第3話 学校では嫌い、家では――
同居生活が始まって数日。学校では今まで通り「犬猿の仲」を演じる蓮と美緒だったが、家では少しずつ距離が変わり始めていた。そんな二人の関係を、クラスメイトたちは不審に思い始める。秘密の同居生活を守りながら、蓮は美緒の知られざる一面に気づいていく。
第3話 学校では嫌い、家では――
月曜日。
俺はいつもより早く学校へ着いた。
理由は一つ。
佐伯美緒と一緒に登校しているところを誰かに見られたくない。
昨日から俺たちは同じマンションで暮らしている。
しかし、それを知っているのは両家の家族だけ。
学校でバレれば、面倒なことになる。
特に、美緒はクラスで目立つ。
そんな女子と同居しているなんて知られたら――
「如月」
「……何?」
教室に入った瞬間、男子の友人である高橋が肩を組んできた。
「お前、今日やけに早くね?」
「たまたまだ」
「ふーん」
高橋は俺の顔をじっと見る。
「なんか怪しいな」
「何が?」
「昨日の夜、駅前でお前に似た奴を見たんだよ」
「……」
心臓が一瞬だけ跳ねた。
「まあ、似た奴なんてどこにでもいるけどな」
「そうだな」
俺は笑ってごまかした。
危なかった。
そのとき。
教室の扉が開いた。
「おはようございます」
美緒が入ってきた。
いつも通り。
完璧な制服。
整った髪。
冷静な表情。
クラスメイトたちに挨拶をしながら、自分の席へ向かう。
そして俺の横を通り過ぎる瞬間――
「……おはようございます」
「……おはよう」
小声で挨拶を交わした。
ただ、それだけ。
それなのに。
なぜか昨日までとは違う感覚があった。
昨日の夜、同じ家にいたからだ。
朝食を食べた。
同じテーブルに座った。
同じ玄関から出た。
そして今、同じ教室にいる。
変な感じだった。
「如月くん」
「何?」
「ネクタイが曲がっています」
「え?」
美緒が手を伸ばしてくる。
「ちょっ――」
彼女の指が俺のネクタイに触れた。
きゅっ、と結び目を直す。
「これで大丈夫です」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
美緒は何事もなかったように席へ戻った。
俺も席に座る。
すると――
「……お前ら、仲良くなった?」
高橋が呟いた。
「は?」
「今、佐伯さんがお前のネクタイ直したぞ」
「たまたまだ」
「へえ……」
高橋はニヤニヤしている。
「まさか――」
「違う」
「まだ何も言ってねえぞ?」
「どうせくだらないことだろ」
「お前、最近佐伯さんのこと庇うよな」
「庇ってない」
「昨日も『佐伯は料理できそう』って言ってたじゃん」
「……」
なぜ知っている。
もちろん、高橋には話していない。
俺は視線を逸らした。
「気のせいだ」
「怪しいなぁ」
昼休み。
俺は一人で弁当を食べていた。
すると。
「如月くん」
「ん?」
美緒が目の前に立っていた。
「これ」
小さな袋を差し出してくる。
「何?」
「昨日作りすぎたので」
「……弁当?」
「おかずです」
袋を開ける。
中には卵焼きが入っていた。
「これ、昨日の?」
「はい」
「うまかったぞ」
「……そうですか」
美緒が少し嬉しそうにする。
その瞬間。
「おいおいおい!」
背後から高橋の声。
「何してんの、お前ら!」
「うるさい!」
クラス中の視線が集まる。
「佐伯さんが如月に弁当渡してる!」
「違います!」
美緒が珍しく慌てた。
「これは、その……」
「昨日の夕飯の余りです」
「昨日の?」
高橋が首を傾げる。
「なんで佐伯さんが如月のために夕飯作ってんの?」
「……」
「……」
俺と美緒は同時に黙った。
まずい。
非常にまずい。
「えっと……」
美緒が口を開く。
「弟に作る練習です」
「弟?」
「はい」
「佐伯さん、弟いたっけ?」
「……」
美緒の表情が固まった。
俺は慌てて口を挟んだ。
「遠い親戚だよ!」
「いや、意味分かんねえ!」
クラス中から笑いが起きる。
美緒が俺を睨む。
「……後で話があります」
「俺のせいじゃないだろ!」
「あなたが余計なことを言うからです」
「お前のほうが怪しいだろ!」
「声が大きいです」
「お前が――」
そのとき。
俺たちのやり取りを見ていた女子の一人が笑った。
「でも、なんか二人って最近ちょっと変わったよね」
「え?」
「前はもっと本気で仲悪かったじゃん」
俺と美緒が顔を見合わせる。
「……そうですか?」
「うん。今はなんか……」
彼女はニヤッと笑った。
「夫婦みたい」
「「違う!」」
俺たちの声が教室中に響いた。
* * *
放課後。
俺は美緒と二人で帰ることになった。
もちろん、学校から少し離れたところまで別々に歩いたあと、周囲を確認してからマンションへ向かう。
「今日、危なかったな」
「誰のせいですか?」
「半分はお前だろ」
「私は普通におかずを渡しただけです」
「それが問題なんだよ」
「では、明日から渡しません」
「……」
なぜか、それは少し残念だった。
「いや……別に、渡してもいいけど」
「どちらですか?」
「……渡してください」
「分かりました」
美緒は小さく笑った。
俺も笑う。
そして――
気づいた。
俺たちは、普通に会話している。
学校なら絶対にありえない。
どうしてだろう。
家では、こいつのことをそこまで嫌いだと思わない。
むしろ――
「如月くん?」
「ん?」
「どうしました?」
「いや」
俺は頭を振った。
「何でもない」
* * *
マンションに帰る。
俺が靴を脱いでいると、美緒がキッチンへ向かった。
「夕食、何がいいですか?」
「何でもいい」
「それが一番困ります」
「じゃあ、カレー」
「昨日も食べました」
「じゃあオムライス」
「子供ですか?」
「うるさい」
そんな会話をしながら、俺はリビングのソファに座った。
不思議だった。
昨日まで他人だったはずなのに。
今では、こいつが家にいることが当たり前になりつつある。
しばらくして。
「できました」
テーブルに料理が並ぶ。
「……うまそう」
「どうぞ」
俺たちは向かい合って食べ始めた。
「そういえば」
俺は箸を止めた。
「お前って、なんで料理できるんだ?」
「……母に教えてもらいました」
「へえ」
「小さい頃からです」
「そうなんだ」
美緒の手が止まった。
「……弟のために」
「弟?」
「……はい」
昨日の写真を思い出す。
あの写真に写っていた、もう一人の少年。
俺は少し気になった。
「なあ」
「はい」
「昨日の写真に――」
その瞬間。
美緒の顔から笑顔が消えた。
「その話は、しないでください」
「……分かった」
俺はそれ以上聞かなかった。
しばらく沈黙が続く。
やがて美緒が口を開いた。
「すみません」
「別にいいよ」
「……ありがとうございます」
その声は、とても小さかった。
* * *
その夜。
俺は喉が渇いて、部屋から出た。
リビングには明かりがついていた。
「……まだ起きてるのか?」
美緒がソファに座っている。
手にはスマートフォン。
「眠れなくて」
「珍しいな」
「そうですね」
俺は冷蔵庫から水を取り出した。
そのとき。
美緒のスマートフォンが鳴った。
彼女は画面を見る。
そして――
顔色が変わった。
「……もしもし」
美緒が電話に出る。
俺は聞くつもりはなかった。
だけど。
「はい……分かっています」
「……その件は、私が何とかします」
「蓮には――」
俺の名前が聞こえた。
美緒が俺を見る。
目が合った。
彼女は慌てて立ち上がった。
「……今は、隣にいます」
俺は固まった。
誰と話している?
何の話だ?
美緒はリビングから出ていく。
ドアの向こうから声が聞こえる。
「はい」
「……分かっています」
「でも、あの人には関係ありません」
「だから――」
そこで声が小さくなった。
俺は何も聞かなかったことにして、自分の部屋へ戻った。
ベッドに横になる。
だが、頭の中から離れない。
「蓮には関係ありません」
どういう意味だ?
俺に隠していることがある。
それだけは、確信できた。
* * *
翌朝。
俺が玄関で靴を履いていると、美緒が後ろから声をかけてきた。
「如月くん」
「ん?」
「昨日の夜のことですが」
「……何?」
「何も聞いていませんよね?」
俺は少し考えた。
「聞いてない」
「……本当に?」
「ああ」
美緒は安心したように息を吐いた。
「そうですか」
俺は玄関のドアを開ける。
そのとき。
「じゃあ、行ってきます」
「……はい」
俺は一歩外へ出た。
そして、ふと思った。
「行ってきます」
今まで家族にしか言ったことのない言葉だった。
なのに――
昨日から、自然にこいつにも言っている。
そして美緒も。
まるで本当の家族みたいに。
俺の背中に向かって言った。
「……行ってらっしゃい、蓮」
俺は振り返った。
美緒は、自分でも驚いたような顔をしていた。
「……今、名前で呼んだ?」
「……」
美緒の頬が赤くなる。
「忘れてください」
「いや、無理だろ」
「忘れてください」
「絶対忘れない」
「……意地悪です」
そう言って、美緒は笑った。
その笑顔を見た瞬間。
俺は初めて思った。
もしかしたら。
俺は――
この女のことを、本当に嫌いではないのかもしれない。
ただ。
まだ俺は知らなかった。
美緒が俺に隠している秘密が。
俺自身の過去にも関係していることを。




