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第五章一話「風邪」

 ほとんどの樹木から葉が落ちた。

 空気が旅人に刺すような冷たさを提供する。それでもなお足を進めなくてはならない旅人は自然と厚着になっていった。


「へくちっ」


 ワシ魔王じゃから寒さごときに負けぬしー、とか言っていたイブが車イスに座って小さくくしゃみをする。


「なんだ風邪か?」

「移さないでくださいね」

「近付くなよ」

「主らは年長者を敬うということを知らぬのか!」


 圭太、ナヴィア、シリルの順で空気よりもさらに冷たい視線を叩きつけられ、イブが両手を振って暴れ出した。

 すっかり冬になった。まだ雪こそ降っていないが、指先がかじかんでいけない。この世界に四季があることに圭太は鼻を垂らしながら感心したものだ。


「年長者と言われましても」

「お前のほうがチビだろうが」

「なんじゃと人間! ワシが一番気にしておることを!」


 ナヴィアに押させていた車イスの主導権を奪い取って、イブがシリルに食ってかかる。

 キテラを倒してから一ヶ月が経過していた。と言ってもこの世界の暦がどのような期間なのかは文字が読めない圭太には分からない。とりあえず三十日以上は旅をしたはずだ。


「あーあ。すっかり仲良くなっちまって」


 姉妹のようにじゃれ合う二人を眺め、圭太は肩をすくめた。

 初めは心を開いていなかったシリルも、圭太やナヴィアの手助けもありイブとも信頼関係を築いた。

 今ではご覧の通り他愛ないことでじゃれ合うこともあるぐらいだ。


「安心しました。魔王様は人間を憎んでいるわけではないんですね」


 ナヴィアが実に自然な動作で圭太に並び微笑みを浮かべている。


「本人が言ってたよ。恨みはない。ただ仲間を守るために戦ってきたんだとさ」

「魔王様らしいです」


 圭太は話し相手に目を向けて、微笑んでいるナヴィアが視界に入った瞬間に固まった。


「……でも本当に冷えてきたな」

「? はい。そうですね」


 すぐに意識を取り戻して呟く圭太。ナヴィアは何か気になったのか首をわずかに傾ける。

 一瞬とはいえ微笑んでいるナヴィアに見惚れていたなんて口が裂けても言えない。照れ臭すぎる。


「イブはくしゃみをしていたけど、魔界はそんなに寒くないのか?」

「魔界? ああ、わたくしたちの故郷ですか」

「ここまで冷えることはない。ワシがもっとも快適な気候の場所を選んだんじゃからな」


 俺はナヴィアに聞いたんだがな、とは言わなかった。圭太は大人なのだ。

 イブのほうに視線を戻すと、彼女は満足そうに胸をはっていた。ちょっと見ていない間にシリルの髪はボサボサに乱れている。


「何の話だ? 家でも作ったのか?」


 シリルがイブに乱された髪を手櫛で整えながら首を傾げた。


「ふっふっふ。聞いて驚け。ワシはなんと大陸を作り上げたのじゃ!」

「アダムに負けた時の話か」

「負けておらぬわ!」


 車イスに座りながら腰に手を当てて自信満々に薄い胸をはるイブ。しかしシリルの純粋が故に無慈悲な言葉にすぐさま怒鳴り返した。


「ワシは勝利した! アダムを封印したんじゃぞ」

「それって封印しなきゃ勝てない相手だったってことだよな?」

「封印も雑なもんだけどな」

「アダムが召喚した勇者に逆に封印される始末ですしね」


 イブが高らかに勝利を謳う。しかしシリル、圭太、ナヴィアの反応は冷たかった。

 イブの話が正しくアダムを封印したのだとしても、アダムが召喚した勇者に封じられた時点で立場は逆転している。まだアダム本人が出てこないのが唯一の救いだ。


「その結果両足が動かなくなったのか」

「そういうこと。頭いいなシリル」

「えへへ」

「家族か!」


 ポンと手を叩くシリルの頭を撫でてあげるとイブがウガーッと叫ぶ。


「ワシを差し置いて幸せな空間を作るでないわ! ワシ一応魔王じゃぞ」

「自分でも自信無くしてんじゃねえよ」

「うるさいっ!」


 あまりに弄られてプライドが折れかけているイブに圭太が呆れると、一応魔王様がそっぽを向いた。

 ちょっとやり過ぎてしまったかもしれない。


「ふひっ、ケータ様と家族。つまりそれって」

「あの、ケータ」

「何も言うな。目も合わせるな。ナヴィアのためにも」


 どう慰めてやろうかと考える圭太の袖をシリルが引っ張る。彼女の視線は真っ赤な頰に両手を当てて不気味に笑っているナヴィアに向いていた。

 圭太はナヴィアを視界に入れないよう注意して首を横に振った。お互いが傷付かない方法は心得ている。


「おっおう分かった。お前凄いなまともな奴が一人もいない中で」


 圭太に向けられるシリルの目には純粋な尊敬の念が混ざっていた。


「だろ?」

「ワシまともなんじゃが!」

「本人に自覚がないのがまた困ったもんなんだよ」


 圭太は肩をすくめ、何か叫んでいるイブを無視して疲れているアピールのために首を左右に振った。


「無視するでないわ! 助けぬぞ!」

「それは困る」

「ならばもう少し敬おうとせぬか。まっこと調子に乗りおって」


 今まで散々イブに助けてもらってきた圭太は無言で頭を下げた。

 勇者には確かに負けたけど、イブの、魔王の実力は遊ばせるには勿体ない。存分に有効活用したからこそ圭太は三度もの勝利を掴み取れたのだから。


「そうでもないぞ。俺結局魔法が使えなかったんだし」

「ふん。赤いのの禁術か。あやつも抜けたものよな」


 頭を上げながら頭の後ろで手を組む圭太。イブはつまらなそうに腕を組んだ。


「魂の保管庫になる魔法しか使っておらず、魔力に変換していたのは感覚のみじゃったとは」

「そんなことってあるのか?」

「何とも言えぬな。妄想にふけっておる小娘でも簡単なものなら感覚で扱える。そうじゃな。せいぜい主の鼻っ面を小突く程度じゃがな」


 イブはあごでうふふと笑い声を漏らしているナヴィアを指した。

 ナヴィアはエルフ。魔力の扱いも熟練の域だ。そんな彼女でも小突く程度とは、それだけキテラの技術が異次元だとでも言いたいのだろうか。


「お前は違うのか魔王」

「ワシを誰じゃと思うておる。こちらの魔物ぐらいなら魔法に頼らずとも念じるだけで余裕じゃ」

「詠唱なしで魔法を撃ってるのはそういう理由か」


 シリルの言葉にイブはやれやれとばかりに首を振った。

 圭太はイブが魔法を詠唱しているところを見たことがない。キテラの話では最高峰の魔法である空間接続魔法でさえも無言で使っていた。

 つまりイブはほとんどの魔法を感覚のみで扱えるのだろう。もしも詠唱するとすればそれはよほど凄まじい魔法だ。


「もしもケータが初めから魔法を扱えていたのなら、あるいは可能じゃったとは思うがの。そもそも魔力を体外に出すやり方すら知らぬようでは魔法は使えぬよ」

「うまい話はなかったか。いい案だと思っていたんだけどな」


 圭太は頭をかいてため息を吐いた。

 魔法が使えれば新たな切り口も見つけられたのに。魔法でしか解決できない問題だってあるかもしれないのに。

 結局は車イスに座っているこの小さな銀髪の魔王に頼るしかなさそうだ。


「ケータは魔法が使いたいのか?」

「ん? まあな。あって困るというものではないし」


 シリルに聞かれて、圭太は曖昧に頷いた。

 半分は本心だ。魔法が使えたら便利だし色々と攻略の方法が増えるという気持ちもある。

 だけど実際は、魔法が使いたいのかと問われればめちゃくちゃ使いたいと叫びたい。あって困るものではないしー、なんて澄ました態度はあくまでも擬態なのだ。

 だってファンタジーの世界だぜ? 魔法が使いたいのは当然だろうが。


「でもオレがいるとどっちにしろ使えないよな?」

「あっ……」


 シリルの発言で、圭太は口が半開きの状態で固まった。


「くくっ、そうじゃな。言う通りじゃ」

「そうだった。いざってときに使えないんじゃ意味ないな。まあどっちにしろ使えなかったんだけど」


 イブは口元に手を当てて愉快そうに喉を鳴らし、圭太も困ったとばかりに苦笑する。

 シリルの魔力は敵味方問わず魔法を阻害する。

 つまり彼女と一緒に戦う限り、戦闘中は魔法が使えないということだ。一番大事なときに使えないのならあってもなくても同じだ。


「どうして二人とも笑ってるんだ? オレ何か変なこと言ったか?」


 圭太とイブがそれぞれ真逆の意味で笑っている理由が分からなくて、シリルは不安そうに首を傾げた。


「いや、言ってない。その通りだなあって思ってるだけだ」

「まさか一番子供に教えられるとはのう。純粋なのも便利なものじゃ」

「だな」


 イブに同意して圭太はシリルの頭を撫でる。

 最初は状況を理解していなかったシリルも、段々と目を細めて圭太の手を気持ち良さそうに受け入れていた。


「人間、褒美じゃ。近う寄れ」

「ヤだよ風邪移されたくないし」

「いいから寄らぬか。これじゃからケータの見つける人間は」

「俺関係ないよな」


 イブが手招きし、シリルは拒否し、関係ないところで自分のせいにされた圭太はボソッと呟く。

 シリルの頭から手を離すと彼女に寂しげな表情を浮かべられた。まるで子犬だ。

 クゥーンという音が聞こえてきそうな背中を見せて、シリルはイブへと歩み寄った。


「んだよ。これでいいか?」

「少し細工をする。邪魔するでないぞ」

「どうやってだよ」

「知らぬ。ほれ、もういいぞ」


 イブは指先をスマホでもつつくように宙で振る。

 紫の光がイブの指を追うように線を引き、寒さ対策で羽織っていたシリルの外套に溶け込んだ。


「おっ? なんだか寒くなくなったぞ」

「やはりな。魔力の質が特殊なだけならできると思ったんじゃ」


 シリルの顔の血色が見るからによくなり、イブはふふんと上機嫌に口角を上げる。


「何をしたんだ?」

「勝手に持ち主を使って服を温め、冷気を遮断する魔法じゃ。冬には便利じゃろう」

「なっ、ずるくないか!?」


 世界最強の魔法使いが片手間でしたことに、圭太はつい大声を出してしまった。

 イブの魔法が、簡単に言うと外套を天然カイロに変化させた。持ち主の魔力、この場合はシリルだ、を使い勝手に温まるようにしたらしい。

 イブは指を宙で踊らせて、未だ虚空に呟いていたナヴィアにも紫の光を飛ばす。彼女にもシリルと同じ魔法を使ったようだ。


「ちなみに言うておくが、魔力がなければ使えぬからな」

「マジかよ。やっぱり魔力欲しいなあ」


 イブは悪戯げに笑う。

 魔力を扱えないのは圭太だけだ。つまり圭太にだけ天然カイロは支給されない。

 圭太は一瞬肩を落とし、すぐに温まる服の恩恵を得ようとシリルやナヴィアに引っ付き始める。

 圭太に飛びつかれたナヴィアがこれは夢? と鼻血をこぼしながら言っている。誰も気付いていないフリをした。


「大丈夫じゃ。主もいずれ覚醒するじゃろうて」


 イブの小さな呟きは、じゃれる圭太たちには届かず空気に溶けて消えていった。

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