10
俺はさっと目を逸らし、口笛を吹きながら横町の中を進もうとした。途端にぐい、とコートの襟が引っ張られる。心臓が口から飛び出そうになる。うわ、やべえよ、ぜったイ。
「まだ、話は、終わってないんだけど」
「ハイ、ナンデ、ショウ?」
「私がなんで怒ってるか解る?」
「エット……、ナンデデショ、ウカ……?」
「あんたが私に教えてくれなかったからよ!」
般若が、金剛力士像へとトランスフォームした。碧眼の鋭い眼光、つり上がった眉、花に寄った皺。そして、柔らかそうな金の髪の毛は、風もないのにゆらゆらと揺れていた。もしかして、ハルの中に残った魔法の樹の根っこが、小さな力で風を起こしているのだろうか?
「お父さんならばらしたって大丈夫じゃない! あの人だってどうせみっちゃんからもその事聞いてたのよ! だからヤマトにカマかける様な真似が出来たんじゃない!! それなのにヤマトったらまんまと引っ掛かった上にうじうじうじうじ悩んでさ! 人間関係の基本がホウ・レン・ソウだって事くらい教わらなかったのって言うかまじでムカつく何でか解らないけど隠し事されたってだけで腹立つ!!」
そして、大きく息を吸い込むと、
「あーーーーーーーーっ、ほんっっっとにムカつく!!」
と吠えた。近くの飲み屋のおばちゃんや、雑貨屋のおじさんや、横町をぶらつくおっさんが、「なんだ?」とか言いながら出て来た。俺は振り返って、その人達に曖昧な釈明の笑みを送る。
でも、暴風の様な失跡の言葉に、俺は叩きのめされていた。こいつ、何が「私が何で怒ってるか解る?」だ。自分で「何でか解らないけど」って言ってんじゃねえか。
「要するに、俺が隠し事して、お前に黙ってずっと悩んでたから、怒ってるんだな?」
「勝手にまとめないでよ! 多分合ってるけど」
ハルは吠えながらも、一応それを認めた。なら、話は簡単だ。俺の悩みも、ハルの怒りも、同時に納得させられる、合理的なやり方がある。
「悪かった、ハル」
謝るのだ。頭を下げるのだ。一番合理的で、俺も、相手も幸せだ。しかし。
「ヤマトが謝れば良いってもんでもないでしょ」
俺の頭の上から声が降って来た。恐る恐る顔を上げる。金剛力士像ではない、般若でもないハルがいた。毒気を抜かれた様な顔で、それでもなんだかもやもやの残る表情だった。
「お父さんとみっちゃんが組んでたって話も聞き出してるし、ヤマトだけが悪いんじゃないって言う事も解ってる。けどさ……」
「けど……?」
「なんかもやもやするんだよぉーーーーっ、むぐ!?」
ハルはもう一度吠えようとした。俺はあわててハルの口を両手で塞ぐ。ハルは目を白黒させながら「むががーーーーーー!!」と両手を振り回してもがいた。俺は、思ったより華奢な体を傷つけない様にしながら、抑え続ける。
「ちょ! ちょっと、落ち着けって! また人が集まっちゃうだろ」
「むがーーーーーー!」
ハルは両手を大きく振り回すと、「ちょき」を俺の目の前に突きつけた。次の瞬間、二本の指の先からぷしゅっ、と小さな風が吹き、俺の両目を直撃した。
結構いたかった。何せ、乾いた風が自分の眼を直撃するのだ。
「うっ……」
思わず目を押さえてしまう。自由を取り戻したハルは、自分の指先を見つめながら、
「まあ、そう言う事だから」
と言った。俺は未だに目をゴシゴシやっては、しぱしぱと目をしばたたかせていた。これ、ドライアイの人にやったらヤバいぞ……。
そうしている間に発せられたハルの言葉の意味を、俺は考えた。もやもやする、と言う事だけを伝えられて、俺はどうすれば良いのだろう? なんて応えたら良いんだろう?
しかし、その言葉の答えを待たずに、ハルはぱちん、と手を打った。まるで、もうこの話は終りね、とでも言っている風な音だった。
「それで、さっきの子、千種ちゃんだっけ、その子と、どういう関係なの?」
「まあ、小さい頃からの友達だよ。お前、それ聞いてどうするんだ」
「どうもしない。ただ、覚えておくだけ」
「覚えておいて?」
「『小さい女の子』が好きなんだなあって、思っておく」
ハルは『小さい女の子』の所を、なぜか強調して言うのだった。
「止めろ、俺がまるでロリコンみたいじゃねーか」
「え? 別に、『小さい女の子』としか言ってないし? 単に『子供』好きなんだなあ、と思っただけだよ? 千種ちゃんがヤマトの性的興奮の対象だなんて、言ってないし?」
明らかに、今のハルは悪意の塊だった。ハルの挑発に引っ掛かってしまった事を悟った俺は、ごまかす様に咳払いをして、
「まあ、お前の秘密も喋っちゃったし、俺も話す事は話しとくか」
と腹を決めた。まあ、それほど長くなる話でもないし、話しても損は無いか。




