第5話 はじまり
―ジリリリリリリリリ
アラームが鳴ってる。眠い。
現在、8月27日、6時15分。
学校初日の朝だ。
憂鬱だ。
6時半。とりあえずベッドを出て、カーテンを開け、背伸びをする。
すごい!外が真っ暗だから、寝起きの感じがしない!早くサマータイム終わらねえかな。
部屋を出て、洗面台へと向かう。顔を洗い、肌を整え、髪も整える。
「おはよう…」
僕は下のリビングに降りて挨拶をする。
「おはようございます!!」
おお。元気のいい声で返事が返ってきたな。
この声の主は―北颪アヤさん。色々あって我が家に居候している高校一年生だ。めちゃくちゃ可愛い天然清楚系女子だ。
「アヤさん、もしかして寝起きすごく良いタイプの人?」
「どちらかと言われたらそうですね。毎朝ヨガをするよう心掛けているので、そのおかげかもです!秋人さんもご一緒に、どうですか?」
「起きて15分間もベッドから出られない僕には、ちょっときついかな。背伸びくらいが丁度いいさ。」
「そうですか。残念です。ふうちゃんも悲しんでますよ?ね、ふうちゃん」
『ふうちゃん』は返事をしたのか、アヤさんは頷いてつづけた。
「そうです。ふうちゃんの言う通りです。朝を制する者は、人生を制するのです!」
『ふうちゃん』、結構熱血系なのかな。
「お、アキちゃんおはよう。よく起きれたわね。昨日まで余裕で十二時間睡眠かましてたのに。」
母さんが朝ご飯を持ってきてくれた。今日はチーズオムレツだ。おいしそう。
アヤさんは、元気よく
「いただきます!」
と言って、目を輝かせて食べ始めた。
僕は母さんに返事をした。
「まあ、さすがの僕もアラームがあればこれくらい早起きできるよ。」
「あれ?でも、私が覚えている限り、アラームは20分近く鳴ってましたよ?」
アヤさんは口を頬張らせながらしゃべる。ちゃんと飲み込んでから喋りなさい。
「あ、あれぇ、そうかな。アラームは6時15分にセットしたはずなんだけど。」
「そうでしたか。私も朝で耳がおかしかったかもしれません。」
嘘をついた。アラームは実際、5時45分に設定していた。アヤさん、よくアラーム音聞こえたな。部屋2個も離れてるんだぞ?ていうかなんで5時45分に起きてるんだよ、すごいな。
軽く恐怖を覚えながら、僕はチーズオムレツを食す。
「由紀子さん、ごちそうさまでした!すごくおいしいですね、このチーズオムレツ。私、こういうのだったら何個でも食べられます!」
そういうと、アヤさんは空になったお皿をキッチンへ戻す。
あれ?まだチーズオムレツ持ってきて1分ぐらいしかたってないぞ?
食べるの速くないか?ちょっとしたラグビーボールほどのサイズがあったような…
「あ、アヤさん、食べるの速くない?ちゃんと噛んで食べた?」
「はい、おいしかったですよ。でも、卵って元はほぼ液体状じゃないですか。なので、そう考えると、オムレツももしかしたら飲み物かもしれません。」
その理論で言えば、人間も元は飲み物だぞ。
そんな気持ち悪い言葉を心の中でとどめて、僕は黙々とオムレツを平らげる。やっぱりおいしいなこのオムレツ。
*
「洋服、どれがいいかな。」
私はよっちーたちに聞きました。
最初に口を開けたのはみっちゃんです。
「やっぱり学校初日はガツンとおしゃれして、威厳を発揮しないと!」
そう言って、肩だしのフリフリな洋服に指をさしました。
「いやぁ、さすがにこれは恥ずかしい…」
「みっちゃんはわかってないなぁ。アヤちゃんに会うのは、こういうカジュアル系だよ。」
今度はよっちーがスカジャンとカーゴパンツに指をさしました。
「たしかにそれはおしゃれ…だけど…」
「い、いや。それだと、アヤちゃんが、イケイケなポップな人に見えちゃうから…こういうのが…いいかも…」
いっちゃんはパーカーを指さしました。
「え、でも、それ…アニメの限定販売での…」
「いっちゃん駄目だよ、それは逆にオタクっぽいって思われちゃう。こういうのはどう?」
ふうちゃんはオーバーサイズTシャツとジーンズを指さしました。
『おー』
皆で感心していると、ぷーちゃんが声を上げました。
「いや、ちょっと待って。やっぱり学校初日とかは、こういう清楚系が一番じゃない?」
そう言うと、私にシャツとジーンズを勧めてくれました。
「どれも…悪くない…かも…」
『どっちにするの?』
五人から問い詰められ、私がもたもたしていると、ふうちゃんが言いました。
「秋人ちゃんに決めてもらったら?」
「ひぇっ?!」
「いいじゃん」
「ふうちゃん、それ最高」
「珍しくいいこと言うじゃん」
「す、すごくいい、と、思う。」
「な、なんで秋人さんがここで…」
「だって実際、気になってるんでしょ?アヤちゃん、初対面の男子とあんなに積極的に話すところ、私初めて見たよ。」
「うぅっ…」
「聞くだけ聞いてみたら?損はないでしょ。」
「は、はい…」
*
「あ、あの、秋人さん…」
私は秋人さんに声をかけました。
「あれ。アヤさん。まだ部屋着のまま?そろそろ着替えないと遅れちゃうよ?」
秋人さんが気にかけてくれました。
「ちょうどそのことで。あの、今日着ていく服装が決まらなくて…」
そういうと、秋人さんが少し笑いました。
「あーあるあるだよね。僕も昨日すげえ悩んだもん。結局無難に無地のシャツを選んだんだけど。どれで悩んでるの?嫌じゃなかったら、ちょっと見せてくれない?」
「はい!もちろんです!」
そう言って私は秋人さんを部屋に招きました。
「えっと、今この五つで悩んでるんですけど…」
秋人さんは一瞬深刻そうな表情を浮かべていました。そして、少し考えてから、言いました。
「どれも似合うと思うけど…強いて言うなら…この、青シャツがいいと思うな。あ、でも似合うズボンがないな…アヤさん、スラックスとかある?」
「あ、えと、多分家に置いて行ってしまいました。すみません、今あるのはスカートとジーンズばっかりで。」
秋人さんは相当悩んで、私に聞きました。
「僕の、最近履いてないやつあるんだけど…使う?本当に、すごく似合うと思うんだ。少しだけオーバーサイズになってしまうかもだけど…」
秋人さんのズボン…
いけません。あんなことを考えてしまってはいけません。
「はい!喜んで!」
そういうと、秋人さんはなぜか顔を少しだけ隠して、すぐさま部屋に戻っていきました。
秋人さんが戻ってくると、持ってきてくれたのはベージュのスラックス。すごく気持ちの良い素材を使ってるものです。私はそれを履いてみました。
少し大きめのサイズで、ベルトも相当強く締めないと入りませんでしたが、丈は割とぴったりでした。
私は一度、五人に尋ねます。
「みんな、私、かわいいかな…?」
「アヤちゃん、まずは、秋人さんに聞くべきじゃないかな?」
ぷーちゃんが言いました。
他四人もうなずいています。
「そ、そうですか…」
ドアを開けて、秋人さんに聞いてみます。
「ど、どうですか…?」
一度、ひらりと一回転をしてみます。
「うん。うん。ばっちり。すごく似合ってる。」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、とてもかわいいよ。」
不覚。
私は顔を真っ赤にして照れてしまいました。
秋人さんの方を見ると、秋人さんも顔を真っ赤にして照れていました。
そして、慌てたように言いました。
「あ、いや、あの、今のはその」
慌てている秋人さんを見るのは久しぶりです。私は少し笑ってもう一度聞きました。
「そう思ってるようでなによりです!私、とても可愛いんですよね?」
秋人さんはふっと笑い、答えました。
「もちろん。」
*
「アキちゃん、アヤちゃん、忘れ物ない?大丈夫?」
「大丈夫だよ母さん、そんな心配しなくても。」
「由紀子さん、ご心配ありがとうございます。気を付けていってきますね。」
「ああああ、アヤちゃんやっぱり優しいわ!アキちゃん、アヤちゃんを見習いなさい?そしてアヤちゃん、あなたはアキちゃんを反面教師として見習っておきなさい?」
「変なこと言うなよ母さん。それじゃあ、いってきます。」
そうして僕とアヤさんは、高校最初の登校を始める。
*
「わあ、デカいですね!」
アヤさんは髪を細かく跳ねさせながら言った。
「まあ、そりゃ十階建てだからな。」
私立四季高等学校。都会のど真ん中にドンと構えているマンモス校。
土地の面積は普通の学校より小さいが、代わりに縦に伸びている。
そして、僕達は学校の中に入る。
『おお…』
僕とアヤさんは、感激のあまりつい声を出してしまった。
学校の中身は、とにかくオシャレだった。
空港でしか見たことないようなベンチ、きれいな木のベンチ、なんか上から吊るされている美術作品、そしてマスコットのタコ。
とにかく、色鮮やかで美しかった。
「あ、新入生の方ですか?ようこそー、四季高へ!」
先輩方が挨拶してくれた。
アヤさんは、すぐさま僕の後ろに隠れた。
「新入生は学校説明、オリエンテーションからだから、まずはすぐそこのエドワードホールに行ってね。はい、これプログラム。」
「ありがとうございます。」
僕はそれを受け取る。アヤさんは依然として僕の後ろに隠れたままだった。
「はい、後ろのかわいい子も、どうぞ。」
先輩方は、アヤさんにプログラムを渡した。
アヤさんは少しうれしそうな笑みを浮かべ、プログラムをもらい
「あ、ありがとう…ざいます…」
と、今まで聞いたことないような小さな声で答えた。
先輩方は特に気にする素振りを見せず、
「どういたしまして!肩の力抜いて、楽しんでね!」
と、励ましの言葉もくれた。この人は女神か何かかな?
…しかし、アヤさんの学校での人見知り度合いは、想像以上に深刻だった。
――――
今朝、アヤさんが服装で悩んでいたであろう時間帯。
その横で、母さんがふと思い出したように話しかけてきた。
「人見知りぃ?」
「そう。アヤちゃんね、中学時代のトラウマかな。少し残っているみたいで……どうしても学校に行くと、人見知りが出ちゃうの。すごく静かになっちゃうらしいのよ」
――あのアヤさんが、静かに。
正直、少し想像がつかなかった。……いや、見てみたい気もする。
「それでね。一日目に頑張ってほしいのは、アヤちゃんに“アキちゃん以外”の安心できる友達を作ること」
「でもさ、授業一緒じゃなかったら厳しくない?」
「大丈夫。一日目はオリエンテーションが中心だから、学年全員に会えるはずよ。誰でもいいから、アヤちゃんと気が合いそうな子を見つけてちょうだい」
……はあ。
――――
というわけで、
本日の最優先事項はアヤさんに友達を作らせること。
まあ、そこまで難しくはない……はず。
「秋人さん、意外と人、少ないですね。これで一学年全員でしょうか?」
アヤさんは、僕の腕にしがみついたまま、小声でそうつぶやいた。
「あ、ああ。そもそも学校が学校だから、生徒数が少ないんだよ。だから、もう少しリラックスしてもいいと思うぞ」
「そ、そうですか……」
――それとアヤさん、そろそろ僕の腕から離れてください。
ムズムズしてきます。
ちょうど良さそうな席を探していると、
ホールに聞き覚えのある声が響いた。
「秋人ー!!!!」
声の方を向くと、そこにいたのは中学からの友人、クレア・ジョンソンだった。
同じバイオリン弾きで、四重奏も一緒にやっている仲だ。
身長は僕より少し低く、スリムな体型。
本人はやたら体重を気にしているが、正直その必要はないと思う。
そして何より目立つのが、黒髪の先に残った緑色の染め跡。
本人曰く、中学時代の黒歴史らしい。……髪は緑だけど。
クレアは大きく手招きし、隣に座るよう促してきた。
「久しぶり!生きてて何よりだよ。とっくに夏の熱気で溶けてるかと思った」
「いや、さすがに溶けはしないよ。まあ、ギリギリだったけど」
「はは、やっぱりね。…それで…えっと」
クレアは僕の隣、つまりアヤさんを指さす。
アヤさんは、びくっと肩を揺らした。
「その子、誰?妹さんいたっけ?……それとも、彼女さん?」
「あ、ああ。説明すると長くなるんだけど」
とりあえず、アヤさんが我が家に来ている経緯だけを簡単に説明した。
中学時代のことは伏せて。
「へぇー。エロ漫画みたいな展開ね」
ド直球で来た。
……正直、僕もうすうす思ってはいたけど、断じてそんなことは起きていない。
「いや、まあ……否定しきれない気もしなくはないけど、そんなストレートに言うなよ」
「はいはい、ジョーク、ジョーク。で、あなた、お名前は?」
クレアはにこっと笑って、アヤさんに視線を向ける。
アヤさんは少し黙り込み、やがて小さな声で答えた。
「き、北颪アヤ、です」
その瞬間、クレアが真顔で固まった。
そして、ゆっくり僕の方を向く。
「秋人。私もアヤちゃんと同居したいんだけど、どうすればいい?」
「……は?」
「なんかさ。こう……ずっと愛でたいくらい可愛いんだけど、この子」
わかる。
クレアも分かる側の人間だったらしい。よかった。
「秋人、席変わって」
「あ。はい」
僕は反射的に立ち上がり、席を譲る。本能的にクレアに逆らわないよう、体が覚えているのだろう。
アヤさんは僕について来ようとしたが、その前に
「はい確保」
「あ、こら……」
クレアは一切の隙を与えず、アヤさんを抱きしめた。
「秋人、黙って。今、私はこの至福の時間を必要としているの」
「あ。はい」
……何も言い返せなかった。
クレアは怒ると余裕で暴力という教育が施されるからな。
一分ほど経ってからようやくクレアはアヤさんを解放してあげた。
「はあ、最高。人生三回分は充電できたかも」
「それは良かったな」
アヤさんは人生三回生き抜いてきたかのような表情をしている。大丈夫かな。
「あ!!!!」
聞き覚えのありすぎる声がまたホール内で響く。
おや。この声は、このイケボで天才的で最高にかっこいい声は…
「アルベルト!!!!!!」
僕はアルベルトのもとに駆け寄り、熱いハグを交わす。
アルベルト・リッチー。イタリア系の高身長イケメン。僕の最高の友人で、同じ四重奏のチェリスト。
「お前、やっぱ生きてたんだな!俺安心したよ」
何で僕の生死は誰もわかってないんだ?そんな弱く見える?
「いやあ、アルベルトも、身長また伸びたんじゃないか?」
「おう、180は余裕で超えてるな」
流石イケメンだ。
「お、アルベルトじゃん」
クレアが邪魔をしてくる。僕とアルベルトは今愛を育んでいるだぞ。邪魔をするでない。
「クレア、久しぶり。相変わらず厚化粧と緑だね。」
「おいバカ、やめろ―」
もう遅かった。クレアは教育パンチを向けていた。
アルベルトは急いで言う。
「じょ、じょ、冗談だよ…じょーくじょーく…」
クレアは寸止めさせ、言った。
「わかればいいのよ、わかれば」
クレア、アヤさんが超絶怖がっているぞ。そんなことしちゃうから、アヤさんまた僕の腕にしがみついてきたぞ。…よくやった、ありがとう。
「おや、三人方。元気してた?秋人も、よく生きてたね。褒めてあげよう」
また僕の生死を問いてきたのは、ケイラ・スー。何がとは言わないが、極めてデカく、モデル体型を体現したかのような美人だ。クレアの完敗だな。そして、うちの四重奏のビオリストでもある。
「いや、生きてるし。みんな僕への偏見はなんなんだ」
「ごめんごめん。でも、私の知ってる人たちの中だと秋人が一番先に死にそうだし」
ひどい
「えと、それで、腕についてる可愛い子は誰?彼女?もらっていい?」
あげないし彼女じゃない。
「いや、俺もちょうど気になってたんだよ。その人、誰?」
アルベルトが聞いてくる。まったく、イケメンが聞いてくれるなら答えるしかないな。
僕は二人に事情を説明した。
『エロ漫画みたいな展開だな』
二人はハモる。やめてくれ、恥ずかしくなってくる。
「え、やっぱみんなもそう思うよね」
クレア、付け加えるな。
ケイラは少しだけアヤさんを見てから僕に小声で話す。
「秋人、アヤちゃんって家だとこんな感じ?」
「いや、まあ…」
ケイラには、まだ言わない方がいいかな。
「人見知り、かな」
「なるほど。何か事情があるんだね。中学で苦労した―とかそういうのでしょ」
すご。よくわかるな。
ケイラはアヤさんに一歩近づいて言う。
「アヤちゃん、知らない土地で知らない学校で知らない人たちと話すの怖いんだよね。何か嫌なことがあったら、素直に嫌って言えばいいからね」
そういうと、ケイラはクレアにギラっと視線を向ける。
うん。そうだ。もっとやれ。
「無理、しないでね」
その一言で、アヤさんの肩が少しだけ下がった。
「ケイラ、お前、すごいな」
「え、ありがとう。もっと褒めてもいいよ?」
いや、遠慮しとく。
「ねえ、私ずっと立ってんの疲れたんだけど。みんなでどっか座らない?」
クレアは文句を垂らす。まったく、空気の読めないやつだな。
「あ、そろそろ説明会も始まるし、座るにはちょうどいい時間だな」
アルベルトが言う。まあ、イケメン様が言うなら、座るしかないだろうな。
*
ちょうどいい場所を見つけ、僕達五人は座った。
ちなみに、アヤさんは僕とケイラに挟まれて座っている。依然として僕の腕にしがみついているが、ケイラと話すうちにどんどん力が抜けているのが分かる。
「なあ、秋人」
イケメンが話しかけてきてくださる。
「どうした?」
アルベルトは少し声を小さくして、僕に聞く。
「その、アヤさんって、中学でなんかあった?」
「え…なんで?」
「いや、北颪アヤって聞き覚えのある名前だなって思って。どこからだろうって思ってたら、カリフォルニアの友達から聞いた噂話で」
こいつ、人脈の広さもイケメンだな。
「いやまあ、詳しくは聞かされてないんだけど、中学時代は苦労してこっちに引っ越した、っていうのは知ってるかな」
「なるほど…ね。まあ、一応は中学の頃の話はタブーでって意味でしょ?」
こいつ、察し力もイケメンだ。抱いてほしい。
「その通りだ。それでこそ僕の彼氏だ」
「なんだよ、照れちゃうじゃん///」
「そこーキモイよー」
クレアは黙ってくれ。こっちは今、愛を育んでいるんだ。
そして、クレアは再び口を開ける。
「そういえばさ、聞き忘れてたんだけど―
アヤちゃん、中学どこ行ってたの?」
『!?』
アルベルトとは裏腹に、こいつはマジで察しが悪いんだな。
アヤさんは、少し固まって、うつむく。
「クレアちゃん、私、あなたのこと、過大評価してたみたい」
「最低だな、お前」
「え、ねえ、何?私ダメなことした?」
ああ。結構なやらかしだ。だが、察しが悪いんなら仕方ない。初対面の人には正しい質問をしたんだ、この人は。
「…です…」
アヤさんがつぶやく。
「アヤさん、何か言った?」
「覚えてない…です。と、というか、思い出せない…です…」
覚えていない。思い出せない。
なんか、こういう、トラウマを避けるためにいろんな情報が思い出せなく何かがあったような―
「解離性健忘」
ケイラがつぶやく。それだ。さすが医大志望。
でも、確かに理に適うな。
あんな経験をして、家の中であんな明るく振舞えるわけがない。
彼女は強いストレスとトラウマのせいで、中学校に関しての記憶を、思い出せないようになってしまったんだ。
「ち、中学に行ったのは覚えてるんです。小さな、で、出来事も覚えています。よっちーと勉強したり、ふうちゃんと喧嘩したり、ぷーちゃんにプレゼントしたり…」
苦しい。
アヤさんは続ける。
「それでも、中学の大事な情報…先生や他のクラスメイト、みんなの顔が、思い出せないんです。あ…で、でも」
アヤさんは消え入りそうな声で言う。
「怖かったのだけは、覚えています…」
そう言うと、アヤさんは僕の腕に強く抱き着き、顔を埋める。彼女は体を小刻みに震わせて、黙り込んでしまった。
皆が沈黙してアヤちゃんを見る。
とりあえず僕は、もう片方の手でアヤさんの頭をポンポンと撫でた。
気のせいか、彼女の震えは少し治まったように思えた。




