27
俺は一歩、二歩、と前へ進む。ハルの背中を追い越し、翠の隣へ並んだ。その場へしゃがみ込み、黒猫と視線を合わせる。
「ヤマト……」
「おい」
翠と竜二の声が振ってくるが、無視する。そのまま、俺は片手を伸ばし、黒猫へと手を伸ばした。
しかし、猫は素直に俺の手に捕まってはくれない。シャーっ、と俺を威嚇すると、毛を逆立てて、じりじりと後退して行く。
「ちょっとあんた、何やってるのよ」
「いや、大丈夫だから」
翠のいさめる様な声が降ってくる。どこかかみ合わない言葉を返して、俺はまた猫へと手を伸ばす。
俺は手を伸ばしながら、ちらりとカタリーナの顔を盗み見た。苦虫をかみつぶした様な顔とは、こう言う顔を言うんだろう。皺に埋もれていた顔に、更に深い皺がいくつか現れている。
あと少し、あと少しで、猫に手が届く。
しかし、カタリーナはどこまでも、そう言う奴だった。
「小賢しい坊主め」
冷たい声とともに、猫の目が怪しく光る。と。
黒猫の周りに土ぼこりが舞い始める。やがて黒猫の姿は土ぼこりに掻き消えて行った。
「切り刻め」
カタリーナの声と同時に、土ぼこりの中から、いつか見た風のブーメランが躍り出た。俺は間一髪でそれを避けると、また黒猫、いや、土ぼこりのカーテンへ向き合った。黒猫に逃げられちゃ行けない。
こいつに逃げられたら、ハルの魔法の樹が、戻ってこない。こいつに逃げられたら、ハルは苦しむはずだ。こいつに逃げられたら、こいつに逃げられたら……。
気付いた時には、俺は猫へと飛びついていた。手に柔らかい毛の感触を感じ、すぐさま抱き込む。
「さあ、切り刻め、切り刻めえっ!」
「うるさいこのババア! エメちゃん!」
「うああああい」
ゴーレムの足音が響く。俺の腕の中の猫は、一度だけいやそうに俺の胸を押したが、もう抵抗する事はなかった。しかし。
「お前はッ、私のッ、邪魔をするのか!!」
カタリーナの半狂乱の声が降ってきた。ただ恐ろしいだけじゃない。どこか脆そうな響きも混ざっている。
「またッ、私の邪魔をッ、するのか!!」
そして、ひゅう、と苦しげな息の音が聴こえ。
「風の精霊よ! 我に力を貸したまえ! 散らせ! この者達を、散らせぇっ!」
「危ないっ!」
ハルの声が飛んだ。それと同時に、物凄い風が吹いた。もう、風の中から、冷酷さは消えていた。ただただ混乱した熱狂だけが、風に混ざって俺達へ吹き付ける。
「お前は、私の邪魔をしようと、した!! お前には、それがどんな事か、解るか!!」
カタリーナに俺の言葉は通じなさそうだ。
「風よ! 切り刻め!」
カタリーナが俺へ腕を一閃してみせた。咄嗟に地面に伏せると、背中に鋭い衝撃が走る。一瞬の後、歯を食いしばってしまう程の痛みが、背中に訪れる。
「ヤマト! ちょっとこっち来い」
竜二の声が飛び、次の瞬間、俺の襟ぐりが誰かに掴まれ、ずりずりと引っ張られた。俺は猫だけは逃がさない様に、ぎゅっと、強く抱きしめる。
「よくも……、なんて事をしてくれたんだ!」
翠の叫びが聴こえてきた。
「ハルちゃんも、ヤマトも、竜二も、私の仲間なんだよ!」
「俺の名前、最後かあ」
振り向くと、俺の襟を引っ張っているのは紛れもなく渓で、彼女とともに歩いているのは、こちらも紛れもない竜二だった。
「ちょ、お前、何で俺を」
「いいから。その傷、直してやるよ」
「おい、カタリーナはどうするんだよ?」
「まあ、お前も俺も、ああ言う殴り合いには何の役にも立たないからな」
そう言うと、渓は乱雑に俺を地面に落とすと、背中の側に回った。
「ああー、マスター。かなりざっくり行ってますよ。ちょっと手間取るかもです」
「そうか、迷惑かけるな、間抜けな幼なじみのためにさ」
ちょっと話が見えない。俺はゴーレムと風の魔法使いが、土ぼこりを巻き上げながら殴り合っているのを見ながら、竜二へと問いかけた。
「……痛っ。直すって、この怪我をか? 誰が?」
「風の魔法と、土の魔法で、人の体を直せると思うか?」
「いや、思わねえけど」
「だよな。人の体はほとんどが水で出来てるんだ。水の魔法が一番効率がいい」
「なる……、ほど……?」
俺は釈然としないながらも、そのまま地面に座っていた。背中に渓の冷たい手が当てられ、少し肩をすくめてしまう。
こうして離れた所から眺めていると、どうにも非現実的な光景だった。ゴーレムも、風を操る老婆も、神話かおとぎ話の中の登場人物の様だ。
でも、俺がさっき目の当たりにしたのは、これ以上ない程生々しい醜さだ。
俺の腕の中で、猫がみゃあ、と鳴き、面倒くさそうにあくびをした。




