第118話 月への手掛かり1
「すみません、サティエル先生。お待たせしました」
ニコル先生が柔らかく笑みを向ける。
「ええと、月に関してどのような資料をお探しですか?」
「これからお話しすることは、どうか内密にお願いします」
サティエルの声音はいつになく慎重だった。
――逆行の魔導具がゲルデン帝国によって意図的に破壊されている可能性が高い。
うかつに情報が洩れれば、厄介なことになる。
ただ幸い、ニコル先生はグランフェルト侯爵家と同じ第一王子派。比較的、信用できる相手だ。
「もちろんです。口外はいたしません」
サティエルは小さくうなずき、言葉を選ぶように続けた。
「実は――月へ行きたいと考えております」
「……月へ、ですか?」
ニコルの目が丸くなった。
「はい。大きな目標だとは分かっています。ですが、ムーンゲートを“逆行”すれば月に行けるはずなのです。その方法を調べたくて」
「ムーンゲートを逆行……ですか。初耳ですね。あれは“魔界”へ通じるとされていますが?」
「一般にはそう言われています。けれど、信頼できる筋から――月へ渡ることができると聞きました」
「なるほど……。ですが、私の蔵書にはそのような記述は見たことがありません。もしそれが本当なら、とっくに人類は月へ行き来していますからね」
「ええ、わかっています。けれど先生が、月や古代遺跡に関する書物を多数お持ちだと伺いまして」
「確かに、そういったテーマの本は多く集めました」
「その中に、ルーナ人やモアネ人――月から来たと言われる彼らが、どのようにテラエと行き来していたかについての記録があるかもしれないと思いまして」
「ふむ……ルーナ人とモアネ人の記述ならありますが、月との行き来となると……」
ニコルは首をかしげ、サティエルを見つめた。
「サティエル先生は、どこでそんな情報を?」
さて――どうするか。
セレネの存在を明かすのはまだ早い。
けれど、何かしらの根拠を見せなければ信じてもらえないだろう。
……ここは、真正面からいくしかない。
サティエルは静かに魔法袋を開き、中から壊れた逆行の魔導具を取り出した。
「壊れてはいるのですが……」
前置きして、卓上に置く。
「これは、ルーナ大神殿にあった装置です。ムーンゲートの制御に関わるものだと聞いています」
「拝見しても?」
「どうぞ」
ニコルは慎重にそれを手に取り、光にかざす。
刻まれた文様を指先でなぞりながら、眉を寄せた。
「……なるほど。私の知らない技術ですね。これは……」
何かを思い出したように、彼女は立ち上がり、本棚の奥から一冊の古びた書を取り出した。
羊皮紙の匂いが、ふわりと空気を満たす。
「サティエル先生、これをご覧ください」
開かれたページには、まさに同じ形をした装置の挿絵が描かれていた。
「これは……!」
「ええ。驚くべきことに、この本に記されていたのです。ただ――」
ニコルは申し訳なさそうに言葉を続けた。
「古代ルーナ語で書かれていましてね。しかも、極めて難解な構文なので残念ながら解読できていません」
「その本をお借りしても構いませんか? 私の知り合いなら、読めるかもしれません」
「申し訳ありません。これはとても貴重な本です。持ち出しは許可できません」
「そうですか……」
「ですが、その方をこちらにお連れいただけるなら、拝見してもらうのは構いませんよ」
「助かります。これから連れて来ても――」
「すみません、今日は別の予定がありまして。日を改めましょう」
結局、その場では次の面会日を決められなかった。
というのも、ニコル先生は講演の成功を受けて、しばらく各地を回る予定があるという。
「戻り次第、事務局を通じて日程をお知らせします」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
そう礼を述べ、サティエルは研究室をあとにした。
扉を出ると、夕日が廊下の大理石に反射して、淡く赤く輝いていた。
手にした壊れた魔導具を見つめながら、サティエルは思う。
――ついに、糸口を見つけた。
けれど、本当に月へ続く道なのか。確かめるのは、まだこれからだ。




