第79話 ゲルデン帝国の思惑
黒鉄傭兵団一行はシュレスタイン王国領内へ入った。
もっとも王都リーザまでは、まだかなりの距離がある。
その道中、カルメロが一度団を離れ、王国の情報部隊と接触。報告と現状確認を済ませて戻ってきた。
「王都リーザは籠城戦を選んでいる。ゲルデン帝国軍は正面から少し離れた荒地に陣を敷き、まだ本格的な総攻撃には出ていない。小規模な嫌がらせ程度の攻撃を繰り返しているだけだ」
カルメロの報告により、黒鉄傭兵団は義勇軍として扱われることになり、大神殿の守備隊への編入を認められた。そして王都北方の森に待機するよう命じられ、一行は進路を変える。
その移動の最中、シルヴィアはパトリシア副団長から思わぬ情報を耳にした。
シルヴィアが探していたあの仇“腕に赤い刺青の男”が率いる深紅の爪傭兵団がゲルデン帝国に雇われているらしい。
それを聞いた瞬間、シルヴィアの胸に冷たいものが走る。
仇の名はイーヴァル。両腕に赤い鱗の刺青を刻んだ大男。
戦場で出会う可能性は低い――そう自分に言い聞かせながらも、心は静かに燃えていた。
ちょうどその頃。王都リーザを目前にしたゲルデン帝国軍が動き出していた。
今回の侵攻には二つの目的がある。
一つは新兵器――ムーンゲート誘導魔法陣の実戦投入。
そしてもう一つは、皇帝ダグラス二世の勅命によるルーナ大神殿への襲撃だ。
これまで帝国は、満月の夜に自然発生するムーンゲートを任意の場所に出現させる研究を続けてきた。その成果が、ムーンストーンを埋め込んだ柱と巨大な魔法陣の組み合わせである。
実験を重ねた結果、いまや特別な“スーパームーン”でなくとも、通常の満月でゲートを誘導できるまでに至っていた。
シロノ第三砦周辺でムーンゲートの発生率が異常に高かったのも、この実験の影響だったのである。
今回の作戦では、城壁目前に魔法陣を設置し、開いたゲートから魔物を送り込むつもりだった。
ただし、その構築には直径30センチ・長さ2メートルの柱を十数本、円周上に埋め込み、さらに地面に複雑な魔法陣を描かなければならない。時間も手間もかかり、敵の妨害から守るために防護壁も必要となる――厄介な兵器だった。
それでも帝国軍はその方法を選んだ。
ゲルデン軍を率いるのは、“爆炎のディート”の異名を持つ女魔法使い、ディートリント将軍。
本隊が城壁に攻撃を仕掛ける間、工作部隊が100メートル手前に防護壁を築き、その背後で誘導魔法陣を組み立て始める。
そしてもう一つの矛先。
深紅の爪傭兵団――イーヴァル団長が率いる別動隊が、大神殿を狙って進軍を開始した。
イーヴァルこそ、シルヴィアの仇。両腕に赤い鱗の刺青の巨漢である。
* *
黒鉄傭兵団は王都の北に広がる森へ到着した。
状況を把握するため、カルメロが再び情報を収集しに出向く。
一方、サティエルたち〈エナメルの旅人〉も、独自に大神殿の様子を探ろうと黒鉄傭兵団のキャンプを離れた。なお、セレネは念のためキャンプに残っている。
三人でまとまって動けば目立つ。そこで別々に行動することにした。
サティエルは従魔ろっくんを使い、上空から全体の様子を観察。
オフィーリアは得意の諜報術を駆使し、大神殿へ潜入を試みる。
シルヴィアは外周の森を歩き、接近経路や障害を確認する役を担った。
サティエルの目に映った大神殿は異様だった。
敷地にいるのは武装兵ばかりで、神官や聖騎士の姿は見えない。建物の一部はすでに破壊されている。
――すでに陥落……したの?
そう見えるほどの惨状だった。もしそうなら奪還は容易ではない。
さらに空を移動すると、王都の籠城戦が続いているのが見えた。
ただ、ゲルデン軍は積極的に攻め立ててはいない。代わりに、城壁前に強力な結界を纏った防護壁を築き、その奥で何かを構築しているようだった。大規模な作戦の準備を進めているのは明らかだ。
さらに後方に本陣もあり、かなり兵が残されていた。
長期戦を睨んで兵を温存する作戦なの?
いずれにしても全体で2万人規模の兵で攻めてきている事が確認できた。
オフィーリアは魔法で気配を消し、大神殿へと忍び込む。
そこにあったのは、すでに破壊された本殿と、その周囲に折り重なる死体の山だった。
「……なんてこと」
そこに神官たちの姿はなく、どこかに捕らえられているのか、あるいは皆殺されたのか――すぐに確かめる術はない。
少なくとも、セレネが望んだ大神殿の役割は、すでに果たされぬものとなっていた。
一方シルヴィアは、森の中に障害物がないかを確かめながら歩いていた。
傭兵団を導くとしたら、どこから神殿へ入るのが最適か……そう考えていた時だった。
――視界に、大柄な人影。
振り返ったその男の腕には、赤い鱗の刺青。
「……まさか」
顔は知らないが、おそらくこいつが仇敵、イーヴァル。
深紅の爪傭兵団の団長であり、両親を奪った男。
幸か不幸か、彼は一人で行動しており、シルヴィアが仇を討つ絶好の機会だった。




