議題があった。
ウィートフィールの存在だ。
俺とクラスは異なるやつについて知っていることは少ないが、西領の商人アダム・ウィートフィールの名前は流石に知っている。
同じく西領出身の貴族とつるんでいたはずだ。
赤く腫れた頬。痛みのせいか眉間に皺がより、身を捩っている。
初歩的な、痛みを緩和する程度の魔法なら俺にも使える。仕方ない。こいつにはまだ健康に生きてもらう必要がある。キャサリンとの関係を進めてもらわないと。
俺が手を伸ばして頬に触れた。
ビリリとした頬の痛み。久しぶりだ。痛いなんて。
こうなる可能性について、どうして思いつかなかったのか。霊体になると知能に影響があるのかもしれない。
俺は再び、ミクの体に入っていた。




