第94話 エルネスタの実家で交渉
侯爵邸までは馬車でおよそ三日。
冬を思わせる冷たい風の中、五人を乗せた馬車は静かに出発した。
三日後。
街道を抜け、石造りの門を越えると、壮麗な屋敷が姿を現した。
整然とした庭園と高い尖塔を持つその邸宅は、まさに貴族の象徴である。
出迎えの従者たちが列をなし、彼らを丁重に案内した。
用意された客室は清潔で広く、窓からは中庭の噴水が見える。
冒険者が泊る宿屋とは比べものにならぬほどの豪華さだった。
そしてその日の夕刻、
サティエルたちは応接室へと呼び出される。
厚い扉の向こうには、次なる交渉の場――
そして、グランフェルト侯爵との対面が待っていた。
応接室に通され、彼らは整えられた長椅子に腰を下ろして待った。
重厚な扉の向こうで、革靴の音が近づいてくる。
やがて、ジェロームを先頭に、武装した護衛四人を従えた一人の男が入ってきた。
中年の威厳を漂わせるその人物こそ、グランフェルト家当主――ギャスパル侯爵である。
全員が一斉に立ち上がる。
久しぶりに父の姿を見たエルネスタ。
少し老けたものの元気そうにしている父の姿を見て、胸をなで下ろした。
だが同時に、母や弟の様子も気にかかる。
けれど今の彼女はサティエル――そのことを口にするわけにはいかず、湧き上がる想いを静かに胸の奥へ押し込めた。
「私がグランフェルト家当主、ギャスパルだ。話は聞いている。……席についてくれ」
侯爵の目は鋭く、威圧感を含んでいた。
サティエルとオフィーリアは落ち着いていたが
その視線を受け、他の三人は緊張の色を見せた。
ギャスパルは一瞥して言う。
「聞いていた通り、全く傭兵団らしくないな。お姫様に騎士、神官……それにエルフまでいるとは。
傭兵団らしいのは、その男くらいだな」
「それは認めますが、余計な詮索はなしにしていただけますか」
サティエルの声は静かだが、どこか挑むような響きがあった。
ギャスパルは目を細め、ふっと笑う。
「これは手厳しい。……では報酬の話に入ろう」
彼は椅子に深く腰を下ろし、短く咳払いをした。
「まず、傭兵団との複数年契約についてだが、情勢が不安定でな。
先のことは読めぬゆえ、まず一年契約とし、毎年見直す形でお願いしたい。
契約案はまとめてある。……ジェローム、持ってこい」
ジェロームが書類を差し出す。
サティエルはそれを受け取り、さっと目を通すと、ベルンハルトに渡した。
「確認をお願いします」
「おう、わかった」
ベルンハルトは無言で数ページをめくり、うなずく。
「……まあ、こんなもんじゃねえか?」
「契約額は妥当なのかしら?」
サティエルが問いかけると、ベルンハルトは肩をすくめた。
「ああ、妥当だな」
サティエルは一度うなずき、顔を上げる。
「ありがとうございます。この契約で問題ありません」
ギャスパルは興味深げにサティエルを見つめた。
「一つ聞きたい。――ラップレリアでも雇いを申し出られたと聞くが、なぜ我が家と契約を?」
サティエルは一瞬だけ視線を伏せ、静かに答えた。
「以前、ここの“エルネスタ様”に助けていただいたことがございます。
そのご恩を返したく、このグランフェルト家に加勢したいと思いました」
その理由が正しいかは別にして、グランフェルト家に加勢したいというのは本当だ。
「……エルネスタだと?」
ギャスパルの眉がぴくりと動く。
しばし沈黙ののち、低くつぶやいた。
「まさかその名をここで聞くとは……。
なるほど、エルネスタの知り合いか。――わかった。
では、君が希望しているというリートス学園の件も、全力で便宜を図ろう」
「ありがとうございます」
ギャスパルは腕を組み、興味を隠さずに尋ねた。
「だが、確認させてもらおう。
リートス学園で“月”や“ムーンゲート”を調べたい――そう聞いている。
その理由を教えてくれ」
「月に行きたいからです」
「……月に、行く?」
侯爵の目が丸くなる。
「そんなことが、可能なのか?」
「ムーンゲートをさかのぼることができれば。
その手がかりがあるかもしれないので、調べたいのです」
「ムーンゲートの先は魔界――そう聞いていたが?」
「一般にはそう言われています。けれど、どうも“月”のようなのです」
ギャスパルは唸るように息を漏らした。
「ほう……それは興味深いな。――わかった」
彼は指を組み、少し思案してから言葉を続けた。
「だが、リートス学園は今、国内外の争いの影響で部外者の立ち入りを制限している。
正式に入るには、後ろ盾を得て試験に合格し、学生になるしかない。
我が家から推薦することは可能だが、あそこは名門中の名門だ。試験は厳しいぞ」
「その試験、恐らく問題ありません」
「なんと……自信があるのか?」
「はい。それと、学園では護衛や侍女をつけることができると聞いています。
その身元保証もお願いしたいのです」
「同行者の希望は?」
ベルンハルトがすぐに手を挙げた。
「俺は勘弁してくれ」
もとよりサティエルの頭数には入っていなかった。
「他のみんなは、それでいい?」
「ええ、問題ないわ」とシルヴィアが答え、セレネとオフィーリアもうなずいた。
「わかった。今の時期なら編入扱いになる。
寮に入ってもらうことになるが、構わぬか?」
「はい」
「手続きには一月ほどかかる。それまで屋敷に部屋を用意しよう。
家庭教師もつけておく」
「ありがとうございます」
一連の話が終わると、サティエルは傭兵契約書にサインをした。
黒鉄傭兵団の件はこれまで通りベルンハルトに任せ、
サティエルは、これから入学する学園のことと、月への行き方の調査に専念することにするのだった。




