第2話 最悪の同居生活
昨日、突然知らされた「卒業後の結婚」という運命。俺は佐伯美緒との結婚を断るつもりだった。だが翌朝、父から告げられたのは、さらに衝撃的な事実だった。三か月間、美緒と同じ家で暮らすことになったのだ。最悪の同居生活が、こうして始まった――。
翌日の朝。
俺は目覚まし時計が鳴る三分前に目を覚ました。
理由は簡単だ。
昨日の出来事が夢ではなかったことを思い出したからだ。
「……結婚、か」
ベッドの上で呟く。
高校二年生の俺にとって、結婚なんてまだまだ先の話だと思っていた。
それなのに。
昨日、突然両親から告げられた。
卒業したら――
佐伯美緒と結婚する。
「ありえないだろ……」
俺は頭を抱えた。
よりによって、あいつと。
クラスで一番嫌いな女子。
テストでは俺の上にいる。
俺が寝坊すれば「自己管理ができていませんね」と言う。
俺が授業中に眠れば「起きてください」と教科書で頭を叩いてくる。
俺が何か言えば反論する。
俺が何もしなくても、なぜか絡んでくる。
そんな女と結婚?
……無理だ。
絶対に無理。
俺はベッドから起き上がった。
そして洗面所へ向かう。
顔を洗い、制服に着替え、朝食を食べる。
いつも通りの朝。
そう思っていた。
だが。
「蓮」
父さんが新聞を畳んだ。
「今日から、佐伯さんと一緒に暮らしてもらう」
「…………」
俺は箸を止めた。
「……何?」
「だから、今日から同居だ」
「聞き間違いだよな?」
「聞き間違いじゃない」
「なんでだよ!」
俺は椅子から立ち上がった。
「昨日は卒業後に結婚するって話だっただろ! なんで今日から同居になるんだよ!」
「お互いのことを知るためだ」
「知りたくない!」
「まあ、そう言うと思った」
父さんは平然としている。
「だから三か月だ」
「三か月?」
「ああ。三か月一緒に暮らして、それでも結婚したくないなら、両家で話をする」
「……」
俺は頭を抱えた。
三か月。
たった三か月。
そう考えれば短い。
短い……はずなのに。
なぜか、とてつもなく長く感じた。
「ちなみに、今日から住む家はもう用意してある」
「仕事が早すぎるだろ!」
母さんが笑う。
「美緒ちゃんの荷物も、もう運んであるみたいよ」
「もう!?」
その瞬間。
俺のスマートフォンが鳴った。
画面を見る。
メッセージの送り主は――
佐伯美緒。
『駅前のマンションに先に行っています』
続けてもう一件。
『遅刻しないでください』
「……」
俺はスマホを握りしめた。
「朝から腹立つな、あいつ……」
* * *
学校が終わった。
俺はそのまま駅前のマンションへ向かった。
指定された部屋の前に立つ。
鍵を差し込む。
ドアを開ける。
「……広いな」
一人暮らしには十分すぎる部屋だった。
リビング。
キッチン。
浴室。
そして、左右に二つの寝室。
「……」
俺は安心した。
さすがに同じ部屋ではなかったらしい。
それだけでも救いだった。
「遅いです」
「うわっ!」
突然、背後から声がした。
振り返る。
美緒が立っていた。
制服姿。
長い黒髪。
手には買い物袋。
「お前、いつからいたんだよ!」
「五分ほど前です」
「普通に声かけろよ!」
「何度か声をかけました」
「嘘つけ!」
「本当です」
美緒はそう言いながら部屋に入っていった。
そしてリビングを見回す。
「思ったより綺麗ですね」
「お前の家じゃないだろ」
「今日から三か月は私も住みますから」
「……そうだった」
俺はため息をついた。
美緒は持ってきた荷物をキッチンへ置く。
「食材を買ってきました」
「料理するのか?」
「します」
「意外だな」
「どういう意味ですか?」
「いや……お前、料理とかしなさそうだから」
「あなたは私を何だと思っているんですか?」
「冷たい完璧超人」
「……」
美緒がじっと俺を見る。
「何?」
「今の発言、覚えておきます」
「なんでだよ」
「あとで後悔させます」
「怖いこと言うな!」
美緒は小さく笑った。
……まただ。
学校ではほとんど見ない笑顔。
俺は少しだけ違和感を覚えた。
「……何?」
「いや」
「何か言いたそうですね」
「別に」
美緒は俺から視線を逸らした。
「そうですか」
* * *
夕食の時間。
テーブルの上には、きれいに並べられた料理があった。
焼き魚。
味噌汁。
野菜炒め。
そして白いご飯。
「……普通にうまそう」
「普通に、は余計です」
「いや、本当にうまそうだなって」
「食べてみてください」
「いただきます」
一口食べる。
「……うまい」
思わず声が出た。
「本当に?」
「ああ」
「……そうですか」
美緒は嬉しそうに箸を動かした。
「なんだよ」
「何がですか?」
「いや、嬉しそうだなと思って」
「別に」
「笑ってるじゃん」
「笑ってません」
「笑ってるだろ」
「気のせいです」
「絶対笑ってる」
「うるさいです」
美緒は少しだけ頬を赤くした。
俺は思った。
学校にいるときとは、全然違う。
家では、こんな顔をするんだ。
――そのときだった。
「如月くん」
「ん?」
「一つ、ルールを決めませんか?」
「ルール?」
「はい」
美緒は箸を置いた。
「同居する以上、お互いに守るべきことがあります」
「例えば?」
「一つ目。相手の部屋には勝手に入らない」
「賛成」
「二つ目。私物には触らない」
「それも賛成」
「三つ目。学校では今まで通り」
「どういう意味?」
「私たちが同居していることは、誰にも言わない」
「……まあ、それはそうだな」
クラス中に知られたら大騒ぎになる。
特に男子。
美緒はクラスでもかなり人気がある。
俺と同居しているなんて知られたら、俺の学校生活は確実に終わる。
「そして最後」
美緒が少しだけ間を置いた。
「四つ目」
「何?」
「この三か月間――」
美緒は俺を真っ直ぐ見た。
「恋愛感情を持たないこと」
「…………」
「お互いに、です」
俺は少し考えてから笑った。
「そんなの簡単だろ」
「そうですね」
「そもそも俺たちは仲が悪いんだし」
「……はい」
「俺がお前を好きになるなんて、絶対にない」
「……そうですか」
美緒は俯いた。
なぜか、その表情が少し寂しそうに見えた。
俺は首を傾げる。
「お前は?」
「私ですか?」
「ああ。俺のこと好きになる可能性は?」
冗談半分で聞いた。
美緒は一瞬だけ固まった。
そして――
「ありません」
即答だった。
「ですよね」
俺は笑った。
「じゃあ問題ないな」
「……はい」
美緒も笑った。
でも。
その笑顔は、なぜか悲しそうだった。
* * *
夜。
俺は自分の部屋でベッドに横になっていた。
静かだ。
隣の部屋には、美緒がいる。
それだけで落ち着かない。
俺は天井を見ながら考える。
三か月。
たった三か月だ。
その間、何も起こらなければいい。
そして卒業したら、この結婚話を終わらせる。
それでいい。
そう思った。
――そのとき。
隣の部屋から物音が聞こえた。
ガタッ。
「……?」
続いて、何かが落ちる音。
俺はベッドから起き上がった。
廊下へ出る。
「佐伯?」
返事がない。
俺は少し迷った。
部屋には勝手に入らない。
さっき決めたルールだ。
だが――
「佐伯、大丈夫か?」
「……」
やっぱり返事がない。
俺はドアをノックする。
「入るぞ」
ゆっくりドアを開けた。
部屋の中。
美緒は床に座っていた。
その手には、一枚の古い写真。
「……如月くん?」
「大丈夫か?」
「……はい」
美緒は慌てて写真を隠した。
「何でもありません」
「そうか?」
「はい」
俺は写真を見ようとした。
だが、美緒はそれを胸に抱いた。
「……見ないでください」
「分かった」
俺はそれ以上聞かなかった。
そして部屋を出ようとした。
「如月くん」
「ん?」
「……ありがとうございます」
「何が?」
「何も聞かないでくれたこと」
「別に」
俺はドアを閉めた。
その数秒後。
部屋の中から、小さな声が聞こえた。
「……ごめんなさい」
俺には、その意味が分からなかった。
ただ――
その夜。
俺はなかなか眠れなかった。
そして同じ頃。
隣の部屋で、美緒も一人、写真を見つめていた。
そこには――
幼い頃の俺と、美緒。
そして、もう一人の少年が写っていた。
写真の裏には、たった一行。
『蓮を守ってくれて、ありがとう』
美緒は写真を握りしめる。
「……だから私は、あなたに嫌われなきゃいけない」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
――俺はまだ知らない。
俺たちが結婚する理由よりも。
なぜ美緒が、俺に嫌われようとしているのか。
その理由のほうが、ずっと重要だったことを。




