十話-忘れない魔法
「カレーってさ、嫌なことを忘れさせる効果があるらしいよ。」
ネットで見た情報だ。
本当かどうかはあまり気にしなかった。
その方がおもしろいと思ったから。
そうであってほしいと思ったから。
同居人の友人が、口に運ぼうとしたスプーンを一旦止めた。
今夜のご飯はシーフードのカレーライスだ。
"今夜"と言っても、もう時計は0時を回っている。
私はすでに晩御飯を済ませていて、彼女が食べる姿を目の前で眺めていた。
「次はいつ? 次は夏野菜のカレーがいいな。」
壁にあるカレンダーを見る彼女。
今日は8月4日、水曜日だ。
「そんなに忘れたい嫌なことがあるの?」
「提灯屋は、お盆前の繁忙期だからね。
みんなイライラしててやんなっちゃうの。」
彼女は止めたスプーンをまた動かして食べ始めた。
夏野菜って、ナス? トマト? あとなんだっけ。
出て来なくなった頭の中のその余白に、今朝見たネット記事がふと浮かんできた。
「そういえば、提灯屋さんネット記事になってたよ。
あの絵、描いたでしょ?」
繊細で可憐なシノワズリ風の柄の提灯や、大胆かつ可愛らしい南国風の柄の提灯がインテリアとしておしゃれで、伝統工芸品の新しい形だと話題だった。
「うん。あれの絵付け師、わたしだよ。
あれ、いいでしょ。電池式だから停電のときもまぁ使えるんだよ。」
「へぇ。いいな。……ちょっと嫉妬しちゃう。」
「なによ。この前の発明品おもしろかったじゃない。
ドアが開くと離れたところにある風鈴が鳴る、遠隔ドアベル風鈴。」
私は趣味で自作の発明品の紹介動画を動画サイトに載せている。
"遠隔ドアベル風鈴"というのは、同居人の彼女が深夜にどんなに静かにドアを開けて帰ってきたとしても、離れたところにある置き型風鈴が絶対に鳴るというものだ。
「あれホント怖い。」と、クスクスと笑う彼女。
「しょうもないけど、おもしろいよ。
"【同居人の帰りが遅いので】遠隔ドアベル風鈴【作ってみた】"ね。
こっちは気を遣って静かに帰ってこようとしてるのに。」
どうせこのお盆前の繁忙期だけの夜遅い帰宅なのだから、そこまで気を遣うこともないのにと思う。
いつもと違うからこそ、おかえりって迎えたい気持ちもあった。
「夜風で風鈴が鳴るの、悪くないでしょ。同じだよ。」
「どんなよ。わたしは夜風なの?」
黒くツヤのある彼女の長い髪に、確かに夜風かも、と思った。
「そうかも。」
彼女は食べる手を止め、「ふーん。」と少し考えるように首を傾げた。
「じゃあ、あなたはカレーね。」
私がカレーって……。
確かにちょうど茶色の髪色はしている。
「嫌なこと、忘れさせる効果があるんでしょ、カレーには。」
私は彼女と一緒にいると、思っているよりもこの世が綺麗なものに思えて救われる気持ちになる。
だからといって嫌なことは忘れられない。
でも彼女は私とは違って、私がいることで嫌なことを忘れるようだ。
幼い頃から魔法のようなものになりたいと思っている私にとって、それは嬉しいことだった。
発明品を作るのだって魔法が使えないからだ。
今日作ったものも、魔法への憧れだ。
「今日作ったもの、食べ終わったら見る?」
そう言うと、彼女の目がきらめいた。
彼女は一つ大きく頷くと、お皿の残りのカレーを急いで口の中に入れていく。
「見る。お皿洗うから、待ってね。」
テーブルの上を片付け始めたのを見て、私は大きな引き戸で仕切られた隣の部屋へ行く。
部屋の天井近くに設置したそれと、壁に這わせた電源コードを確認する。
動けばいいという感覚でいつも作っているので、基本的に作りは甘い。
……魔法に持続性はないから、それでいいのだ。
昼間の作業で片付けきれてなかった物を片付けていると、お皿を洗い終えた彼女が来る音がして、慌てて部屋の電気を消した。
「お待たせ。部屋暗くしてるの?」
「うん。見ててね。」
先ほど確認したコードの先の中間スイッチを入れる。
暗い部屋に浮かび上がる、天井に吊るした提灯。
部屋が青く照らし出された。
提灯の中の回転筒が回転し、カラフルな水玉が、天井や壁や床を回りだす。
「わ!綺麗!回転筒の吊るし提灯?
……だけど、光が多い!」
「うん、中に小さい回転筒を3つ入れてる。
普通の回転提灯みたいに熱で動かすんじゃなくて、モーターで動かしてる。
"提灯ミラーボール"だよ。」
「提灯ミラーボール!
ふふっ、確かにミラーボール!」
部屋の中をグルグル回るカラフルな水玉模様に照らし出される彼女の顔は、いつもより楽しそうに見えた。
キラキラと、でも薄暗く。
まるで、小さな海の底にいるようだ。
コン、と窓の方で音がした。
1匹の妖精類が、こちらへ入りたそうに窓へ当たっている。
窓を開けると、その妖精類は夜風と共にスルッと家の中へ入ってきた。
外を見ると、他にも妖精類が何匹かウロウロと泳いでいた。
「なんだろ。妖精類、こんなに集まってる。」
「この光に反応したのかな?綺麗だもんね。」
他の妖精類もふわりふわりと中へ入ってくる。
集まった妖精類たちは、部屋を回る光の回転と逆方向に泳ぎ出した。
「妖精類って、こういう明かりが好きなのかな…? 楽しそうだね。」
気がつくと1匹また1匹と妖精類の数が増えていくので、「ここで締め切り。」と、窓とカーテンを閉めた。
提灯ミラーボールと突然集まった妖精類たち。
海の底は賑やかになり、まるで竜宮城だ。
「あなたも、楽しいもの好きだよね。
いつも楽しい発明品作るもんね。
魔法みたいなの作るんだ、って。」
ゆっくりグルグルと泳ぐ妖精類を2人で眺める。
「楽しく生きたいんだよね。
楽しくないと、どんどん腐ってく感じで、"私"がわからなくなってくみたいでさ。
ただ、自分との戦いだよ。」
彼女が私をじっと見たから、どういう言葉が返ってくるだろうと期待と不安が混じった。
彼女は「うーん。」と、ずっと真っ直ぐ私を見て考える。
「その楽しくなくてわからなくなりそうなあなたも、楽しくいようとするあなたも、わたしはどっちも好きだな。
自分を保つために楽しくありたいなら、応援してるよ。楽しくあってほしいよ。」
妖精類たちに混ざって、彼女は手を後ろに組んでゆっくりと歩き出した。
「でも、わからなくなりそうなあなたも可愛くて好きだな。
あ、馬鹿にしてるわけじゃなくてね。」
妖精類たちは流れを乱す人間が輪の中に混ざっても特に気にしていないようで、上手く泳ぎ続けている。
「全部あなただから、悩んでるのも愛しいなって。
その悩みはあなたから出てるものだから。
それと戦うのもあなただよね。
うん。
好きだよー、全部。」
「ね。」と、微笑んで彼女は私の手を引いて輪の中に入れた。
「告白じゃん。」
私の足にぶつかった妖精類が横へ弾かれた。
「はは!これから先、あと何回告白するだろうね。」
「いいね。何回でも。」
提灯ミラーボールのモーター音がする。
思ったより音が大きい。
昼間に作ってるときはそれほど気にならなかったが、夜の静けさの中では目立つようだ。
「モーター音がちょっとうるさいよね。」
自分にダメ出しをしながら、どうしたものかなと考える。
「あ!ねぇ、曲かけようよ。
今、よさそうなの浮かんだ。」
彼女は携帯端末を手に取り、曲をかけた。
オートチューンのかかった歌声に、ちょっと切ないような陽気なような不思議な曲だった。
モーター音はあまり気にならなくなった。
「地元の踊り念仏のリズムと似てない?
ずっと思ってたの。声の加工で念仏唱えてる感じにも少し似てる。
ね、盆踊りできる。」
「リズムはね……?唱えてる感じは、まぁ、あるとして……?
こんな陽気でかわいい盆踊りないよ。」
「こんな盆踊りもありでしょ。踊ろう!」
「私、踊れないよ。」
「てきとう!てきとう!」
彼女が私の手を繋いでその黒髪を揺らす。
それはまた嬉しそうな笑顔でクルリと回るせいで、私の体も自然と引かれてリズムを取られる。
青く照らされた部屋。
カラフルな水玉がグルグルと回る。
海の底の竜宮城で盆踊り。
半透明な妖精類たちは、
お盆に帰省した先祖の魂のように見えた。
「楽しいよ。素敵な魔法だね。」
そう笑って一緒に踊る彼女は夏の夜風そのもので、心地よくて大好きで。
この世の綺麗さに参る。
私は笑うしかなくて、
涙目になりながら、
下手くそに踊った。




