第22話:厄災の地と、過去の亡霊
ヴァレリウス侯爵の居城までは、馬車で三日間の旅路だった。
ドルガンさんがギルドの威信にかけて用意してくれた馬車は、貴族が使うような豪華なもので、乗り心地は僕の家のソファよりも快適だった。
道中の僕たちの役割は、自然と決まっていた。
リナは、ほとんどの時間を馬車の外で、並走させている馬の上で過ごした。彼女は、常に周囲の警戒を怠らず、僕たちの安全を確保する騎士の役割を完璧にこなしている。時折、馬車の窓から見える、風に銀髪をなびかせながら荒野を駆ける彼女の姿は、一枚の絵画のように美しかった。
セレスティーナは、馬車の中で僕の世話を焼いてくれた。彼女は、旅の行程表や、ヴァレリウス侯爵領の情報をまとめた資料を読み込みながら、僕のためにお茶を淹れ、お菓子を勧めてくれる。その様は、有能な秘書か、あるいは過保護な姉のようでもあった。
そして僕は、といえば。
工房から持ってきた魔導書を読んだり、新しい発明品の簡単な設計図を描いたりしながら、完全に旅行気分を満喫していた。僕にとって、これは依頼というより、少し遠くへのピクニックに近かった。
旅が二日目に入った頃、馬車の窓から見える風景が、一変した。
ついさっきまで青々と茂っていた森が、まるで病に罹ったかのように、その彩度を失っていく。木々は生気を失って灰色に枯れ、地面はひび割れ、草花一本見当たらない。鳥のさえずりは途絶え、支配するのは、不気味なほどの静寂だけだった。
「…これが、侯爵領を蝕む厄災…」
リナが、馬を寄せてきて、厳しい表情で呟く。
「空気が、澱んでいる。ただの不作や干ばつではないな。魔力そのものが、死んでいるようだ」
「ええ。土地の生命力が、根こそぎ奪われているのを感じます。まるで、巨大な何かに、魂を吸い上げられているかのようです」
セレスティーナも、窓の外の荒涼とした景色に、痛ましげに目を細める。
僕も、その土地の状態を創成魔法で分析していた。二人の言う通りだった。これは、自然現象ではない。
(これは…土地の魔力が、どこか一か所に、無理やり吸い上げられている…? 人為的な、大規模な魔力集積プラントのようなものが、この近くにあるのかもしれない)
僕が原因の仮説を立てているうちに、馬車は荒野を抜け、大きな城壁に囲まれた街へと入っていった。ヴァレリウス侯爵の城下町だ。
街の中も、外の景色と同じように、活気がなかった。道行く人々の顔は暗く、肩を落としている。豊かなフロンティアの街並みを見慣れた目には、その差はあまりにも明らかだった。
僕たちは、街の中心に聳え立つ、壮麗なヴァレリウス城へと通された。
城の内部は、豪華絢爛だが、どこか冷たい空気が漂っていた。僕たちを案内する騎士や侍女たちの動きも、覇気がなく、機械的だ。この城もまた、土地と同じ「病」に罹っているようだった。
やがて、僕たちは巨大な謁見の間へと通された。
高い天井、磨き上げられた大理石の床、壁には歴代当主の肖像画。そして、その最奥にある玉座に、一人の男が座っていた。
歳の頃は五十代だろうか。高価な絹の服をまとい、痩せてはいるが、その目には貴族特有の傲慢さが滲んでいる。だが、その傲慢さの奥に、隠しきれない焦りと憔悴の色が浮かんでいた。
家令と思わしき老人が、恭しくその男を紹介する。
「フロンティアの聖者様御一行、ようこそおいでくださいました。こちらにおわすは、我が主、東部辺境領を治める、アルトゥール・フォン・ヴァレリウス侯爵様にございます」
ヴァレリウス――。
その名前を聞いた瞬間、僕の心臓が、氷水で冷やされたかのように、ドクンと嫌な音を立てた。
まさか。そんなはずはない。同姓の、別人だろう。
僕は、自分の動揺を押し殺し、玉座の男の顔を、改めて観察した。
見覚えがあった。
やつれたせいで雰囲気は変わっているが、間違いない。数年前、王都で、僕に「役立たず」の烙印を押し、僕の全てを奪って追放した、あの王宮錬金術師。僕の師匠だった男。
あの事件の後、彼は王宮での地位を失脚したという噂を、風の便りに聞いていた。そして、実家であるこの辺境の領地に戻り、家督を継いでいたのか。
なんという、皮肉。
なんという、因果か。
僕が内心で激しく動揺していることなど、もちろん、誰も気づいていない。
リナとセレスティーナは、僕の代理として、侯爵に礼儀正しく挨拶をしている。
そして、ヴァレリウス侯爵は、僕がただの「お付きの者」だと思ったのか、僕には一瞥もくれず、威厳を保とうとしながら、セレスティーナに語りかけた。
「聖女殿、遠路はるばる、よくぞ参られた。そして、そちらの女剣士も、ご苦労。して、フロンティアに奇跡をもたらしたという『聖者』殿は、一体、どの方かな?」
セレスティーティーナが、一歩下がり、僕の前に道を開けた。
「ご紹介が遅れました、侯爵様。こちらが、私の主であり、フロンティアの全てを救われた、カイ様です」
促され、僕は一歩前へ出る。
ヴァレリウス侯爵は、僕の姿を見て、怪訝な顔をした。Fランクのギルドカードを首から下げた、どこにでもいるような若造。それが、伝説の聖者だとは、にわかには信じられないのだろう。
だが、彼は僕の顔をまじまじと見ても、僕が誰であるかには、全く気づく様子がなかった。まあ、無理もない。彼にとって、僕は、大勢いた弟子の一人、それも、自分の手で切り捨てた「失敗作」でしかないのだから。
彼は、僕の存在に納得できないまま、しかし、藁にもすがる思いで、玉座から身を乗り出した。
「おお…あなたが、カイ殿か。見た目はお若いが、その身には神々の御力が宿るとお見受けする。どうか、このヴァレリウス領を、そして、この私を、救ってはくれまいか!」
その姿は、滑稽ですらあった。
僕を「役立たず」と断じ、その才能と未来を、自らの嫉妬と保身のために踏みにじった男が。
今、僕の足元に、事実上、ひれ伏している。
僕が「役立たず」と見なした、この創成魔法の力に、救いを求めて。
僕の心に、熱い怒りはなかった。
ただ、どこまでも冷たい、鉄のような静かな歓喜が、心の底から湧き上がってくるのを感じていた。
(面白い。実に、面白い)
僕は、心の内で、誰にも聞こえないように、確かに笑った。
(これ以上の『ざまぁ』が、この世にあるだろうか)
僕の復讐は、僕が意図しない、最高の形で、今、静かに始まろうとしていた。




