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君が帰らない  作者: みドドド
1章 北領と南領
12/19

12話 暴力反対

 生徒一人消えたところで、中央聖都学園が果たさねばならない使命は変わらない。授業はいつも通り執り行われた。

 1年生の間は基礎授業がメインで、クラスというまとまりで授業を受ける。だが、学年が上がれば、それぞれの将来のために必要な学びを、自分で選ぶため授業時間割は一人一人異なる。

 2年生からは、一覧から必要単位数に到達するように選んだ授業に申し込み、受講許可が降りたものを学べる。もちろんより多くの学費を納めている貴族階級が優先されるが、運が良ければ、人気授業を平民が取ることもできる。

 魔法に関する実践的な講義は総じて人気だ。ミクシリオがダメ元で申し込んだ人気講義『南領剣術と魔法の複合戦術』。身分違いで、クラスも異なるイェーグと出会ったのはその講義がきっかけだった。

 女性だからと舐めてかかる男を叩きのめす、イェーグ。ミクシリオは結局一本も取れず、講義が終わった。だが、どういうわけかイェーグたびたびミクシリオに関わってくる。

 声をかけてくる時、いつもイェーグは一人だった。

 ――たぶん、友達がいなくて寂しいんだろうな。

 ミクシリオの見立てはそんなものだった。

 

 今日から始まる授業「『西領の交通・物流網』の講義室へ向かう。

 この授業は、平民クラスでも取れると話題の授業だった。理由は、中央聖教会の教義にある。西領で最も盛んに行われている貿易は国の外の勢力、雪原を生きる民との関わりが外せない。

 中央の祝福を受けずに生きる雪原の民。その存在は教会勢力が最も嫌う。

 そして貴族階級が大半を占める厳粛な中央聖教徒は学ぶこと自体背信だと思っているのだろう。受講する多くの生徒は西領平民だった。

 

 

 黒板の見える、だが前過ぎないちょうど良い位置にミクシリオは座った。

 筆記用具は――。

「あれっ、これ持ってきてたっけ」

 取り出したペンは、あの日ロデリオットからもらったものだった。

 よく見れば、意匠の凝ったいかにも高そうなもので、ミクシリオにとって都合が悪いことに、魔力充填インク型だった。

「僕そんなに魔力ないからなぁ……」

 困ったことに、これ以外ペンはない。残りのインクが十分ある保証はない。

「君、ペン持ってない?」

 一つ椅子を開けて、隣に座っていた人に声をかけた。ゆっくりと、赤褐色の髪をした男がこちらを見た。

 ミクシリオはこの人物を嫌と言うほど知っていた。

「げっ、あ、アベル!?」

「ペンか、ああ貸してやってもいいが。オレから借りる意味、わかってるのか?」

 ギラリと硬貨のような鈍い光を放つ瞳。

「いっ、いやいい! やっぱあったから!」

 それが咄嗟の嘘でないことを強調するように、ペンを掲げて振った。

「そのペン……」

 アベルは何かを言いかけたが、タイミングよく教師が教室に入ってきたことで打ち切られる。

 

 

 眠たくなるような授業がようやく終わる頃、今日一つ目の授業であるにもかからず、ミクシリオは一日の終わりに感じるようなずっしりとした疲労を感じていた。

 次の授業までの時間、しばらく休もうと、机で溶けるように姿勢を崩す。

「おい、お前」

 髪が掴まれて強制的に顔を上げられる。

「オレに、いうことがあるんじゃないのか」

 まばらに人が残る教室。それだけがアベルの暴力性を抑えるものだった。

 

 ゆえに、教室を出て人気のない場所へ来たら、もうアベルの暴力を止めるものはなかった。

 アベルが蹴り飛ばした腹。ただでさえ、肋が浮いているのに、凹みそうだった。

 痛みに呼吸を忘れて、虫のように地に伏してもがくことしかできない。

 苦しむ顔を眺めるつもりか、アベルはしゃがんでミクシリオに顔を合わせた。

 ギラギラ燃えたぎる全身から怒りは立ち昇る。

 ――あ、すごいキレてる。

 とにかく、すぐに怒りの原因を突き止めないと二発目をもらうことになる。

 頬を伝う汗が風に吹かれて冷えていくおかげで、徐々に冷静になれる。

 ミクシリオの前髪を掴んで持ち上げるアベルからは、きついコロンの匂いがした。

 趣味が悪い。昔は可愛かったのに。

 昔を懐かしんでもしょうがないが、確実に昔の方が良かった。母が生きていた頃まで昔に戻れとはいはないが、少なくとも学園に来る前、西領の屋敷で働いていた頃に、戻りたいな、とミクシリオは久しぶりに思ってしまった。

「心あたりは、あるようだなぁ」

 無理に引っ張られた髪が痛む。いつも痛みは揺らがぬ現実を思い知らせてくれる。

「うぅ、ん。ご、ごめん……」

 とりあえずの謝罪だったが、アベルは幾分か気分がマシになったらしく、頭から手を離した。

「リド・ラシェルは出禁だ。二度とあいつからの依頼は受けない」

 支えを失った頭が落ちると、ささくれだった床に頬が擦れた。わずがに舞う埃が嫌悪を掻き立てる。

 未だ腹にもらった衝撃から立ち直れず、横たわるミクシリオにアベルは跨って吠える。

「そんで、お前はロドリオット・ハーデンバルツに関する情報、好みから弱みまで、全部はけ」

「えっ」

 驚きの声をあげてたはものの、アベルがそう言うことは理解できた。アベルが学園に来たのは商家次男としていずれ独立するための知識だけではなく、人脈面でのつながりを得るため。

 その目的がどのくらい順調に進んでいるのか、クラスも異なり、同学年の交友関係も皆無なミクシリオにはわからなかった。

 例えそれが順調だったにしろ、野心的なアベルだ。

 自分の飼う下僕のような男が、王国の四家がひとつハーデンバルツ家の男――直系の長子でいずれ家を継ぐ立場――と交友があると分かれば、利用しないなんてあり得ない。

 ミクシリオはキャサリンへ説明する捏造されたロデリオット像の準備をし始めたばかりだったのに、それをアベルに対しても行うのかと思うと、目の前が暗くなるような絶望があった。

 

 とにかく、今はアベルの注意をロデリオットの話題から離さなければならない、とミクシリオは考えた。だがどうやって?

 アベル・ウィートフィールは、ウィートフィール商会の次男だ。裕福な生まれに、恵まれた容姿。それでも、弱みがないわけではない。

 アベルの最大の弱点。それを同じ屋敷で、アベルの遊び相手として共に育ったミクシリオは知っていた。

「というか、お前はどこでハーデンバルツと出会ったんだ? 関わりなんて……秋のか」

 一人で考え込むかと思えば、その素晴らしい記憶力で持ってすぐに答えに辿り着く。秋のクラス混合試合。

「はっ、あんなにボコボコにしてきたやつと仲良くなるなんて、お前の頭はおかしいのか?」

 立ち上がってくすくすと笑う様子を見るに、機嫌はいつもの調子に戻っている。怒りが通り過ぎたことに、心理的な安心を得たミクシリオは、覚悟を決める。

 これからアベルの注意をロデリオットから話すために、彼を傷つけるのだ。

「あの時は、本当に困ったな。お前がしばらく代筆は無理だとか抜かすもんだから……」

 いつ間にか、アベルはロドリオットの話より自分の昔話の方へ意識が向いていく。

 もう一押しだった。ロデリオットの話題を打ち消すには。

「ア、アイザック先輩の魔法すごかったよなぁ。表彰されて、さすが――」

 声は不自然に跳ねていたかもしれない。だが、アベルはその名前を鼓膜から、脳へ到達させたときに、そんな些事は塗りつぶされていた。真っ赤な、怒りという一色。

 今日の打撃、いや今年に入って一番の打撃かもしれない。震え上がった脳みそではうまく思考もまとまらず、巻き込んで噛んだ舌の痛みと溢れた鉄味の液体だけがじんわりと理解に至る。

「お前、なんていった?」もう一度言えば、殺す、と言う顔で聞き返す。

 殴られた頬はじんわりと熱を帯びていく。塞がらない心の傷を上から引き裂かれたアベルは痛いだろう。そしてわかった上で踏み込んだミクシリオの心も痛んだ。

「なんで、あのカスの名前を出した? 言ったよな。俺の前で、アイザックと、アイルの名前は出すなって」

 眉間に刻まれた皺は彫り込んだかのように深い。可能ならそのまま締め殺さんという勢いだった。

 もちろんそんなことはこの国の法律が許さないだろう。さすがのアベルもそこまで理性を飛ばしていなかった。

 殴った反動の分だけ痛いであろう手を、黒革のいつもの手袋で覆い隠した。

 

 あれは確かアダムさんがアベルに送ったものだっけ。

 昔から、アベルは腹違いの兄と弟と仲が良くないようで、そのことを話題にすると悲しそうにしていた。

 そうだ、昔は、悲しそうにしていたんだ。いつからだろう。こうやってキレるようになったのは。

 

 小さい頃の話だった。

 しかしこの発言によってすっかりアベルの関心はズレ、やがて始まる授業のためにタイムアウト。これで対アダム用のロデリオットとの関係性の話を練る時間が取れた。

 安堵に包まれ、ミクシリオは午後の授業に間に合わないことを確信して目を閉じた。


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