第5話 俺たち、付き合ってることになりまし
「付き合っている」と噂されるようになった蓮と美緒。二人は周囲の目をかわすため、三か月限定の偽装カップルになる。ところが、次第に芽生える嫉妬や戸惑い、そして美緒が隠している「好きな人」の存在が、二人の関係を少しずつ変えていく――。
人生には、どうしてこうなったのか理解できない瞬間がある。
俺にとって、その日は金曜日だった。
「……もう一回言ってくれ」
俺は教室の後ろで固まっていた。
目の前には、美緒。
そして、その横にはクラスメイトの高橋と女子数人。
「だから」
高橋がニヤニヤしながら言う。
「お前ら、付き合ってるんだろ?」
「違う」
「即答かよ」
「違うものは違う」
美緒も頷く。
「そうです。私たちは付き合っていません」
「でもさぁ」
女子の一人が言った。
「最近、二人で帰ってるところ見たよ?」
「……」
「佐伯さん、如月のネクタイ直してたよね?」
「……」
「この前なんて、二人で同じ傘に入ってたじゃん」
「……!」
美緒の顔が赤くなる。
まずい。
誰かに見られていたらしい。
「それに」
高橋が追い打ちをかける。
「昨日の放課後、二人とも同じタイミングでいなくなっただろ」
「偶然だ」
「へえ」
「本当に偶然だ」
「じゃあ聞くけど」
高橋が美緒を見る。
「佐伯さん。如月のこと、好き?」
「……」
美緒が黙った。
俺も黙る。
教室の空気が一瞬で変わった。
美緒がゆっくり口を開く。
「……好きではありません」
「おお!」
「……」
俺はなぜか胸の奥が少しだけ痛んだ。
意味が分からない。
別に、こいつに好きだと言われたいわけじゃない。
俺だって美緒のことを好きじゃない。
なのに。
どうして、こんな気持ちになるんだ?
「じゃあ、付き合ってないんだな?」
「はい」
美緒は答えた。
その瞬間。
教室の後ろから、男子の一人が言った。
「じゃあ、俺、佐伯さんに告白してもいい?」
「……え?」
俺の口から、思わず声が漏れた。
放課後。
俺は一人で廊下を歩いていた。
なぜか、さっきの言葉が頭から離れない。
――俺、佐伯さんに告白してもいい?
別に、いいだろ。
俺には関係ない。
美緒が誰と付き合おうが。
誰と帰ろうが。
誰と結婚しようが。
……結婚?
「いや、まだ決まってないだろ」
俺は自分に言い聞かせた。
すると。
「如月くん」
後ろから声がした。
振り返る。
美緒が立っていた。
「何?」
「少し話があります」
「何だ?」
「……今日のことです」
「ああ」
俺は壁にもたれた。
「告白されるんだってな」
「……はい」
「よかったじゃん」
「……」
「人気者だな」
「……嬉しくないです」
「え?」
美緒は俺を見た。
「私は、好きでもない人と付き合うつもりはありません」
「……そうか」
なぜか安心した。
そして、そのことに自分で驚いた。
「それで?」
「もし、また誰かに聞かれたら」
美緒が少し迷ってから言った。
「私たち、付き合っていることにしませんか?」
「……は?」
「偽装です」
「なんで?」
「今のままだと、毎日のように聞かれます」
「それは確かに……」
「それに、私に告白しようとしている人にも、断りやすくなります」
「なるほど」
俺は考えた。
確かに合理的だ。
俺と美緒が付き合っていることになれば、面倒な質問も減る。
「でも、なんで俺なんだ?」
「……」
美緒が黙る。
「他の男子でもいいだろ」
「……あなたが一番、都合がいいからです」
「それ、ちょっと傷つくな」
「すみません」
美緒は少し笑った。
「それに――」
「ん?」
「あなたなら、変な期待をしないと思ったので」
「……それはどういう意味だよ」
「そのままの意味です」
「失礼だな」
「お互い様です」
俺はため息をついた。
「分かった」
「本当ですか?」
「ああ。三か月限定の偽装カップルだ」
「ありがとうございます」
美緒が笑う。
その笑顔を見て――
俺は思った。
……まただ。
最近、こいつの笑顔を見ると、少しだけ嬉しくなる。
翌朝。
教室に入った瞬間。
「おい! 如月!」
高橋が飛んできた。
「何だよ」
「聞いたぞ!」
「何を?」
「佐伯さんと付き合ってるって!」
「……」
昨日の話がもう広まっている。
俺は美緒を見る。
美緒は俺を見る。
そして――
「はい」
「「え?」」
クラス中が静かになった。
美緒は平然と答えた。
「私たち、付き合っています」
「……!」
俺は思わず固まった。
事前に打ち合わせはしていた。
でも。
実際に聞くと、妙に恥ずかしい。
「マジかよ!」
「いつから!?」
「どっちから告白したの!?」
「どこまで進んでるの!?」
「一緒に帰ったりする!?」
質問が一気に飛んでくる。
「落ち着いてください」
美緒が両手を上げる。
「付き合い始めたのは最近です」
「如月から告白したの?」
「……」
美緒が俺を見る。
俺は頷いた。
「俺から」
「うおおお!」
「マジか!」
「意外すぎる!」
「じゃあ、佐伯さんのどこが好きなんだよ!」
「……」
俺は考える。
どこが好き?
そんなの、分からない。
適当に答えればいい。
そう思った。
でも。
口から出てきた言葉は、予想外だった。
「……料理がうまいところ」
「そこ!?」
教室が爆笑に包まれる。
美緒の顔が真っ赤になる。
「如月くん……!」
「悪い!」
「もっと他にあるでしょう!」
「急に聞かれたから!」
「……」
美緒は恥ずかしそうに俯いた。
そして小さな声で。
「……でも、嬉しいです」
「え?」
「何でもありません」
* * *
それから一週間。
俺たちは「偽装カップル」として学校生活を送ることになった。
問題は――
思っていた以上に大変だったことだ。
「如月くん」
「何?」
「手を」
「……は?」
「カップルなら、手くらい繋ぐでしょう」
「いや、必要か?」
「疑われます」
「……」
俺は手を差し出す。
美緒がそっと握る。
「……」
「……」
心臓がうるさい。
ただ手を繋いでいるだけなのに。
「……熱いですね」
「お前もだろ」
「私は普通です」
「いや、絶対緊張してるだろ」
「してません」
「顔赤いぞ」
「如月くんもです」
「……」
何も言えなくなった。
そのまま校舎を歩く。
周囲から視線が集まる。
「見られてるな」
「仕方ありません」
「これ、本当に必要だったのか?」
「必要です」
美緒は俺の手を離さない。
……いつまで握ってるんだ?
そう思ったけれど。
俺も、離さなかった。
昼休み。
俺が教室で弁当を食べていると、例の男子が美緒のところへ向かった。
「佐伯さん」
「はい?」
「……少し話したいんだけど」
「はい」
男子が美緒を連れて教室の外へ出ていく。
「……」
俺は弁当を食べ続ける。
気にするな。
ただの告白だ。
美緒には俺という彼氏がいる。
だから断る。
それだけだ。
「……」
なのに。
なぜか気になる。
十分。
二十分。
なかなか戻ってこない。
「……長くないか?」
俺は箸を置いた。
別に心配しているわけじゃない。
ただ――
そう。
ただの確認だ。
俺は教室を出た。
廊下の先。
美緒と男子が話している。
俺は壁の陰に隠れた。
「……本当に好きなんです」
男子の声。
「すみません」
「如月のことが好きなんですか?」
「……」
美緒が黙る。
「……はい」
胸が、ドクンと鳴った。
その瞬間。
「――え?」
俺は思わず声を出しそうになった。
だが。
美緒が続けた。
「でも……」
「?」
「私たちは、本当の意味では付き合っていません」
俺は固まった。
「え?」
「今は……そういうことになっているだけです」
男子が驚く。
「じゃあ、まだ可能性は――」
「ありません」
美緒ははっきり言った。
「私は……誰とも付き合うつもりはありません」
「どうして?」
「……好きな人がいるからです」
俺の心臓が止まりそうになった。
「誰ですか?」
「……」
美緒は答えなかった。
男子が去っていく。
美緒が一人になった。
俺は姿を現す。
「……佐伯」
「……!」
美緒が振り返った。
「いつからそこに?」
「今来た」
「……嘘ですね」
「……まあ」
美緒がため息をつく。
「聞きました?」
「ああ」
「……そうですか」
「好きな人、いるんだな」
「はい」
「誰?」
「教えません」
「俺には言えよ。偽装彼氏だろ?」
「……」
美緒が俺を見る。
その目が、少しだけ悲しそうだった。
「……あなたには、一番言えません」
「なんで?」
「言ったら――」
美緒は言葉を止めた。
「……何でもありません」
そして歩き出す。
「待てよ」
「何ですか?」
「その好きな人って……」
俺はそこで言葉に詰まった。
なぜ聞きたいのか、自分でも分からない。
「……俺の知ってる奴?」
美緒は少しだけ笑った。
「ええ」
「誰?」
「秘密です」
そう言って、美緒は先に歩いていった。
俺はその背中を見つめる。
胸の奥が、妙にざわついていた。
――その日の帰り道。
俺たちはいつものように、少し離れて歩いていた。
「なあ」
「はい?」
「今日のことなんだけど」
「何でしょう?」
「お前が好きな奴って――」
「まだ気にしているんですか?」
「いや、別に」
「……」
美緒は少し笑った。
「では、質問です」
「何?」
「もし、私に好きな人がいたら――」
美緒が立ち止まる。
「あなたは、どう思いますか?」
「……」
俺は答えられなかった。
どう思う?
普通なら。
友達なら。
よかったな、と言うところだ。
でも。
俺は――
「……嫌だ」
気づいたときには、口にしていた。
美緒の目が大きく開く。
「……え?」
「……いや」
俺は慌てて言い直す。
「偽装彼氏としての立場的にだ」
「……そうですか」
美緒は俯いた。
そして。
小さく笑った。
「それなら……よかったです」
「何が?」
「……何でもありません」
彼女はまた歩き始めた。
俺もその隣を歩く。
いつもより少しだけ近い距離で。
けれど。
俺はまだ気づいていなかった。
あのとき感じた「嫌だ」という気持ちが。
ただの偽装カップルとしての演技ではなかったことを。
そして美緒も。
俺に見えないように、そっと胸元を押さえていた。
――お願い。
これ以上、優しくしないで。
これ以上、私を期待させないで。
だって。
もし蓮が本当に私を好きになったら――
私は、もう彼から離れられなくなるから。




