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「ほら、乗って」
で、俺が首を縦に振ると、ハルはホウキに跨がり、その後部座席(?)を俺に勧めてきた。まあ、「ハルの見てきた景色」ってところで、予測はついてたんだけどね。
「その、あんまり引っ付いちゃダメだからね」
「解ってるよ」
「ちょ、どこ触ってんの?」
「どこも触ってねーだろ。俺が乗ったから、ホウキが動いただけだろ」
なんてやり取りを交わしながら、なんとか、お互いの、文字通り座りの良い所を見つけた。
「じゃあ、飛ぶね」
ハルは短くそう言うと、
「風よ、風の精霊よ……」
と、何度聞いたか解らない呪文を唱え始めた。いつも、最後の方は聴き取れないんだよな。まあ、聞かれちゃ恥ずかしい事でも言ってるんだろう。
と、俺が失礼な事を考えていると、急にふわっとした感覚が襲ってきた。体が持ち上げられるんだから、もっと重力を感じるんだろうと思ったが、そんな事はない。今まで自分を支えてくれていた地面が、どんどん遠くへ言ってしまう。妙な不安感があった。
やがて、俺達の視線は遊具の高さを超え、家々の屋根の高さを超え、木々の梢の高さを越えた。
「おい、これ、誰かに見られてたりしないのか?」
俺はついつい不安になって、そう訊いてしまった。だが、ハルは至って普通に、
「そんな馬鹿な事する訳ないでしょ。魔法使いが空を飛ぶ時は、外から見えない様に、いっつも結界を張ってるものなんだよ」
「へえ」
知らなかった。結界が張ってあるのか。ふうん、確かに、結構スピード出てるのに、向かい風があんまり来ないな、と、ふと下を見てしまったのが間違いだった。もう家々がジオラマの様に見える高さまで上がってしまっている。
と、ホウキが一瞬ぐらりと揺れた。
「うわあ」
「きゃっ。ちょっ、いきなり何よ」
情けない声を上げて、ハルの肩にしがみついてしまった。
「長い事飛んでなかったから、最近は感覚が鈍ってるのよ」
「安全飛行でお願いします……」
「解ったから。その手を離しなさい」
「解りました……」
俺は恐る恐るハルの肩から手を離し、出来るだけ遠くの景色を見た。
武蔵野は、たいていどこからでも奥多摩の山並みが見える。俺は昔からそれを当たり前に思っていた。夏は湿った空気の向こうに煙っていたし、冬になれば澄んだ空気の向こうに、青さを失った山々が見えた。
だけど、こうして空中に浮かんでみると、どうもいつもと違う気がする。距離的にはそんなに変わりないはずなのに、どうしてかいつもより近く見える。
遠くに見えるのは、あれは多摩川だろうか。沈みかけの太陽の最後の光を受けて、銀色のうねりが町中を貫いている。
だんだん空気が冷えてきた。
ふと上を見上げると、はっきりしない色の雲が、ぐんぐんと迫ってくる。近付くに連れて、雲は重さを無くし、輪郭がぼやけて行く。ここまで来ると、もうただの霧と見分けがつかなかった。
ただ、光だけを遮っている。
俺もハルも、一言も発しなかった。何故だろう、俺は、ハルが何かを話すまで、喋ってはいけない気がした。もしかすると、ハルも同じだったのかもしれない。
ハルはちらりと下界を見下ろすと、何の躊躇いもなく、ネズミ色の雲の中へ飛び込んだ。結界の中に霧は入ってこられないのか、俺達と少し離れた所で、雲がメチャクチャに踊った。
雲の中は暗かった。昇っているのか落ちているのか、右に進んでいるのか左へ進んでいるのか、全く解らない。
ただ、ハルは進み続けた。馴れた道を行く様に、ただ黙々と飛び続けた。
俺はずっと、そんなハルの背中を見ていた。どこまで言っても変わらない雲を見ているより、何故だかずっと安心した。
だんだんと、雲の色が明るくなって来る。もうすぐ雲の上へ出るのだろう、と俺が思った、ちょうどその時だった。
俺たちを乗せたホウキが、分厚い雲から飛び出した。俺は当然、再び太陽の光が出迎えてくれるものだと思っていた。
しかし、分厚い雲から飛び出た俺達が見たのは、もっと上にかかる鈍色の雲だった。俺達は、ちょうど、二層の雲に挟まれた様になっている。二層の雲は、だだっ広い平原の様に広がり、少し黄色がかった夕方の空が、遥か遠くから覗いていた。
突然、ハルはこちらを振り返らずに、問いかけた。
「ねえ、もう少し上に行くけど、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
短い会話が終わる。ハルはホウキを上へ向け、またスピードを上げた。今さっき突き抜けた雲がどんどん遠ざかって行き、二層目の雲がどんどん近付いてくる。
やがて、ホウキは音も立てずに、雲の中へと飛び込んだ。
今度の雲は、さっきよりも明るかった。さっきまでと違い、雲の蒸気も薄く、その合間を縫って、光が射し込んでいるようだ。
俺は、ハルの背中越しに、前を見続ける。
ホウキは更に加速を続け。
やがて、再び雲の外へ飛び出した。




