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クラスで一番嫌いだった女子と結婚した。――それは十年前の約束から始まった  作者: 綾小路如月


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第1話 クラスで一番嫌いな女子

平和な高校生活を送るため、蓮には「佐伯美緒には絶対に関わらない」という唯一のルールがあった。成績優秀で完璧な美少女、美緒とは犬猿の仲。ところがある日、両家の長年の約束によって、卒業後に二人が結婚することを知らされる。さらに、二人にはまだ知らない秘密があった。

俺には、学校生活を平和に過ごすためのルールが一つだけある。


 佐伯美緒には、絶対に関わらない。


 これが、俺――如月蓮が高校二年生になってから守り続けている唯一のルールだった。


「如月くん」


 朝のホームルームが始まる直前。


 俺の背後から、聞き慣れた声がした。


 振り返る。


 そこにいたのは、クラスで一番有名な女子だった。


 長い黒髪。


 整った顔立ち。


 成績は学年トップ。


 運動もそこそこできる。


 先生たちからの信頼も厚く、男子からの人気も高い。


 つまり――完璧な女子。


 名前は、佐伯美緒。


「何?」


「昨日の数学の課題、提出しましたか?」


「したけど」


「見せてください」


「なんで?」


「あなた、昨日の問題を一問間違えていましたから」


「……は?」


 美緒は無表情のまま、一枚の紙を俺の机に置いた。


 そこには、昨日の数学の小テストがあった。


 赤ペンで書かれた数字。


 98点。


「二問目の途中式が間違っています」


「点数は合ってるだろ」


「偶然です」


「偶然で98点取れるなら、俺は天才だろ」


「そうですね。自称天才ですね」


「誰が自称した!」


 クラスの何人かがこちらを見て笑った。


 俺はため息をつく。


 こいつだ。


 佐伯美緒。


 俺がクラスで一番苦手な女子。


 いや。


 訂正しよう。


 俺がクラスで一番嫌いな女子だ。


「それで、課題は?」


「見せない」


「なぜですか?」


「お前に見せると、絶対に間違いを探すだろ」


「もちろんです」


「堂々と言うなよ!」


 美緒は少しだけ口元を緩めた。


 ……今、笑ったか?


 いや。


 気のせいだ。


「では、先生に提出するときに確認します」


「勝手にしろ」


「はい。そうします」


 そう言って、美緒は自分の席へ戻っていった。


 俺はその背中を睨む。


 あいつとは、本当に相性が悪い。


 入学してから二年間。


 テストではいつも一位と二位を争い。


 体育祭ではなぜか同じチームにされ。


 文化祭では意見がぶつかり。


 委員会では何度も言い合いになった。


 俺が何かをすると、美緒が注意する。


 美緒が何かをすると、俺が文句を言う。


 その繰り返しだ。


 だから、クラスの中では有名だった。


 ――如月と佐伯は犬猿の仲。


 俺たちは、そういうことになっていた。


 そして俺自身も、それでいいと思っていた。


 少なくとも、その日までは。


 放課後。


 俺が帰ろうと鞄を持ち上げたとき、担任の先生が教室に入ってきた。


「如月。ちょっといいか?」


「はい?」


「今日の夕方、家に帰る前に駅前のファミレスへ行ってくれ」


「……ファミレス?」


「ああ。お父さんから連絡があった」


「父さんから?」


「詳しいことは俺も知らない。家族から話があるらしい」


 嫌な予感がした。


 父さんが学校の先生を通して俺を呼び出すなんて、今まで一度もなかった。


「分かりました」


 そう答えたものの、胸の奥に妙な不安が残った。


 そして――


 一時間後。


「……なんでお前がいるんだよ」


「それは私も聞きたいです」


 駅前のファミレス。


 俺の向かい側に座っていたのは――


 佐伯美緒だった。


「お前の親も来るのか?」


「はい」


「……」


「……」


 気まずい。


 最悪だ。


 学校の外でまでこいつと会うなんて。


 俺は深いため息をついた。


「帰っていい?」


「私も帰りたいです」


「じゃあ帰ろう」


「そうしましょう」


 二人で席を立とうとした。


 その瞬間。


「待ちなさい」


 俺の父親の声が飛んできた。


「二人とも座れ」


 向かいには、俺の父さん。


 その隣には母さん。


 そして美緒の両親。


 全員が妙に真剣な顔をしていた。


 ……何だ?


 この空気。


「蓮」


 父さんが口を開いた。


「お前に、大事な話がある」


「……何?」


「お前は佐伯さんと、昔から家族ぐるみの付き合いがあることは知っているな?」


「まあ……」


 俺は美緒を見る。


 美緒もこちらを見ていた。


 だが、その表情はいつもの無表情とは少し違った。


 どこか緊張している。


「実はな」


 父さんが続ける。


「お前たち二人には――」


 一瞬の沈黙。


「卒業後、結婚してもらうことになった」


「…………は?」


 俺の頭が止まった。


 隣で母さんが何かを言っている。


 美緒の父親も説明を始めている。


 だけど、何も耳に入ってこない。


 ただ一つの言葉だけが、頭の中をぐるぐる回っていた。


 結婚。


 誰と?


 決まっている。


 俺の目の前にいる女。


 俺が学校で一番嫌いな――


「ちょっと待ってください」


 俺より先に、美緒が立ち上がった。


「私は反対です」


「美緒?」


「絶対に嫌です」


 その言葉を聞いて、俺は少し安心した。


 そうだよな。


 こいつも嫌だよな。


 なら話は早い。


「俺も反対」


「……」


 美緒が俺を見る。


 目が合う。


 いつものように冷たい目。


 だけど――


 ほんの一瞬。


 彼女の瞳の奥に、妙な悲しさが見えた。


「……如月くん」


「何?」


「あなたは、本当にそれでいいんですか?」


「は?」


「私と結婚することが嫌じゃないんですか?」


「嫌に決まってるだろ」


 即答だった。


 美緒は少しだけ目を伏せた。


「……そうですか」


 なぜか、その声は嬉しそうでもあり――


 悲しそうでもあった。


 父親たちが再び話し始める。


 昔から続く両家の約束。


 祖父たちの事業。


 家同士の関係。


 俺には理解できない話ばかりだった。


 ただ、最後に父さんが言った一言だけは、はっきり覚えている。


「卒業するまでに、お互いが本当に結婚できない相手だと証明できたら、話は白紙にする」


「……本当に?」


「ああ」


 俺は美緒を見る。


 美緒も俺を見ていた。


「じゃあ、簡単ですね」


「そうだな」


 俺たちは同時に言った。


「絶対に結婚なんてしない」


「ええ。絶対に」


 その瞬間。


 俺たちは、まるで敵同士のように睨み合った。


 いつもの俺たちだった。


 だから俺は、そのときは何も疑わなかった。


 この結婚話が、俺の人生を大きく変えることも。


 そして――


 目の前の少女が、三年間ずっと俺に隠していた秘密があることも。


 まだ、何も知らなかった。


 ファミレスを出たあと。


 俺は一人で駅へ向かった。


 美緒は少し遅れて歩いていた。


 そのときだった。


 後ろから、彼女の声が聞こえた。


「如月くん」


「ん?」


「……さっきの話」


「結婚のこと?」


「はい」


 美緒は立ち止まった。


 夕暮れの空を背にして、彼女は俺を見る。


「一つだけ、お願いがあります」


「何?」


「私を――」


 そこで美緒は言葉を止めた。


 そして、いつもの冷たい表情に戻った。


「……やっぱり何でもありません」


「なんだよ、それ」


「忘れてください」


 そう言って彼女は俺の横を通り過ぎた。


 俺は振り返る。


「佐伯」


「はい?」


「……お前、本当に俺と結婚する気ないんだよな?」


 美緒は答えなかった。


 数秒後。


 小さな声で呟いた。


「……ないですよ」


 そして、俺には聞こえないほどの声で――


「……あなたが、私を嫌いでいてくれるなら」


 そう言った。

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