第117話 サティエル天文を語る
天文学科のニコル先生との約束の日になり、サティエルは、先生の研究室を訪れた。
扉を開けて中へ入ると、すでに先客がいた。
見覚えのある顔――公開講座で鋭い質問をしていた年配の男性、クロヴィス先生だった。
そのクロヴィスが、開口一番に刺々しい声を向けてきた。
「君、何の用だね?」
サティエルは、微塵も表情を崩さずに答える。
「ニコル先生との面会に参りました」
その落ち着いた口調と、堂々とした態度にクロヴィスは一瞬たじろぎ、思わずニコルの方を見る。
「ああ、サティエル先生ですね。ようこそお越しくださいました。
クロヴィス先生、私のお客様を威圧しないでください」
「……先生?」
クロヴィスは驚いて目を瞬かせた。
若すぎる――どう見ても学生にしか見えない。だが“先生”と紹介されては謝るほかない。
「これは失礼した」
ニコルは苦笑しながら続けた。
「ではクロヴィス先生、また今度にしましょう」
「いや……」とクロヴィスは言いかけて渋い顔をする。
まだ話し足りない。さっきまで講演内容を巡って激しく議論していたのだ。
そこで何かを思いついたように、にやりと口角を上げた。
「――サティエル先生に聞いてみようではないか」
ニコルがわずかに眉をひそめる。
「クロヴィス先生、それは迷惑でしょう」
しかし、サティエルはふたりの空気を見て感じ取った。
この二人は、互いに信念をぶつけ合える、長年の研究仲間なのだ。
そして――ニコルもまた、第三者の意見を少し期待しているようにも見えた。
「後で私の用件を聞いてもらえるなら、構いませんよ」
「ほう、それはありがたい。
さて、サティエル先生、先日の公開講座をご存じか?」
「はい、拝聴いたしました」
「なら話が早い。――太陽が中心だと思われますか?」
「いえ」
「はは、やはりそうだろう。常識的に考えれば、テラエが中心だ」
「いえ、テラエも中心ではないと思います」
「ぬ……? どういうことだね?」
「私は、どちらも“宇宙の中心”ではないと考えています」
クロヴィスが目を丸くした。
「……それはどういう意味だ?」
サティエルは一呼吸おき、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「もしテラエや太陽が本当に中心にあるのなら――
天の川のように星々が一方向に偏って見えることはないと思うのです。
もっと均一に、周囲に広がって見えるはず。
つまり……天の川の向こう側にこそ宇宙の中心があり、
私たちはその“外れ”から見ているのではないでしょうか」
これが、サティエルがひらめいた答えの一つ。
クロヴィスは口をつぐんだ。
にわかには飲み込めないが、興味を引かれる理屈だ。
「うぬぬ……とんでもない意見が出てきたぞ」
ニコルが微笑を浮かべて尋ねた。
「では、サティエル先生。テラエや太陽は、どのような位置関係にあると?」
「そうですね……もし、あらゆる天体が何かを中心に回るのが自然だとするなら、
太陽もテラエも、さらに大きな何か――別の中心の周囲を回っているのかもしれません」
「なるほど……興味深い考えですね」
「ではお尋ねしますが、あなたは私とクロヴィス、どちらの説が真実に近いと思われますか?」
サティエルは少し考え、穏やかに答えた。
「わかりません。
けれど、私の考えではお二方の言う“中心”というのは”視点”という言葉で置き換えられるのではと思うのです。
テラエから見れば、太陽も星々も動いているように見える。
太陽から見れば、テラエが回っているように見える。
どちらも同じ世界を、違う場所から眺めているだけ――そのように思うのです」
これがサティエルのひらめいたもうひとつ答え。セレネが月から見たテラエの話を聞いて以来、どこから見た様子なのかで見える風景が全く違うと学んだ結果でもあった。
室内の空気が、一瞬だけ静まった。
ニコルが柔らかく笑う。
「……同じ世界を、別の視点から見ているだけ。確かに、そうかもしれませんね」
クロヴィスは腕を組み、「ぐぬぬ……」と唸った。
「どちらの説も否定しながら、どちらも肯定するとは。だが、筋は通っている。
テラエから見ればテラエ中心の動きがあり、
太陽から見れば太陽中心の動きがある――確かに両立するのかもしれん。
いや、面白い! サティエル先生、天文学を本格的にやる気はないか?」
「いえ、私は天文学を学びたいのではなく、月のことを知りたくて。
月に関する資料がこちらにあると伺ったのです」
「あら、それはそうでしたね。クロヴィス先生、そろそろお帰りくださいな」
「ああ、長居した。悪かったな。……サティエル先生、興味深い話をありがとう」
そう言って、クロヴィスはすっかり上機嫌で研究室を後にした。
その後――。
ニコルの研究する“太陽中心の系”と、クロヴィスの“テラエ中心の系”は、
互いの欠点を補い合う形で少しずつ修正されていく。特にテラエ中心の系は大きく修正されることとなる。
後に観測技術が発達し、両者の説がどちらも矛盾なく成り立つことが確認されるのは、この日からずっと先の時代のことである。
※補足
物語中のサティエルの発言は実世界でも正しいものです。
地動説が正しくて天動説が間違いみたいな感じのイメージですが、
地球から見て、天が動いているように見えるのは事実です。
当時の技術では正確に観測や表現が出来なかったため、間違いや矛盾があったと思いますが、
もし、完全に観測や表現が出来ていたら、天動説と地動説は同じものを別の視点から見たものとなったでしょう。
むろん、地動説の系の方がシンプルですが......。




