第6話 "Die Fledermaus overture"
「私立四季高等学校へようこそ!
ここは、世界最高峰の芸術教育を提供する場所です。
音楽、演劇、美術、そして文芸。
四つの芸術科に分かれた本校は、十階建てのマンモス校となっております。
一階はパフォーマンスセクション!
今、皆さんがいるのはメインのエドワードホールです。
ミュージカル、オーケストラ、吹奏楽、合唱、オペラ、演劇……
大きな公演のほとんどは、ここで行われます。
ホールの反対側には、ニコラスホール。
少し小さめで、ソロリサイタルや室内楽向けですね。
説明は、軽快に続いていく。
二階、三階は演劇セクション。
小道具や衣装の制作スタジオ、リハーサル室、一般教室。
四階、五階は勉強セクション。
一般教科の教室は全部ここにあります!
六階は文芸セクション。
七階、八階は美術セクション。
一人一人にアトリエを用意してあります。
防音加工も完璧なので、燃やしたり爆発させたり削ったり――
自由にどうぞ!
(沈黙.mp4)
良い返事ですね!
九階、十階は音楽セクション。
練習室、リハーサル室、大リハーサル室など、たくさんの設備を揃えています!
音楽理論や音楽歴史の授業もこちらの階にあるので、一般教科のと間違えないように。
ということで、学校説明は以上です!」
壇上に立っていた教員は説明を終え、ステージを出た。そして、背景のカーテンが上がった。
そこにいたのは、オーケストラ。四季校といえば、このハイレベルなオケだ。男性はタキシード、女性は黒一色。そして、真ん中に立っているのは、長いケープ付きのタキシードを着ている指揮者。背たっか。
アヤさんの目が輝きを取り戻す。
そして、指揮者がマイクを持ち話し始める。
「初めまして。この四季校オケの首席指揮者の、ライアン・スミスです。」
「秋人さん、この人すごいイケボですね」
アヤさんが小声で言った。僕も同感だが、これは今気が付くことか?
スミスさんは続ける。
「今日は、まあ、皆さんの一日目をより印象的に、楽しくするために、私のお気に入りの序曲を演奏したいと思います。
それでは、お聴きください。
ヨハン・シュトラウス2世 喜歌劇『こうもり』序曲」
スミス先生は一礼すると、僕たちは拍手をする―
が、拍手を遮るように演奏が始まる。
度胸が…すごいな…
*
曲が始まると同時に、オーケストラ全体が一斉に鳴り響き、ホールいっぱいにまばゆ音が広がります。金管楽器の輝かしい和音、弦楽器の勢いのある響き、そこに打楽器のアクセントが加わり、一気に空気が華やかになります。まるで、ウィーンの舞踏会の様です。ウィーン、行ったことないですけど。
その直後、弦楽器が細かく動き出し、きらきらポコポコ輝く音の粒が次々と連なっていきます。軽やかに流れる音がホールを包み込み、自然と体が揺れるような、弾む気持ちになります。そこに木管楽器の明るくやわらかな音色が重なり、ウィーンの豪華な舞踏会の情景がより鮮やかに浮かび上がってきます。
やがて、弦楽器の美しいメロディが奏でられます。なめらかで伸びやかなメロディがゆったりと広がり、音楽は一気に優雅で甘美な雰囲気に包まれます。三拍子のリズムに身をゆだねると、音楽に合わせてゆっくり回転しているような感覚になります。
その優雅さの中に、ふと、軽やか穴動きが差し込みます。弦楽器がちょこちょこと跳ねるような音を奏で、それは回を追うごとに重くなり、グランドワルツへと移行します。重い一拍目、そしてそれを追うかのような2,3拍目。ヨハン・シュトラウスさんのワルツの特徴、二拍目のタイミングがこのワルツを引き立てます。また、ここから打楽器がより豪華なものになっていきます。ワルツはピークを迎えると、ゆっくりとしぼんでいきます。
今度は一転して、オーボエが美しく、不思議めいたメロディを奏でます。弦とオーボエでそのメロディを交換していると、ふと軽やかな動きが差し込みます。弦楽器が歯切れよく音を刻み始め、それに応えるように木管楽器がちょこちょこと跳ねるような音を奏でます。音楽は次第に軽快さを増し、登場人物たちが舞台上を忙しく行き交い、勘違いやいたずらが次々と巻き起こる、にぎやかでコミカルな場面へと移り変わっていきます。
さらに進むと、音楽は一度落ち着き、柔らかく温かい響きに包まれます。弦楽器のなめらかな旋律が静かに歌い、木管楽器がそっと寄り添うように重なります。夜のウィーンを思わせる、どこか秘密めいた雰囲気が広がり、聴いているこちらの心までしっとりと満たされていきます。
すると、グランドワルツのテーマが返ってきました。今度はより高く、より派手に、豪華に。次第に音楽はスピードを上げていきます。細かい音型が次々と重なり、リズムは力強さを増し、オーケストラ全体が大きなうねりとなって前へ前へと突き進んでいきます。まるで演奏者が一斉に走り出し、舞台上が大混乱に陥るかのような迫力です。
コーダ部分ではバイオリンとフルートピッコロが速弾きをはじめ、徐々にスピードと迫力を増していきます。クライマックスでは、金管楽器が高らかに鳴り響き、弦楽器と打楽器がそれを力強く支え、ホール全体が熱気に包まれます。これまでに登場した旋律が次々と姿を現し、華やかさと高揚感が最高潮に達します。そうして、音楽は盛大に終わりを迎えます。
*
ホールに拍手と歓声が沸き起こる。そりゃそうだ。こんなすごい演奏を学校初日に披露されたら、誰だって興奮する。現に、僕のカルテット+アヤさんは、感動で呆然と立ち尽くしている。そして、歓声が収まり、説明会は終わり、お昼休みへと突入した。その間、僕達全員は黙り込んだまま。
最初に沈黙を終わらせたのはアヤさんだった。
「す、すごいです!こんな、こんな素晴らしい演奏を、わずか14-18歳の高校生たちはできるんですか?」
クレアがぬっとアヤさんの方に近づき、言う。
「やっぱりアヤちゃんもそう思うかー。このオケ、恐ろしく倍率が高いんだよ?弦楽器だと毎年10-12人募集してるんだけど、実際応募する人はなんと100人超!」
「え!すごいですね!皆さん、そんな過酷なオーディションで勝ち残るだなんて…」
「いやあ、そんな、勝ち残るってわけじゃないと思うよ。大体は指揮者の独断と偏見で決められるものだし。それに、すごく実力があっても、音の感触とか雰囲気がオーケストラに合ってないと判断されたら、すぐ不合格にされちゃうの。だから、私だったら勝ち残るよりも『たまたま選ばれた』って考える方が良いと思うな」
ケイラは言う。やっぱ捻くれてるなー。
「そ、そうですか。すみません、考えなしに…」
ほら、そんなこと言っちゃうからアヤさんが黙り込んでしまったじゃないか。まったく、どいつもこいつも、しゃんとせんか!
「いやいや、アヤさん、気にしなくていいよ。これ、ケイラが捻くれてるだけで、俺は、勝ち残るって言い方の方が好きかな。他人よりも上手にできたって思うほうが俺も落ち着くし」
イケメン彼氏!アヤさんも少し笑って、頷く。
そしてアルベルトは聞く。
「それで、アヤさん。今回の演奏、具体的にはどこが良かったと思ったの?」
「え?あ、あの、どうして私に聞くんですか?」
「だって、秋人と同居してるんでしょ?じゃあもちろん秋人からクラシックのいろいろのお話させられたり、本読まされたり、してるよね?」
「ま、まあ。はい。本は自主的に読みましたけど」
「秋人からはどれくらいの説明を受けた?」
「バロックから、20世紀の少し前ぐらいでしょうか?マーラーあたりですかね」
「えっ…アヤちゃん、それ結構な量だけど…」
クレアとケイラが僕を睨めつけてくる。ごめん、少し白熱しただけだ。アヤさんも嬉しそうに聞いてくれてたぞ?多分。
「そう…か。じゃあ、問おう。今回の演奏のすごみ。ずばりそれは!」
アルベルトは指をさして言う。やめなさい。失礼だぞ。
「あ、えと、あの、ワルツの音の弾み方と、木管楽器と弦楽器の音の混ざり方、が、すごかったです!」
アヤさんが振り絞ったように答える。
すごく良いところに着目したな、アヤさん。
*
…およそ六日前…
―ヨハン・シュトラウス二世の解説!by秋人―
僕はホワイトボードにデカく書く。アヤさんは僕の目の前に座って小さく拍手をする。
「ヨハン・シュトラウス二世の曲、色々聞いてもらったけど、アヤさんはどう思った?」
「すごく速い、楽しい曲ばっかでした。こういう速いの弾くの、難しそうですね。」
「うむ。実際、ヨハン・シュトラウス2世(以下ヨハンさん)の速弾きは難しいものが多い。でも、意外にも一番難しいとこはそこじゃないんだ」
「そうなんですか?」
「ヨハンさんの最大の特徴、それは音の混ざり方と軽めのスタイルだ。『カイザーワルツ』」
「あの、ヨハンさんのいちばん有名な曲で、カラヤンさんが八回も指揮したやつですね!」
「そうそう。それでこの四つ目のワルツをもっかい聴いてほしいんだけど。」
カイザーワルツのワルツIVを流す。ちなみにヨハンさんの曲を聴きたい場合、カラヤンとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のアルバムがおすすめだぞ。
「すごく、デカいですね。それに豪華で。でも、なんというか、あんまりワーグナーさんほど重くはないというか、楽器がたくさん聞こえるのに、あまり胃もたれしない感じがしません」
「うむ。よくぞ気が付いてくれた。これがヨハンさん特徴その1、音の軽さだ。このワルツは、音量や音圧自体はデカいものの、音自体はどこか軽く、華やかな感じがする。さて。これはなぜか?」
「ウィーンだから、ですか?」
「そう!正解に近い!実際はウィーンの土地と文化だな」
「土地と文化…」
「ウィーンの音楽は、オペラや交響曲の街であると同時に、舞踏会の街だ!」
僕はペンを走らせる。
「つまり、音楽は聴くものと同時に踊るものなんだよ」
「踊る…」
「そう。この時代の踊るための音楽は、重すぎるとダメなんだ。動かなくなる」
アヤさんは小さく踊りを見せる。
「そうですね」
「だから、ヨハンさんの音楽は重厚なのに軽く、豪華なのに疲れず、派手なのに優しい」
「不思議ですね」
「そこが天才」
「では特徴その2。音の混ざり方」
「混ざり方?」
僕はホワイトボードに丸を二つ描く。
木管×弦
「もっかんと、げん?」
「うん。木管―フルート、オーボエ、クラリネット、バスーンと弦―ファーストバイオリン、セカンドバイオリン、ビオラ、チェロ、ベースのコンビネーションだ。ヨハンさんはこの木管と弦のユニソン、同じメロディ弾くこと、が多くて、そこで音の雰囲気とかトーンとかを混ぜ合わせるのが大事になってくる。そうだな、たとえば、コウモリ序曲の速弾きのとこかな。ここではバイオリン、フルート、クラリネットが弾いている」
スピーカーから音楽が流れる。
「ほんの数秒だけだけど、どう思う?」
「なんか、不思議な感じですね。各楽器の音ははっきり聴こえるんですけど、どれも主張しすぎてなくて。なんか、和音がすごく響いています」
「そう!」良いとこに気がついてくれたよアヤさん。そのとおり、音を混ぜることでこのような速弾きの部分では速い、音が多いって印象だけじゃなくて、和音の変わり方、強弱、空きと閉じ、とにかく音に奥行きが増すんだ。」
「なるほど」
アヤさんは少し考え込んでから聞いた。
「でも、いまいち難しさが思い浮かびません。一緒に、同じタイミングで弾くだけじゃだめなんですか?」
「良い質問だね。まあ、たしかにタイミングと強弱を合わせるだけで音はまあそこそこ混ざる。でも、それだけじゃあだめ。なんか、ガタガタ聴こえちゃうんだよ。不安定というか、なんか個の主張が激しすぎると言うか」
「個?」
「例えば― スムージー!果物たくさんスムージーを作るとしよう」
「美味しそうですね」
「美味しい。それで、果物たくさんスムージーで、いろんな果物を完璧にブレンドさせたいとしよう。それで、ミカンを入れすぎると、ミカンの匂いが強くなって他がパットしなくなるし、りんごが多すぎるとりんごの甘味が強くなりすぎたりで、バランスが難しいだろ?」
「そうですね。それでも美味しいですけど」
「美味しい。でも、完璧にブレンドされた果物たくさんスムージーとは程遠い。ヨハンさんの完璧果物スムージーを作るには、どの楽器の量も完璧に測って、調整する必要がある。それで、例えばクラリネットが強すぎると、一気にクラリネットだけの印象になってしまう」
「なるほど。ヨハンさんはスムージーなんですね」
「そうだ。完璧に混ざって、互いに互いを支え合う、美しいスムージーがヨハンさんだ。美味しい」
*
この話を覚えてくれているとは。アヤさん、さすがの記憶力だ。
「うわ、秋人と似たようなこと言ってる。キモチワル」
アルベルトは引く。待て、なんで僕に似ると気持ち悪くなるんだ。
ケイラ、無言でアヤさんを抱きしめるな。別に変なことはしていないし、先に興味を持って聞いてきたのはアヤさんの方だ。
そしてクレア、ボコボコ僕を殴るな。痛い。
「いや、そんな、別に、秋人さんから言われたからこう言ってるわけじゃないですよ?私にも自分の意見もあります。」
自分の意見。気になるな。
「ほう。例えば?」
「えっと、ワルツの、二拍目ですかね。タイミングがいつも完璧で、私驚いちゃいました。いろんな演奏も、だいたい何回か合わさってない時があるのに、この演奏ではすべてが完璧で」
うおっ。またすごいとこに耳が行くんだな。
クレアは殴る威力を強め、ケイラはより強く抱きしめ、アルベルトはもっと青ざめる。
「これは、本当に、何も、秋人から、聞いてないんだな?」
「はい?そうですけよ。私、昔から耳だけは良いんです!楽器も弾きたかったけど、どうにも体力がなくて」
アヤさんは少し落ち込んだ表情で言った。そしていつもの笑顔に戻って言う。
「なので、指揮科を選んだんです!」
指揮科。そういえば今年から新しくできるって言ってた―
『え!?』
我々四人全員声を上げる。
指揮科?アヤさんが?
「え、まって、アヤさん音楽でここ入ってたの?てっきり勉強特選コースとか美術かと」
「秋人さん、私の部屋ちゃんと見ませんでした?結構な数の楽譜おいてあったと思いましたけど」
クレアは僕を蹴る。
「秋人、アヤちゃんの部屋に押しかけたの?最低。」
「いや、押しかけてないよ。ていうか楽譜も覚えてないよ?」
「入ったのは否定しないんだね。あーあ、女子の部屋にも行ったのに何も覚えてないって、つまらない部屋だって言ってるんだね。最低。」
「つまらないとも言ってないよ!」
「じゃあ、女子の部屋最高、もっと行きたいっていうんだね。最低。」
もう何言っても終わりじゃないか。
アヤさんはオドオドして言う。
「あ、えと、ごめんなさい、もっと早めに言うべきでしたね。でも、てっきり由紀子さんから聞いているものかと。なので、とりあえず、皆さん、同じ音楽科なので、よろしくお願いします!」
ペコリと一礼。
アルベルトは笑う。
「すげえ、めっちゃジャパン!お辞儀だお辞儀!90度!」
なんでお辞儀の一つでこんなテンション上げられるんだ。そしてそんな盛り上がるから、アヤさんも顔を赤くしてしまったぞ。
こうして、学校初日―オリエンテーションは、幕を閉じた。
*
「私ね、今日、新しい友達が三人もできたの!」
「本当?どんな人達?」
「えっとね、すごく優しいふわふわした人と、気が強くて元気な人と、なんかかっこいいイケメンな人!」
「そいつら、アヤのこと利用しようとか思ってないでしょうね」
「うん!秋人さんの友達だから、きっと良い人たちだよ!」
「そ。まあ、何かあったらすぐ私に言ってよ。ボコボコにしてやるよ」
「ははっ、みっちゃん、心配し過ぎだよ。今回の人たちは優しい。きっと。絶対」
「アヤ、ちょっと震えてるね」
「そりゃそうだよ。本人も、今回は間違えたくないだろうよ」
「で、でも、私達も、今回は、守ってあげないと」
「心配だね、、、」
「もう、みんな心配しすぎ!」
「ぷーちゃん?」
「だって、今回は秋人さんがいるんだよ?彼なら、アヤを任せられる!私の勘がそう言ってる」
「そう、まあ、ぷーちゃんが言うなら」
「ねえ、みんな、何話してるの?」
「アヤの将来の旦那さんについてだよ」
「えっ、ねえ、ちょ、急になに!?」
「えへへ、冗談」
「ちょっとー、誤魔化さないでよー」
部屋に細い笑い声が一つ、響いている。しかし、北颪アヤには自分以外、5つの笑い声が聞こえる。
彼女はまだ知らない。これから1ヶ月後、彼女の中から笑い声が一つ、消えることを。




