第21話:平穏の終わりと、侯爵からの依頼
あれから、一月が過ぎた。
僕の生活は、僕が望んだ「スローライフ」とは似ても似つかないが、それでも一種の、騒がしくも穏やかな定常状態に落ち着いていた。
僕の家は、相変わらずフロンティアの観光名所だったが、リナとセレスティーナという二人の完璧な門番のおかげで、僕のプライベートが侵害されることはなくなった。僕は、ギルドから支給される潤沢な活動資金を元手に、工房での発明と、ゴーレムが耕してくれた魔法の畑での家庭菜園に没頭する日々を送っていた。
リナは、僕の護衛任務の傍ら、僕の戦闘訓練の教官役を買って出てくれた。
「カイ殿、剣を振るう時は、もっと腰を入れてください! そんな手打ちでは、スライム一匹倒せません!」
「うぅ…僕、戦闘は苦手なんですが…」
「カイ殿の御身を守るのが私の役目ですが、万が一ということもあります! 少なくとも、自分の身を守る最低限の体術は必要です!」
彼女との手合わせは、僕にとってはただの運動不足解消だったが、彼女は真剣そのものだった。
セレスティーナは、僕の生活全般のマネージャーとなっていた。
「カイ様、本日のスケジュールです。午前中は畑仕事、午後は工房での研究、夕食後は読書、となっております。来客の予定はございません」
「ありがとうございます、セレスティーナさん」
「それから、こちらが今月のギルドからの活動資金です。私が責任を持って管理し、必要な物資の購入リストを作成しておきました」
彼女は、僕の健康管理から財産管理まで、完璧にこなしてくれた。僕が何もしなくても、快適な生活が保障されている。まさに至れり尽くせりだった。
最強の剣士による護衛と、聖女による生活支援。
僕は、いつの間にか、どこかの国の王様よりも贅沢なニート生活を確立していたのだ。
このまま、この穏やかな日々がずっと続けばいい。僕は、本気でそう思っていた。
そう、あの日、ギルドマスターのドルガンさんが、血相を変えて僕の家に駆け込んでくるまでは。
「カイ君! 大変なことになった!」
ドルガンさんは、リナとセレスティーナの制止を振り切り、僕がハーブの世話をしていた庭まで乗り込んできた。その手には、蝋で厳重に封をされた、一通の仰々しい手紙が握られている。
「どうしたんですか、ドルガンさん。そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもあるか! 王都の、ヴァレリウス侯爵家から、君に『指名依頼』が届いたんだ!」
ヴァレリウス侯爵。フロンティアが位置する、この東部辺境領を治める大貴族だ。事実上、この地域の最高権力者と言ってもいい。
ドルガンさんから渡された手紙には、美しい飾り文字でこう書かれていた。
『フロンティアの聖者、カイ殿に請願す。我が領地にて、原因不明の厄災あり。広大な森が急速に枯れ、土地は死に、民は嘆き悲しんでいる。我が配下の魔道士、神官の誰もが、その原因を突き止められずにいる。つきましては、その奇跡の力をもって、この地を蝕む謎を解明していただきたく、我が居城までお越し願いたい』
それは、依頼というより、半ば召喚状に近いものだった。
僕は、手紙を読み終えると、一言、こう返した。
「嫌です。面倒くさいので」
僕の即答に、ドルガンさんは頭を抱えた。
「頼む、カイ君! 俺の胃に穴を開ける気か! ヴァレリウス侯爵からの直々の依頼だぞ! これを断れば、フロンティアと侯爵家の間に、深刻な政治問題が発生するかもしれんのだ!」
「ですが、カイ殿は、ギルドからの依頼は受けないという約束では?」
リナが、僕を庇うように鋭く言う。
セレスティーナも、思案顔で口を挟んだ。
「カイ様の御力は、一個人の気まぐれで使われてよいものではありません。侯爵の依頼の裏に、何か別の意図が隠されている可能性もございます」
三者三様の意見が飛び交う。僕としては、貴族の相手など、考えただけで疲れる。何とか断る方法はないだろうか。
だが、ドルガンさんは続けた。
「この依頼を達成すれば、侯爵家はフロンティアの自治権を、より強力に保障すると約束してくれた。君がこの街で静かに暮らし続けるためにも、必要なことなんだ。頼む、カイ君。これは、君のためであり、この街のためでもあるんだ」
街のため、か。
その言葉は、少しだけ僕の心に響いた。このフロンティアという街が、僕は結構、気に入っていたからだ。
「…カイ様」と、セレスティーナが僕の顔を覗き込む。「土地が死に、民が嘆いている、とあります。もし、それが事実なら、その原因を突き止めることは、カイ様の御力をもってすれば、たやすいことかもしれません。苦しむ人々を見過ごすのは、きっと、カイ様の本意ではないでしょう?」
彼女の言う通りだった。面倒なのは嫌だが、僕にしか救えない人々がいるのなら、見て見ぬふりをするのは、寝覚めが悪い。
何より、僕の技術者としての好奇心が、頭をもたげていた。
(原因不明の、土地の汚染。魔力の流れの異常…。なるほど。少し、興味があるな)
「…分かりました。行きましょう」
僕がそう言うと、ドルガンさんは心の底から安堵した顔をし、セレスティーナは「カイ様、ご決断に感謝します」と微笑み、リナは「…私が、必ずお守りします」と、決意を新たにした顔で頷いた。
こうして、僕の短いニート生活は終わりを告げ、僕たち三人は、初めて「パーティ」として、本格的な依頼に旅立つことになった。
数日後。旅の準備を整えた僕たちは、フロンティアの門の前に立っていた。
リナは、完璧に整備された武具を身につけ、道中の食料や野営道具を詰めた荷物を背負っている。
セレスティーナは、教会の正式な使者としての身分を示す法衣をまとい、治癒道具や聖印を携えている。
そして僕は、いつもの普段着に、工房で創り出した便利な旅行用アイテム(お湯が勝手に沸く水筒や、一瞬で設営できるテントなど)を詰め込んだ、小さなカバンを一つ。
「侯爵の居城まで、馬車で三日の距離です。道中、何があるか分かりません。警戒を」
リナが、気を引き締める。
「大丈夫ですよ、リナさん。きっと、すぐに終わります」
セレスティーナが、聖母のように微笑む。
僕は、住み慣れた我が家の方を振り返り、少しだけ名残惜しそうにため息をついた。
「一泊二日の、簡単な出張みたいなものだと思おう。すぐに帰ってきて、畑のトマトに水をやらないと」
僕の、あまりにも緊張感のない呟きに、リナとセレスティーナは、顔を見合わせて苦笑するのだった。
僕たちの、初めての旅が始まる。
その先に、僕の過去と繋がる、思いがけない因縁が待ち受けていることなど、まだ誰も知らなかった。




