第四章三十話「懐かしい、夢」
カーテンから木漏れ日が差していた。
「……んん」
琥珀はまぶたを震わせて目を開く。そしてもそもそと上体を起こした。
森の中でも荒野でもない。
一人で使うには大きすぎるベッドに、シンプルながら装飾された壁。窓が開いているのか風を孕むカーテンは一目見ただけで質の良さを感じさせるシルク製だ。
絵本に出てきてもおかしくないぐらいの気品が溢れる一室。かつてエドワードからあてがわれた客室で、今は琥珀専用の寝室でもあった。
「――懐かしい、夢を見たな」
琥珀が呟くと、頰を一筋の雫が流れる。
イオアネスと一緒に旅をしていた頃の夢。その半年後、この世界に来て二年目にイブを封印し、さらに一年が経過したから、彼女を亡くしてもう一年半も経つ。
辛いこともたくさんあったけど、思い返してみると旅をしていたあの頃が一番楽しかった。
「あれ? もう立ち直ったはずなのに」
琥珀は目元を指で拭って、薄く自嘲の笑みを浮かべる。
とっくに傷は癒えていると思っていた古傷の痛みに琥珀はそっと自分の胸元をくしゃっと握り締めた。
しばらく感傷に浸っていると、突如ダンダンダン! と壊さんばかりの勢いで部屋の扉が叩かれた。
「はーい」
「起きているか!」
「起きてますし開いてますよエドワード様。ふわあ」
琥珀は間延びした調子であくびをする。
エドワードの声が大きいのは相変わらずだし、夫に寝起きを見られても今さら何を感じるはずもなかった。
琥珀があくびをしている最中に扉が吹き飛びそうな勢いで開いて壁に激突する。木の扉とは思えない音がした。
「扉が壊れるって前から言ってるじゃないですか」
「壊れたならまた作ればよい! ではなく!」
エドワードはズカズカと大股でベッドの琥珀へと近付いてくる。なんとなく苛立っているように感じた。
「これを読め!」
「なんですか? 新聞?」
バンとベッドに紙を叩きつけるエドワード。
琥珀は首を傾げながら紙を手に取る。デカデカと見出しの書かれている記事が目を引くその紙は国が直々に発行している新聞だ。大きなニュースの大体のことが書いてある。
見出しには革命最高という文字とキテラに統治を任せていた都市の名前が書いてある。
「……これは」
「サン、クリスに続いてキテラもだ。この意味が分かるか?」
「やっぱり、魔王が復活したみたいですね」
エドワードの問いに、琥珀は重々しく頷く。
サンが行方不明になったという情報はすぐに二人の耳にも届いた。クリスが慰安の旅行に出たと知ったのはその一ヶ月後。
そして今回のキテラ敗北。一見何の繋がりもなさそうではあるが、三つのニュースには一つだけ共通点がある。
全員が元勇者パーティの一員であり、平和のためと琥珀自ら仕事を任せていたということだ。
魔王に狙われたと確信するには十分な根拠だった。
「千年の歴史上でもなかったことだ。魔王が直々に出向いてくるなど」
エドワードが珍しくオロオロとしていた。
彼の知るおとぎ話ではアダムに敗北した後魔王は辺鄙な大陸に千年間引きこもっていた。
アダムが神となってから表面上は平穏な日々が遅れたのは、魔族が人間たちを恐れて大陸から出てこなかったがためだ。
「でもきっと事実でしょう。あの三人を倒せるとしたら魔王だけです。じゃなかったらボクだけだ」
「まさか――」
「いくらエドワード様でもその冗談は許しませんよ?」
琥珀は薄く笑みを浮かべて、まっすぐエドワードを睨んだ。
いくら夫婦でも言っていいことと悪いことがある。今のは間違いなく後者だ。
歴戦の勇者に睨まれて、神すら恐れぬエドワードもさすがに頭を下げる。
「すまぬ! だがこのままでは!」
「大丈夫ですよ。エドワード様」
珍しく狼狽えた様子のエドワードに、琥珀は自分の胸に手を当てて微笑んだ。今度は敵意は込めていない。
「ボクがいます。もしも魔王が戦争を望んでいるのなら、イオとの約束を果たすために今度こそ倒します」
「……できるのか?」
「正直に言えば難しいです。魔王は不死身。剣を失ったボクじゃ簡単には勝てないでしょう」
魔王が復活したということは封印に使った勇者の剣を敵に渡してしまったに等しい。
神造兵器ですら通用しなかった相手に糸口があると考えるのはさすがに楽観が過ぎた。
「でも、ボクにはイオがいます。二度と崩れぬ平和を約束します」
まあ、どれだけ危険な状況でも琥珀は諦めないのだが。
イオアネスの願いを叶える。琥珀はそう誓った。
そして魔王を倒すという不可能ですら一度は可能にしたのだ。どれだけ不利でも同じことをするだけだ。
「ならばよし! では余も戦うとしよう!」
エドワードが高らかに宣言する。
予想外の言葉に琥珀は思わず固まった。
「えっ? エドワード様が前線に出るのはやめたほうが……」
「勘違いするでないわ! 余が兵士と並べるわけなかろう!」
琥珀が心配しながらやんわりと引っ込んでろと言うと、逆にエドワードに怒られてしまった。
「三人の英雄、その穴埋めをするのだ! 余は王! 方法は山ほどある!」
「そっか。そうですよね。お願いしますエドワード様」
勘違いだったと理解して、琥珀はわずかに頰を染めながら頭を下げる。
「無論だ! 指をくわえておれ!」
「指、ですか?」
琥珀は首を傾げた。
もしも琥珀たちの予想通り、魔王が復活しているとすれば琥珀が出ないわけにはいかない。実際に戦ったからこそ、魔王の規格外な実力は理解しているからだ。
「コハクよ! 勇者よ! キサマの役目は終わった!」
エドワードは再び宣言する。
琥珀にだけ見せてくれる個人の表情ではなく、王としての顔だ。
「ここから先は余の戦いよ! 剣のない者がでしゃばるでないわ!」
役立たずは引っ込んでいろ、とも聞こえる言葉。
だけど実態は違う。エドワードは最大級の功績を残した琥珀を気遣い言ってくれている。
妹を失い、誰にも涙を見せなかったこの男は、それでも琥珀を守ってくれる。
「……ありがとうございますエドワード様」
「うむ! 余が城で優雅にくつろいで結果を待つがよい!」
「分かりました。よろしくお願いしますね」
琥珀はベッドの上で首を動かして頭を下げる。
エドワードならやってくれる。そんな信頼があった。




