三話-出会い
「スミちゃん、出かけるよ。」
ヘビみたいに長い体。
頭の後ろから広がる胸びれや背びれは、幾重にも重なった花弁によく似ている。
薄い墨汁のような色だから、スミちゃんと名付けた妖精類。
3年前くらいから一緒にいて可愛がっているつもりなのだけれど、懐くということは全くなく、いつも私の後ろをウネウネと泳いでついてくるだけだ。
今日はマンションの自治会の班長の集まりがある。
マンションの入り口の外灯についての会議だ。
班長は居住階をまとめる役で、任期は1年。
順番に回ってくる。
それがとうとう春から私の番になり、任意の自治会とはいえ断れない空気に負けて引き受けていた。
昼下がり、スミちゃんを連れて1階にある交流ラウンジへ向かうと、もう数人が椅子に座り待っていた。
誰かに付いてる妖精類だろうか、ひれが丸っこく可愛らしい妖精類がフワリと目の前を通って行った。
私も空いている席へ座り、時間まで待つことにした。
春の暖かな陽気が差し込んでいる。
眠くなるような穏やかな時間が流れる。
なんて平和な、としみじみと思う。
私は、ここにある何もかもが枯れ果て、砂粒と海ばかりとなった遠い未来から来た。
来た、というのは少し語弊があるかもしれない。
人型ロボットを未来から送り込んで、未来にいる私が意識を接続しているという仕組みだ。
未来でどうしても放っておけない問題が起きたので、その原因調査をしているところだ。
「隣、いいですか?」
声に顔を上げると、私と年齢が近いと思われる男性が立っていた。
「どうぞ。」
都会へのアクセスはそれほど悪くないが、半ば田舎のような非常に穏やかな地域。
そのせいか若年層は少なく、当然、今年の班長さんたちもご年配の方が多い。
年齢が近い者同士、何となく近くに座りたくなる感覚はある。
「何階の班長さんですか?」
と、聞いてみた。
「2階です。そちらは?」
「3階です。
……外灯、どう思います?」
他に話題も無くて、今日の会議の内容である外灯について聞いてみる。
青い外灯が人の心を冷静にして犯罪を減らすという話から、マンションの入り口にある外灯をまずは1本青い外灯に変えるという案だ。
「青色は好きなんで、それも良いなぁと思ってます。
本当に青い外灯が犯罪抑止になるのかとか、1本だけで効果あるのかとかはわからないですし、好きか嫌かで考えてました。」
思ったよりちゃんと考えているような、ちゃんと考えてもいないような、という回答が返ってきた。
「そんな感じですよね。
青い外灯ってどんな風に見えるんですかね?
ちょっと怖い雰囲気になりそうですけど……。」
「画像検索してみますか」と、彼はポケットから携帯端末を取り出して操作した。
「こんなです。」
彼が画面を私に差し出し見せてくれる。
夜の街並みが青く薄暗く照らされ、ネオン街とは全然違う静かな不気味さがあった。
青い外灯と聞いた時点で、あまり好きにはなれなさそうだと思っていた。
未来で見ていた恐ろしい光景を思い出すようで、どちらかといえば私は"嫌"の方だった。
「宇宙の星の光みたいですね。」
一緒に画像を眺めていた彼の言葉に、つまづくように息が止まった。
私には恐ろしく感じられるそれが、彼にはロマンチックな星の光に見えるようだった。
「星……ですか。」
同意もできず、かといってそんなロマンチックなことを言われた以上、不気味じゃないですかとも言いづらく微妙な返事をしてしまう。
すると彼はこちらの様子を察してかウーンと唸ると、
「僕、宇宙人なんですよ。
だからそう見えるのかもですね。」
と、言った。
「あ、なるほど。
燃える星の色ですね。」
私は分かったように手をポンと打った。
会話に乗っかってみたけれど、内心ではハテナがたくさん浮かんでいた。
「皆様お待たせいたしました。
お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。
青色外灯設置についての、班長会議を始めたいと思います。」
いつの間にかマンションの管理会社の担当者がマイクを持って立っていて、私のたくさんのハテナはひとまず頭の隅へ追いやられた。
◇◇◇
マンションの入り口の外灯が1つ、青色になった。
どこからか出てきた見知らぬ妖精類が外灯の前で少し止まり、くるくると回った後また泳いで行った。
「スミちゃんは、これ好き?」
スミちゃんは外灯を見つめ、そのリボンみたいな長い体をいつもよりヒラリヒラリとくねらせていた。
珍しく反応がいい。
実際目にする青い外灯は、私の目にはやっぱり恐ろしく不気味に映った。
「こんばんは。
外灯、青くなりましたね。」
振り返ると、仕事帰りらしいスーツ姿の先日の宇宙人の彼がいた。
私のような未来人がいるのだから宇宙人がいてもおかしくはないとはいえ、こんな普通の宇宙人がいたら困惑である。
宇宙人さんはちょっと嬉しそうな顔をして外灯を眺めていて、この明かりを宇宙の星の光のように感じているのだろうか。
中性的な顔立ちをしているのもあってか、青い光を浴びるその姿が少し神秘的にも見えた。
青い外灯を見つめるスミちゃんと宇宙人さんが、並んでいる。
私一人だけこの世界に馴染めてないような気がしてきて、ふと寂しさを感じた。
「……私、未来から来た人間なんですよ。」
なんて、言ってみてしまう。
自らを宇宙人だと言った彼なら、きっと冗談だと思ってくれるだろう。
もしくは。
彼だって、宇宙人であるなら。
「未来では、青い光は戦いの篝火で。
だから私にはこの外灯は少し怖く見えちゃうんですよね。」
宇宙人さんはキョトンとした顔をしたあと、「そうなんですね……。」と、目を伏せ考えるような仕草をして、こちらを見て優しく微笑んだ。
「僕が、一緒に戦いに行こうか。」
何言ってるんですか、って笑っちゃったけど。
さっきまであんなに不気味だった青い外灯の明かりが、今は少しだけ、宇宙の星の光に見えた。
いつだったか。
遠い未来で、星に願いをかけたことを思い出した。
何を願ったんだったっけ。
◇◇◇
あれから宇宙人さんとよく話すようになった。
春に出会ってから季節が変わるまでの間に、顔を合わせることは思った以上に多かった。
とくに約束はしておらず、会えるといいなと思いながら日々を過ごしていると不思議と会えるのだ。
休日の朝。
スミちゃんと散歩に出ていた。
妖精類はもともと外で生きているから、日光に当たったほうがいいのかなと、2年くらい前からスミちゃんを散歩に連れ出している。
マンション近くの海辺。
砂浜をもぞもぞと移動する妖精類や、遊んでいるのか、寄せては返す波に合わせて波打ち際を転がっている妖精類もいた。
魚の面影を残しているからか、妖精類たちは海が好きなようで、比較的この海辺の町には妖精類が多く見られる。
未来の空気に比べるとこの時代の朝の空気はどんな天気でも清々しく思えて、初めはスミちゃんのためだった散歩は今や私のお気に入りの時間だ。
その散歩から帰ってきたところで出かける直前の宇宙人さんに偶然会い、交流ラウンジに来た。
「そういえば、青い外灯自体に犯罪抑止の効果があるわけじゃないって会社の人が言ってたんです。」
スミちゃんをその膝に抱っこしながら話す宇宙人さん。
少し時間に余裕があると言っていた。
「じゃあ青い外灯は無駄ってことですか?」
「それが、青い外灯にすることで防犯意識が高い地域ですよって印象になるのが大事らしくて。
無駄ってわけではないとか。
隣町の治安が悪いから、僕はもうこの町の外灯全部を青色にしたいくらいだなぁ。」
宇宙人さんはスミちゃんの長い体を撫でながら溜め息をついた。
妖精類ってそんな風に触っていいんだ……と、ヒヤヒヤしながらも感心する。
宇宙人さんは怖いもの知らずなところがあった。
宇宙人さん曰く、宇宙人は体が丈夫であまり死ぬような目に遭わないから危機意識が低いのかもということだった。
スミちゃんはぬいぐるみのように大人しく宇宙人さんの膝上に収まっている。
気になるのは、最近、スミちゃんの様子がおかしいところだ。
体の色が白っぽく薄くなってきていた。
体調が悪いのかもしれないと思ってよく観察しているのだけれど、体色が薄くなったこと以外には何の変化もなかった。
この変色は妖精類にとってどういうことなのか……未来に戻って文献を調べれば、もしかしたらすぐ分かるのかもしれない。
けれど、私の意識が未来へ戻ってこの体を離れた瞬間、スミちゃんがどこかへ行ってしまうような気がして怖かった。
「この町は、遠い未来ではどうなってます?」
宇宙人の彼が、未来人の私に聞く。
「……何にもなくて、ここは。
砂漠みたいになってしまって。
ここに今、町があって、町として営みがあることがすごいです。」
私は未来人の設定で。
私は本当に未来人で。
彼は宇宙人の設定で。
彼はもしかしたら本当に宇宙人で。
正体や言葉の真偽なんて考える必要なくて、相手がそう言っているからその通り受け取って、会話をする。
疑うも信じるもない次元で、当然のように相手の言葉を大事にして、会話をしているような。
私はそう。
彼もそうだったらいいなと思う。
「地球って何がいいんですか?宇宙人にとって。」
「アクセスしやすくて観光にちょうどよくて。
地球は願掛けのパワースポットなので。」
「地球が?地球人は空の星に願いをかけてるのに?」
「そう、僕らって同じで。
いつも遠くに願いをかけて、願いを遠くへ飛ばしてしまってるんですよ。」
どの星に願いが当たるかわからないから、やたらと星に願うもんじゃないですよーと笑う宇宙人さん。
変な星に願いが届いてしまうとかあるのだろうか。
よく空の星を眺めて願い事をしていたから、これからは控えようと思った。
「そう。だから僕は地球に願いをかけちゃったなぁってある日思って。
ここで願い事が叶うかなって思って地球に移住したんです。」
「願い事が叶わなかったらどうするんですか?」
「叶わなかったら、叶わなかった僕が地球にいるだけですね。」
元の星に帰らないんですか?と聞きそうになって、すんでのところで止めた。
帰れる理由があれば帰るはずだから、そうしない理由なんて聞いても悲しくなるだけの気がした。
「……願い事って?」
「それは秘密。」
いたずらっ子のように彼は笑って、人差し指を口元で立て内緒のポーズをして、今度はその指を私へ向けた。
「未来の何の調査しに来たかなんてあなただって言えないでしょー。」
確かにそうだった。
宇宙人さんがスミちゃんを膝から降ろして立ち上がった。
「もっと話していたいけど、そろそろ行かなきゃですね。
また話しましょう。また。」
◇◇◇
スミちゃんの墨色だった体の下半分が白くなった。
「妖精類の病院って無いからなぁ……。」
私の部屋で、ふわふわウネウネ浮いてるスミちゃんを見ながら宇宙人さんと悩む。
私がスミちゃんの変化に慌て、つい電話したものだから来てくれたのだ。
「……夜遅くに呼んですみません。
びっくりしてしまって……。来てくれてありがとうございます。」
「ううん。びっくりしますよねこれは。
でもスミちゃん、体の色以外はとくにいつもと変わらない様子だし、大丈夫だと思いますよ。
もう少し一緒に様子を見たら帰ります。」
宇宙人さんが励ますように私の背中をポンポンと優しく叩く。
いつもスミちゃんを抱っこしている人が言うと、妙に説得力と安心感があった。
冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、氷を入れたコップに注ぐ。
思わず自分の家の中へ宇宙人さんを呼んでしまったことを今更気恥ずかしく思いながら、テーブルに2人分のコップを置く。
「私、未来から来てこんなに人を頼ったの初めて……。」
「友達いても、いつもだいたい一人で何とかしちゃってますもんね。」
何で知ってるんですか、私のことずっと見てました?と笑うと、宇宙人さんもつられるように笑った。
しばらく沈黙が落ちる。
お茶を飲む。
「未来から来たって言っても、調査専用の体に未来にいる私が意識を接続してるって状態なんです。
未来にも友達はいても、こんな調査員していると、どうしても。」
「へぇ。体ごとこの時代に来てるわけじゃなかったんですね。」
これまでは、私の未来の話をウンウンそうなんだねと頷く感じで聞いていた宇宙人さんが、未来人の私の話に初めて驚きの表情を見せた。
「私の本当の体は未来にあって、そこでの時間も進んでる。
でも意識はこの今の時間にあって、この体が動く。
私ってどこにいるんだろう?ってたまに分からなくなるんです。
容姿も、この調査用の体と本当の体では違うし……。」
愚痴のように言葉が出てきてしまい、ハッとする。
気持ちが甘えてしまったことに気づき、家に呼んだこととはまた別の気恥ずかしさに襲われたが、宇宙人さんの目は続きを促すようにいつもに増して優しく見えた。
私は目を逸らし、コップに手を伸ばす。
お茶はコップの半分ほどまで減っていた。
飲もうとして、止めた。
「僕もね、本当はこの姿じゃないんですよ。
これは地球人に擬態してます。」
宇宙人さんの言葉に次は私が驚き、思わず顔を見た。
「僕も宇宙では基本的に一人で。
仲のいい知り合いも友達もいましたけど、宇宙人は深く繋がりを求めないことが多くて。
地球は、難しいけど……温かいですね。
あなたに会えてよかった。
僕たちがお互いどこからか来た何者でも、姿がどんなでも。
最近、とっても楽しいんです。」
願いを叶えに地球へ移住して、地球では出会いもたくさんあったに違いない。
私もこの3年で色んな人に出会った。
私は、その中の一人に過ぎないのだとしても。
宇宙人さんも、その中の一人なのだけれど。
「私もそうです。あなたに会えてよかった。
あなたとこうして話しているときが一番、私はちゃんとここに生きているんだって思えるんです。
未来でも過去でもなく、他の誰と誰でもなく、あなたと私が今、一緒にいるなぁって。
あなたがいるなら、未来でも宇宙でもどこでも、そう思えるんだろうなってくらい。」
私がずっと星に何を願っていたのか、宇宙人さんに会えてやっと分かった。
空の星に投げてしまった願いを、宇宙人さんが連れて来てくれたような気がした。
今は、彼の願い事の先が私ならいいのにと、願わずにはいられない、胸が少し痛むような欲がある。
「それは嬉しいな。」
そう言って宇宙人さんは体が半分白くなったスミちゃんを抱っこした。
コップの氷が溶けて、お茶は薄まったけれど、その量は増えていて。
もう少し、一緒にいられるといいなと思った。
◇◇◇
博士の研究所に、珍しい突然の来客だった。
2人の男女と妖精類が1匹。
どうやら男性が会社の人から博士の噂を教えられて来たとのこと。
初対面のはずなのに、博士の顔を見た女性は少し驚いてた。
聞けば、博士はそこそこ有名人らしかった。
博士は心当たりが無いようで首を傾げたけれど、噂になってるんだから有名人じゃんってあたしが言うと、首を傾げたまま「そうか。」と斜めに頷いて、妙にそれが可愛く見えたから、あたしは顔がにやけてたと思う。
あたしは助手気取りでお客さんを研究室へ案内しテーブルにお茶を出して、いつもの椅子に座る博士のななめ後ろに立った。
博士がチラリとこちらを見て、隣の一人掛けソファをポンポンと叩いて横に座るよう促してきたものだから、おや?あたしはどの立場でお客さんのお話を聞けばいいのかな?とちょっと不安に思いながら、そろりと座った。
「3年ほど前から私に付いて来ている妖精類なんですが、元は黒っぽい色だったんです。
それが最近だんだん色が薄くなってきて、1ヶ月くらい前から体の半分が白っぽくなって。
今のこの状態なんです……。」
ヘビのように長い体。
頭の後ろから広がる胸びれや背びれは、八重咲きの花みたいだ。
体は半透明な乳白色で、神々しさも感じられる美しさだった。
綺麗で良いと思うけどな、なんて一瞬思ってしまったけど、あたしだって博士の髪の毛が一夜にして突然真っ白になったら驚くし、心配なはずだと思い直した。
「まだかろうじて顔先だけ黒っぽさが残ってる感じで……。
具合が悪いのか、死んじゃいそうだったらどうしようって……。」
女性はグッと顔に力を入れ涙を堪えているようで、普段この妖精類を大事に思っているんだなというのが分かった。
隣に座る男性はその妖精類を膝に抱いて、まるでペットのようだった。
始めに2人をソファへ案内したとき、流れるように男性が妖精類を抱いて座ったので、あたしも博士もつい目を合わせて驚いたのだった。
「これは具合が悪いとか死にそうだとかではないですよ。」
博士は少し身を乗り出し、ヘビみたいな妖精類を観察するようにジッと見た。
「この妖精類は、欲科ボタン属喜型亜属ハナアナゴ種ですね。
ライオンの鬣のような華やかな胸びれと背びれが、欲科の特徴です。
ひれが牡丹の花に似てるから、ボタン属。
ヘビ体型の喜科と似ているけれど……この妖精類は鱗が無いから、欲科の喜型亜属です。」
「欲の科……。」と、女性が博士を見て気まずそうにした。
「ああいや……"欲"と言っても、欲深いとかいう意味ではなくて、お腹が空いたとか眠いとか、そういう普通の事も欲ですよ。
色が黒から白へ変化したのは――欲科によく見られる現象で、病的な変色ではないので、安心して大丈夫ですよ。」
博士がそこまで言うと、女性はホッとした表情になった。
「とぼけた顔だって。確かにカワイイもんね。」と男性が話しかけると、女性は可笑しそうに笑った。
その表情は心底嬉しそうだった。
「色が変わるのはよくあることなんですね。
少し安心しました。
毎週、朝に近くの海まで散歩に連れて行ってるのがだめだったのかなとか、何か不安にさせることをしちゃったのかなとか、そのせいで具合悪いのかなと思ってたので……。」
でもなんで色が変わるんだろ?どんな意味があるんだろ?
欲科なのに喜科と似ているのはなんで?
博士の一瞬の目配せが『あとでね。』と言っているように見えたから、あたしは質問が飛び出そうになったのを喉元で堪えた。
「その、膝に乗せてるのもびっくりなんですけど、2人で可愛がってるんですね。
どっちに付いて来てる妖精類か分からなくておもしろいなって思います。」
飛び出そうになった質問の代わりに出てきた言葉だった。
2人は照れたように「ですよね?」と笑った。
不安事が無事に解決したところで、お客さんを玄関まで見送りに出る。
改めて眺めてみると、本当に神の使いのように見えるほど綺麗な妖精類だ。
完全に真っ白になった頃にまた来てくれないかなぁ。
「本当に、ありがとうございました。
先生がここにいてくれてよかったです。」
「また何かありましたら、どうぞ遠慮なく来てください。
研究者として貴重なお話が聞けてよかったです。」
2人と1匹を見送りドアが閉まると、いつもの静かな古民家の空気が戻ってきた。
博士の顔も力が抜けて穏やかになる。
一応、外行きの顔あるんだーって、そんなのを知れてあたしはちょっと愉快な気持ちだ。
「博士、あの妖精類って、どんな感情の妖精類なの?」
研究室に戻り、博士がいつもの椅子に座った瞬間に聞いた。
博士はテーブルの上の分厚いファイルを開いて、眼鏡をかけた。
「願いをかける気持ちに近いかな。
願い事が叶っていない状態と、叶っている状態って、実は切り離せないんだよ。
叶ったら嬉しいって想像できるから、今は叶っていないって分かる。
それゆえに強く欲する。
だからあの妖精類は欲科だけど、喜型なんだ。」
「うーん。なんとなく分かったかも。
あのお店のオムレツまた食べたいなーって思ったときに、とりあえず自分でオムレツ作っても、お店のオムレツ恋しいもんね。」
「……。そんなところかな。」
博士は何かを書き留めてファイルへ挟んでいた手を止めて、腕を組んで目を閉じた。
眼鏡をかけてる博士の顔が好きなあたしは、なるほど、と思った。
眼鏡をかけてる博士の良さをよく分かっているのは、眼鏡をしていない時を知っているからだ。
眼鏡かけてほしいなーって思う時、頭の中には眼鏡をかけてる博士と、かけてない博士の両方がいるんだ。
「博士。欲科の色が変わるのは願いが叶ったから?」
「あれは、本人が願いを自覚したからだろうね。
妖精類のハナアナゴ種は、白い個体の方が多いんだよ。
本人が願いを自覚していないと黒い。黒い姿を見てみたかったよ。」
「え!博士それ、分かっててわざと伝えなかったんだ!」
「あの人は、『この子は具合が悪いのか?』という心配をしていて、『この妖精類は何なのか?』とは質問していなかったからね。」
「わぉー。確かに。」
目を開いて腕を解いた博士は再びファイルをパラパラとめくりだしたり、板状端末を操作したり、先ほどの妖精類についての何かを確認しているようだった。
「あの男の人、妖精類抱っこしててびっくりした。」
「あれは私も驚いた。しかも付いてる本人じゃなくて他人がね。」
「妖精類ってあんな風に触っていいんだね。」
「ほとんどは害がないとはいえ、まだ解明されていないこともあるから、あまり触れるものではないね……。
君は触らないように。」
「過保護じゃんー。」
手を動かしている最中に話しかけても返答してくれて、感心していたら子供扱いされてしまった。
妖精類のことを教えてくれるのに、あたしが自分から妖精類に近づくことはダメって言う博士は、ちょっと過保護すぎるよねってあたしはそこだけ不満だ。
忙しなく資料にばかり目を向けていた博士の手が止まって、あたしを見た。
「君は何か願い事はあるの?」
そういえば、この前は七夕だった。
近所のスーパーに設置されてた七夕コーナーの短冊には、『博士が長生きしますように。』って書いた。
「ん~~~。
あたしがおばあちゃんになるまで博士に生きててもらうことかな。」
博士は少し目を丸くして、
少し考えて、
分厚いファイルをゆっくり閉じた。
「それはいいことだね。」
そう言うと、背もたれに寄りかかって博士は目を閉じた。




