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第20話:Fランクのままの英雄と、過去からの風聞

ギルドマスターの執務室に戻った僕たちは、まず、今回の依頼の完了手続きを行った。

ドルガンさんは、まるで何か神聖な儀式でも執り行うかのように、恭しく革袋から銀貨を8枚取り出し、一枚一枚、テーブルの上に並べた。


「Fランク冒険者、カイ君。依頼『廃坑の定期調査と、坑道内に発生する粘菌の駆除』、完璧な達成を認める。これが、正規の報酬、銀貨8枚だ。確かに受け取りたまえ」


その、あまりに大真面目な口調に、僕は思わず吹き出しそうになった。リナとセレスティーナも、必死に笑いをこらえている。僕は、ありがたくその銀貨を受け取り、懐にしまった。今月の工房の材料費の足しにしよう。


「さて、と」ドルガンさんは咳払いを一つすると、本題に入った。「ビジネスの話は終わりだ。ここからは、君の処遇についての話をしなくてはならん」


「僕の、処遇、ですか?」

「そうだ。カイ君、君をいつまでもFランクのままにしておくわけにはいかん。はっきり言って、ギルドの運営上、支障が出始めている」


ドルガンさんによれば、Fランクの冒険者が、Aランク剣士と聖女を護衛に従え、街の英雄として称えられているという状況は、前代未聞すぎて、ギルドのランク制度そのものの信頼を揺るしかねないのだという。


「そこで、ギルド本部へ君を特別推薦することにした。本来なら、実績を一つ一つ積み重ねるのが筋だが、君の場合は規格外だ。一気にAランク、いや、私の権限でSランクへの昇格を申請しようと思うが、どうだ?」


Sランク。

それは、全ての冒険者が夢見る、最高の名誉。国によっては、貴族として迎え入れられるほどの地位だ。

だが、僕にとっては、悪夢の宣告に等しかった。


「い、嫌です! 絶対に嫌です!」


僕は、思わず椅子から立ち上がって叫んでいた。

「Sランクなんてなったら、危険な魔物の討伐とか、戦争への参加とか、面倒な依頼ばかりになるじゃないですか! 僕は、ただ、薬草を摘んだり、スライムを掃除したり、そういう平和なFランクの依頼を、のんびりこなしたいだけなんです!」


僕の必死の訴えに、ドルガンさんは頭を抱えた。リナとセレスティーナは、「まあ、カイ殿(様)ならそう言うだろうな」と、納得したような、困ったような顔で僕を見ている。


「…君という奴は、本当に…。分かった、分かったから、少し落ち着け」

ドルガンさんは、僕をなだめると、しばらく考え込んだ。そして、前代未聞の妥協案を提示した。

「よろしい。では、こうしよう。君の公式ランクは、Fランクのまま据え置く。ただし、それはあくまで表向きだ。裏では、君をギルドマスター直属の『特任フリーランサー』として登録する」


「とくにんふりーらんさー?」

「ああ。君は、もう掲示板から依頼を受ける必要はない。君が日々行っている『発明』や『研究』そのものを、ギルドへの貢献活動と見なす。その対価として、ギルドから君へ、定期的に活動資金を支給しよう。君は、好きな時に、好きな研究をしてくれればいい。ただし、今回のような、街の存亡に関わるような発見をした場合は、速やかに私に報告すること。これでどうだ?」


それは、僕にとって、望外の提案だった。

面倒な依頼をこなすことなく、自分の好きな発明に没頭できる。しかも、お小遣いまで貰える。そして、表向きのランクはFランクのまま。


「…分かりました。その条件で、お願いします」

こうして、フロンティア史上、最も奇妙な立場の冒険者が、ここに誕生した。



話がまとまった後、ドルガンさんの提案で、僕たちはギルドの酒場で、ささやかなお祝いをすることになった。

僕とリナ、セレスティーナ、そしてドルガンさんと、噂を聞きつけてやってきたポーション先生。五人でテーブルを囲む。僕の前には、新鮮な果実のジュースが置かれている。


僕の周りだけ、まるで結界でも張られているかのように、他の冒険者たちは誰も近づいてこない。遠巻きに、畏敬の視線を向けてくるだけだ。

「いやはや、カイ君がいれば、このフロンティアも安泰じゃのう!」

ポーション先生が、上機嫌でエールを呷る。

「安泰なのはいいが、俺の胃には穴が開きそうだ…」

ドルガンさんが、疲れたようにぼやく。

その、和やかな歓談の最中だった。


酒場に入ってきた、一人の旅商人が、連れの男に大きな声で話しているのが聞こえてきた。

「おい、聞いたか? 王都のSランクパーティ『紅蓮の剣閃』の話だよ。どうも、最近、大きな討伐依頼で大失敗をやらかしたらしくてな。装備はボロボロ、連携は滅茶苦茶で、命からがら逃げ帰ってきたそうだ。今や、王都の笑い者さ。解散も時間の問題だって噂だぜ」


『紅蓮の剣閃』。

その名前に、僕の心は、ほんの少しだけ、ちくりと痛んだ。だが、それはもう、遠い過去の傷だった。僕の脳裏に浮かんだのは、アレクたちの顔ではなく、目の前で僕を心配そうに見つめる、リナとセレスティーナの顔だった。


僕は、彼らの噂話にはもう興味を失っていた。それよりも、エリスさんが運んできてくれた、新しい果実ジュースの方が、よほど魅力的だ。

その僕の様子を見て、リナは、そしてセレスティーナも、安堵したように、ふわりと微笑んだ。


ドルガンさんが、エールのジョッキを高く掲げる。

「よし! 改めて、乾杯しよう! フロンティアで最も厄介で、そして、最も価値のある、我らがFランク英雄殿に!」


その言葉に、ポーション先生は豪快に笑い、リナとセレスティーナは、誇らしそうに頷いた。

僕は、少し照れくさかったが、自分のジュースのグラスを、そっと持ち上げた。


追放され、全てを失ったと思っていた。

だが、僕は今、このフロンティアで、新しい居場所と、新しい仲間を手に入れた。

僕が望んだ、静かで孤独なスローライフとは、だいぶ違ってしまったけれど。


僕の隣には、僕の剣となることを誓ってくれた、最強の剣士がいる。

僕の反対側には、僕の盾となることを誓ってくれた、慈愛に満ちた聖女がいる。

僕の前には、僕の規格外の行動に頭を抱えながらも、最後には笑って受け入れてくれる、頼もしいギルドマスターがいる。


「…こういうのも、悪くない」


ぽつりと漏れた僕の呟きは、酒場の喧騒に紛れて、誰の耳にも届かなかったかもしれない。

だが、僕の心は、確かに、温かい光で満たされていた。

僕の、フロンティアでの本当の意味での新しい生活が、今、静かに幕を開けた。

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