二話-妖精類
ここはどこで、
僕は誰で、
僕は、どこに。
◇◇◇
【1日目】
いつものように夜眠りについて、朝目が覚めると、見たことのある部屋の中にいた。
朝起きて見たことのある部屋にいるのなんて当たり前だって思うだろ?
そのつもりで僕も起きたんだ。
ところがどうだよ。
僕が大好きな漫画の、主人公の友人の部屋なんだここは。
「えっ、そういう……?」
鏡を見ると、僕ではなく、よく知っているキャラクターに似た人物がいた。
これは夢かと思い深呼吸をしてみたものの、空気が喉を通る感覚はより現実味を増しただけで、呆然とするしかなかった。
ヒーローである主人公。
それを支える頭脳派の友人A。
その作戦会議をする部屋を提供している友人B……が、今の僕だ。
脇役の中の脇役だ。
ベッドのすぐ下、画面が開かれたままの携帯ゲーム機があった。
スリープモードになっている。
こんなことになる前の元の僕もゲームはよくやっていたから、この世界でのゲームはどんなものだろうとちょっと興味が湧いて手に取ってみる。
僕は初回プレイからアイテムを取りこぼさないように目につく全てのものに話しかけるタイプだから、これはそう、決して現実逃避ではなく、"調べる"だ。
プレイ画面を開いて、分からないなりに勘でボタンを押していく。
主人公視点で話が進み、2択か3択かの選択肢を選んで他のキャラクターと会話をする。
見たことあるような登場人物たちだった。
クラスメイト、先輩、後輩。
主人公の姿が現れる。
元の世界の僕の姿があった。
「あっ、そういう……!?」
もはやどれをどこから驚けばいいのか。
僕の元いた世界は、このゲームの世界だったのか?
しかも、このゲームの中では僕が主人公だなんて。
僕が主人公だって、生まれたときに教えてくれよ!
そうしたらもっとちゃんと、もっと、何となく……。
……どうだったって言うんだろな。
「朝だよー!学校遅れるよ!」
ふいに部屋の外からこの体の持ち主を呼ぶ声がした。
胸に手を当て、僕も心の中で体の持ち主を呼んでみるが、変化は無かった。
僕の生まれ育った世界で当たり前にあった選択肢ウィンドウも現れない。
いつもならこういうときにはパッと光るようにすぐ出てくるのに。
漫画で読んでいた通り、ここは本当に選択肢ウィンドウの無い世界のようだった。
何もない空間に放り出されたような、そんな気持ちだ。
ぬり絵しか知らなかったのに、いきなり真っ白な自由帳を渡されて戸惑わない奴はいないだろ?
漫画のキャラクターに憑依してしまったと思っていたが、もしかしたら入れ替わったのかもしれない。
この体の持ち主は、そっちの僕の姿で上手くやっているんだろうか。
真っ白な自由帳しか知らなかったのに、ぬり絵だけの世界で。
「ちょっと!起きてるのー!?」
部屋の外の声は苛立ちを帯び始めており、僕の心は半泣き状態だ。
学校に行かなければいけないようだ。
恐らく休むこともできるはず。
選択肢は思い浮かぶ。
なのに僕は何も選べず、寝間着のまま、選んだ気持ちのないまま、切羽詰まった気持ちで部屋を出た。
◇◇◇
本当に、ここはどこなんだろう。
流されるように身支度を整え家を出てきた。
僕は今、駅のホームで電車を待っている。
誰か聞いてくれ。
10メートルほど離れたところに奇妙なお化けがいるんだ。
魚のようなクラゲのような半透明のお化けだ。
体の大きさはトイレットペーパーのロール2つ分くらい。
ヤギのような大きなツノが2本あって、顎の下から生えたたくさんの細長いヒゲのようなものがウネウネと蠢いて、地面スレスレを浮いている。
ひれがあるから魚の仲間には見えるが、かなり異形で、そいつのところだけ時空が止まっているかのような気味の悪さだ。
漫画では、こんな存在はいなかった。
みんなにはこのお化け魚が見えてないのだろうかと周りを見てみると、やんわり避けるように歩いているから、見えてはいるようだった。
まだ出てきていない新キャラクターなのだろうか……。
ネタバレか?と、ついまじまじと見つめてしまったその瞬間、ギョロっとした目がこちらを向き、そいつと目が合ってしまった。
すぐに目線を逸らすも、まだジッと僕を見ているのがわかる。
目が合ったのは一瞬だったが、虚無感のあるでかい魚の目でいて、しっかりとした意思のようなものが宿っていたのがゾッとするほど恐ろしかった。
猫や犬とは違う、人間の視線に近いように思えた。
この世界は、僕の知る漫画の世界ではないのか?
間違えていないよと証明されたくて、まだ会ったことのない主人公と友人Aに会いたくなった。
ああ、早く学校へ着きたい。
電車がきた。
ドアが開いて人の流れに乗って僕も乗り込む。
お化け魚からこれで逃げられると思った。
しかしそいつも、ヒゲを足のように使って地面を這い、スゥーッと音もなく乗車してきて、恐怖で思わず叫び出しそうになったのをなんとか抑えた。
半泣き状態超えて、六分泣き状態だ。
降りるか?と頭に浮かんだが、周りがこのお化け魚をとくに気にする様子も無く落ち着いていたから一人で慌てることも出来ずに固まってしまった。
お化け魚は、スルリと他の乗客の足元をすり抜け――
僕の、足と足の間にちょこんと落ち着いた。
虚無感のある目は、今やどこか誇らしげで満足気に見えた。
なんでだよ!
それまでこのお化け魚を気にしていないようだった周りの人たちも、この瞬間はちょっとだけ驚いた顔をして僕の足元や顔に視線を向けていた。
注目を浴び、僕はさっきとは別の意味で固まってしまったのだった。
◇◇◇
「おはよー。
……なんか今日いつもと違くね?」
体の持ち主の記憶がある程度残っているので、学校の教室へ辿り着くのにそこまで苦労はなかった。
ただ、朝から混乱しながらもやっと自分の席に座った僕に、選択肢ウィンドウの欲しくなるような言葉を投げかけてくる友人A……。
でも会いたかった。
友人Aがいるだけでありがたくて、僕の心は六分泣きを超えて七分泣きだ。
あのお化け魚はまだ僕の足元にいる。
なぜか懐かれている気がするが、シンプルに怖いし気味が悪い。
「……いつもと違うよな……。」
ひとまず質問をそのままオウム返しする。
いつもの友人Bと明らかに違うってバレたんだろうか。
友人Bは脇役中の脇役だったからどうなりきればいいか分からなくて、素の僕でいくしかなかった。
「すげぇビジュアルにインパクトある妖精類がついてきたな。
心境の変化でもあったか?
落ち込んでんなら話聞くけど。」
漫画では知り得なかった彼の気遣いを感じて、七分泣き超えて八分泣き。
このお化け魚は"ヨウセイルイ"というらしい。
「な、なぁ……今更なこと聞くかもだけど、"ヨウセイルイ"って、なんなんだ……?」
友人Aは、うーんと唸った。
「詳しくは知らないんだよなー。
魚から生まれた精霊みたいな感じ。
落ち込んでる人とか、すっげぇ嬉しいことあった人とか、気持ちに動きがあった人によくついてくるとは言うよな。」
「なるほど……。
詳しくは言えないんだけど、確かに今朝から人生観変わってさ……。それでついてきてるのかも。」
「よっぽどじゃん。そりゃ付いても来るか。
妖精類って気まぐれだからそのうちどっか行くだろうけどよ。」
友人Aは頭を傾げ、僕の顔を見る。
その顔には『大丈夫か?』『何があった?』と書かれているようで、この体の持ち主である友人Bとの仲の良さが感じられて、ちょっとだけ僕は申し訳なくなった。
九分泣きの気持ちでほんの少し涙が出そうになりながら、僕は「まぁ大丈夫ー。」とへらへら笑ってみせた。
この世界に来て不安だらけだった気持ちは、友人Aの登場で少し和らいでいた。
またすぐに元の世界に戻るかもしれないし。
なんならここを楽しんでみてもいいかもと前向きな気持ちになり始めていた。
――次の日、お化け魚もとい"妖精類"は消えるどころか僕の頭上にもう1匹増えており、怖くて僕は泣いたし、友人Aから極大の気遣いをされたのだった。
◇◇◇
【 4日目】
2匹目の妖精類は尖った長い口先、翼のような胸びれ、尾びれは優雅に長く、絵になる美しさだった。
家のお風呂場で頭を洗っていたところ、僕の背後でその長いひれを上からダラリと垂らしていて、気配を感じて振り返った僕は絶叫したのだが。
そんな出会いだった。
「2匹も妖精類連れてる人見たことないよ!」
「これからまだまだ増えたりしてな。」
すごくない!?と八重歯を見せて人懐っこい笑顔で笑う、ヒーローで主人公の彼。
さらっと怖いことを言う友人A。
理科実験室で授業を終えてそのままお昼休みに入ったところで、僕らはぐだぐだとそのまま雑談をしていた。
ヒーローな彼とやっと会えたことで、改めて僕の読んでいた漫画の世界だと思えた。
妖精類は原作で描かれなかった要素なのかもしれない。
それか、漫画の世界とほぼ同じだけの、また別の世界なのか……。
そう考え始めた3日目から、もう考えるのはやめた。
ぐるぐる考えて怖がって閉じこもっても、この友人Bの日常は待ってはくれなかったから。
気持ち悪いヒゲの妖精類は僕の足元で、尾びれの長い妖精類は僕の頭の上で、それぞれくつろいでいる。
尾びれがカツラみたいだな、と友人Aが言うからヒーローな彼は大笑いするし、理科実験室の戸棚の窓に反射して映る自分を見ると確かにポニーテールのようで僕も笑ってしまった。
「そうだ、名前付けてあげたらどう?」
ヒーローな彼が目をキラキラさせて楽しげに妖精類たちを両手で指差す。
「名前つけたらずっといそうで怖いわ……。」
「ペットとワケ違うんだからやめとけやめとけ。
野生の妖精類だぜ?」
怖がる僕とは対照的に友人Aはニヤニヤしていて、言葉と表情が合ってない。
この2人、完全に楽しんでいる。
僕がこの2匹との恐怖の出会いでどれだけ寿命を削られる思いをしたか話しても爆笑するばかりだ。
「もー……僕お腹空いたわ。
食堂行こ。」
「あ、おい待って。理科準備室にいろんな模型あるんだってよ。
隣のクラスのやつが言ってて、ちょっと見てみたい。」
立ち上がり椅子を片付けようとしたところで、友人Aが理科実験室とドアで繋がる理科準備室を指差した。
あまり興味はそそられなかったが、ヒーローな彼と共に、とくに返事をするでもなく友人Aについていった。
妖精類2匹は付いて来ず、そこで待っているようだった。
ドアを開け理科準備室に入ると、6畳ほどの部屋の壁際に鍵のかけられた戸棚が並んでいた。
その戸棚の上には生き物の模型がずらりと並んでいる。
なお、学校の理科室ではお馴染みのガイコツと人体模型も部屋の角にいる。
「わー。本当にあるんだね、人体模型。
やっぱちょっとやだね。
歩き出したりして。」
僕が思っていたことをヒーローな彼がそのまま言ってくれたが、主人公である彼が言うと本当に起こりそうな気がするのでやめてほしい。
模型をひとつひとつ見ていく。
どの模型も動物園にいないような生き物だ。
絶滅した動物かもしれない。
先生の趣味だろうか。
「やべぇ、このイタチ、マッチョじゃね?」
友人Aがイタチみたいな模型を指差す。
友人Aは模型を見てはしゃいでいて、電車を見て喜ぶ子供のようだ。
横を見ると、ヒーローな彼がガイコツと人体模型のほうを見つめて止まっていた。
「どうかした?」
「……なんか動いた気がして……。」
そう言われて僕も部屋の隅のガイコツと人体模型のほうを見てみる。
ガイコツの肋骨の内側……人魂がゆらゆらと動いていた。
「うわぁぁぁぁあ!」
人魂がガイコツの肋骨をするりと抜け、こちらへ飛んでこようとしてるのが見えた瞬間、僕は叫んで一目散にドアを出た。
理科実験室のほうへ出たところで、友人2人が出てこないことに気付いて立ち止まる。
置いてきてしまった!
罪悪感に駆られて振り返ると、2人はなんとも言えない表情で準備室のドアから覗くようにこちらを見ていた。
僕と2人の間で、先ほど人魂のように見えたやつが、実験室の机の上でふわりふわりと浮いている。
胸びれと背びれが一本一本放射状に華やかに大きく広がっている妖精類。
3匹目のご登場だった。
「お前ら……もっと普通に出てこれないんか!」
僕が妖精類たちを指差して怒って言うと、2人は堪えきれないといった様子でお腹を抱えて笑い出した。
「3匹目じゃん!すげぇなおい!どうなってんだよ!」
「もしかしたら世界を救うヒーローってボクじゃなくてキミかもねぇ!」
この世界が、あの漫画の世界によく似た別の世界だとしても……僕は脇役だよな?
この友人Bは、何者なんだ?
僕の周りをふわふわスイスイ飛んで回る妖精類たちが、どことなく上機嫌に見えた。
ああ……。
考えるの、やめた。
「お腹減ったわ……早く食堂行こうぜ……。」
◇◇◇
「博士!ねぇ博士!
さっき、妖精類3匹連れて歩いてる高校生いた!」
玄関を開け靴を脱ぎながら奥の部屋にいるであろう博士に呼び掛ける。
部活帰りに駅で電車を待っていたら、向かいのホームにいる男子高校生に妖精類が3匹もついていた。
ありえなくない!?と驚いたあたしは、早く博士に知らせなきゃ!と、急いで帰ってきたのだ。
脱いだ靴をそのままに数歩進んで走って行こうと思ったけれど、足先が方々へそっぽを向いてしまった靴を見たら、博士の真顔が一瞬浮かんだ。
ああ!と、逸る気持ちを抑え急いで靴を揃えた。
踵を返して博士の下へ走る。
「博士!」
「聞こえてたよ。
妖精類を3匹も連れてた高校生がいたって?」
廊下を駆け抜けて研究室に入ると、いつもはポーカーフェイスに近い博士が苦笑して待っていた。
「みんな見たことないようなやつだったの。
キモいのもいた。角があって、ヒゲみたいなのいっぱい生えてて!
もう1匹はひれがすっごく長くて、もう1匹はひれがバーって広がってて。
3匹とも無色な感じ。色が入ってない妖精類初めて見たよ。
それで、高校生の頭に乗っかったり足の間にいたり周りをくるくる回ったり。
妖精類って懐くの?飼えるの?
人のそばにただついてくるだけじゃないの?
あれ絶対懐いてたと思う!」
「無色か……。」
とにかく見たものを博士に伝えなきゃと焦って、畳み掛けるようにあたしは話した。
博士があの場にいたらよかったのに!とすごく思ったから。
博士はいつも通りとても落ち着いていて、一点を見つめ、考え込むように黙った。
そこ?そこだけ?拾うのそこだけ?
色の入ってない妖精類は、博士にとっても重要なことのようだった。
「生き物の分類方法はいくつかあって……
僕の研究している"感情分類"では、妖精類は8つの分類科に分けられる。
その高校生に懐いてる3匹は、それぞれの科の原種に近いかもしれないね。
原種に近い妖精類は体の色が無色に近くて、人間への興味が強いという論文があったよ。」
「ってことは、さっき見た高校生って、もしかしたらすごそうな妖精類を連れてたってこと?」
「かもしれない。
ただ、その妖精類たちにすごい能力があるとかではなくて、害も無いよ。
彼がなにかとても好かれる特性を持っているんだろうね。」
へぇ……あの高校生、どんな子なんだろ。
どんな生活をしてるのかな。
すごく性格が良いのかな。
それとも、逆にすっごい性格悪いのかな。
「分からないから気になるけれど、分からないからこそ、次にもしまた見かけても無闇に声をかけるものじゃないからね。」
思ってることを見透かされ博士に釘を刺されたあたしは、わざとションボリして見せた。
「水曜日じゃないのに来ちゃったー。」と、あたしは周りを見回す。
よく片付いたテーブル、床。
ほらね。
今日は博士、宝探し置いてないのね。
「お茶したら帰ろっかな!」
あたしは嬉しくなっちゃって、踊るように軽やかに台所へ向かった。




