2
俺が思っていた通り、俺の家の前では、怪しい人影がうろうろと彷徨っていた。片手にビニール袋を提げ、時たまインターホンに手を伸ばしては、ぶるぶると首を振って、伸ばした手を引っ込める。
何か声を掛けてはいけない気がして、俺はしばらくその様子を見ていた。
怪しい人影は、真っ白な頬を赤く染めて、蒼い目で俺の家をじっと見つめ、また意を決した様に、インターホンへ手を伸ばす。何となく、想像がついたぞ。
「おい、ハル」
俺はじれったさと寒さに耐えられなくなり、声を掛けてしまった。
「ひゃんっ! なんだ、びっくりした。ヤマトか」
「俺んちの目の前なんだから当たり前だろ。しばらくぶりだな。どうしたんだよ」
「いや……、その……。たい焼き、食べる?」
正直、こんな短時間でたい焼きを連続で食うのは、少しキツい。が、くれると言うものは貰っておこう。
「ありがとう。あれか? 『笹子』のやつか?」
「うん」
ハルは、ビニール袋からたい焼きの入った紙袋を取り出しながら、そう言った。おお、まだ暖かいぞ。これが千種の愛ってやつか。俺がそんなしょうもない事を考えていると。
「ちょっとさ、付き合って欲しい所があるんだけど」
「俺にか」
早くも千種の愛にかぶりついていた俺を気にする風でもなく、ハルは静かにそう言った。それにしても、千種の愛は俺を体の心から温めてくれるなあ。さすが千種。
「それって、遠い所か?」
「近いと言えば近いけど、遠いと言えば遠いかな……?」
なんじゃそりゃ。まあ、ハルにその気があったかどうか解らないが、たい焼きで俺は買収されたのだ。断る義理はないだろう。
「まあ良いや。付き合うよ」
「ありがとう」
そして、ハルは見慣れた道を俺に先立って歩き、辿り着いたのは、これまた俺の良く覚えている所だった。
あの公園だ。
日が傾いてきた公園に、もう子供達の姿はなかった。すっかり彩りを失った遊具達が、静かに俺達を見下ろしている。
公園の真ん中まで歩くと、くるり、とハルが振り返った。青いチェックのプリーツスカートが、ひらりと踊る。その下の白い腿がちらりと目に入り、思わず顔をそらしてしまった。
「ちょっと話しておきたい事があったの」
ハルはそう言うと、鞄を一振りした。いつかも見た通り鞄が黒いマントへ変わり、いつの間にか反対の手には、ホウキが握られていた。
あの日以来、色々あってこいつとはゆっくり話す機会がなかった。だから、今のでやっと、彼女が魔法の樹を取り戻した事を知った。
「まずは、色々迷惑かけて、ごめんね」
「……」
俺は無言で驚いていた。ハルと、いまハルの言った言葉が、どうも似合わなかった。しかし、直後のハルの言葉はそんな疑いを全てぬぐい去った。
「私の事なのに、色々巻き込んじゃって……、怪我もさせちゃったりとかしてさ」
「いや、怪我は渓が治してくれたけど……」
色々あって、痛みを感じる暇もなかったけどな。思い返してみると、そっちの方が良かった気もする。
「ほんと、ごめん」
しゅんとしたハルと言うのも、なかなか珍しいものだ。ただ、そう思ってばかりも言ってられないだろう。
「でさ、もっと謝らなきゃいけないんだけど」
ハルは言葉を続ける。いつしか、傾きかけた空にかかった雲は、分厚さを増していた。
「もう一度、ヤマトに選んで欲しいんだ。
私に魔法が帰ってきた以上、ヤマトが握ってた私の弱みは、消えちゃったじゃない? ただ、ヤマトが魔法使いの存在を知ってしまっただけになってる。これだと……、なんて言って良いか解らないけどさ……、不公平……、じゃないかな?」
言葉を選びつつ、ハルは話した。言葉の端々に、一声一声に、ハルが悩んで来たと言う事が滲み出していた。
「だから、今のままでいるか、記憶を消すか、もっと別の方法にするか、選んで欲しいんだ。
お父さんに頼めば、もしかしたら、部分的に記憶を消せるかもしれないし。そうしたら、ヤマトは、魔法使いの事だけ、忘れられる。ヤマトが危険な目に遭う事はないし、みっちゃん達とだって、仲間でいられる。
どうかな?」
本当にこいつは、どうしてこう寂しい結末しか考えつかないんだ。これも俺の押し付けがましいイメージかもしれないけど、今のハルはらしくない。何か隠し事をしてるみたいだ。
俺は、この前と同じ様に、あの人の事を思い浮かべた。そして、またあの時と同じ様に、千種の事を思った。
知ってしまったからって、関わってしまったからと言って、なかった事にするのは卑怯だろう。
と言うか、そんな理屈っぽい事言わなくたって、俺自身、記憶をなくしたく無いのだ。
まあ、なんと言いますか。これも一つの縁ってことで。
「俺は、今のままで良いよ。お前の事、誰にも話さなきゃバレないんだろ? 楽勝だ楽勝」
俺は努めて明るく、軽くそう言った。なんならそのままハルの肩でも叩きそうな勢いだ。
「だからさ、あんまし、気にすんなって」
別にお前が悪いわけじゃないんだ。だから、そんな悲しい事言うのは止めろよ。思っただけで、声にならない言葉が、ぐわんぐわん頭の中で響いた。要するに、俺もまだまだだって事だな。
ハルはしばらく呆けた様に間抜けな顔をしていたが、ふと真面目な顔に戻ると、今度はふにゃり、と笑った。身にまとっていた冷たさや寂しさの霧が、どんどんと晴れて行くようだ。
「ありがと」
そう言ってはにかんだハルの顔は、手あかの吐いた言葉だけど、やっぱりこの世のものとは思えなかった。
「まあ、当然だ」
俺はその笑顔を直視出来ず、どうしても目を逸らしてしまう。葉の落ちきって丸裸の木々を見ていると、視界の端で、ハルが深呼吸をしていた。
「すー、はー。……良かった」
これは、聴こえなかった振りをしてやるのが、一種の優しさなんじゃないか。俺はそう思い、敢えて空気を変える様に話し掛けた。
「話って、これだけか?」
ハルは無言で首を振ると、
「ううん。ヤマトがそう答えてくれたから、迷惑かも、しれないけど、私の見てきた景色も、見ておいて、欲しいんだ」
最後の方は、もう絞り出す様にしながら、そう言った。
「ダメ……、かな?」
俺にはもう、首を縦に振る選択肢しか残されていなかった。




