第四章二十八話「お荷物にはならない」
地面が揺れ、轟音が鳴る。
「んぅ?」
地鳴りのように続くドカーンバコーンという音に琥珀はまぶたを震わせた。
神経の図太くなった琥珀は今や多少の地震でも目覚めない。旅人がそんなに警戒心がなくていいのかと思わなくもないが、悪意や敵意を向けられればすぐに目が覚めるようになっているので問題はなかった。寝坊したときクリスがいたずらしようとしていたが、その直前で目を覚ましたこともあるくらいだ。当時の彼女はつまらないと頰をふくらませていたのは今でも思い出せる。
「砕いてやる!」
「効かないよ!」
琥珀が眠気眼で枕がわりにしていた剣を手に取る。
敵意さえあれば一瞬で目が覚めるのだが、逆を言えば敵意がなければ琥珀は寝覚めが悪かった。
今もまだ地面が揺れている。琥珀の耳は既に轟音を雑音として気にならないようにしていた。
「キテラ頑張るのー。サン私が治すから安心するのー」
「油断したらバラバラにされそうなんだけど!」
「アンタが頑丈だから悪いのよ!」
「そういう問題!?」
周りを見渡してみると音源はすぐに分かった。
鞘に納めたままの剣を振りかぶり走り回っている騎士と情け容赦なく魔法を撃ち続けている魔法使いがいる。水色髪のシスターは横で二人に声援を送っており、かなり変な状況だった。
サンが騒いでいるようだが、寝ぼけている琥珀には内容が理解できない。
「なんだか騒がしいなぁ」
「あっ、起きたの?」
んー、と琥珀があくびを噛み殺してボサボサの髪を手櫛で整えていると、二人の戦いに鼻息を荒くしていたクリスが振り返った。
「何してるの?」
「ごはんはまだなの」
「質問の答えになってないよ。どうしてキテラとサンが戦ってるのかな?」
誰も朝食についてたずねていない。というか、なかなか見ない今の状況でご飯を食べるのは神経が図太いとかって次元じゃないと思う。
いくら琥珀が朝に弱くて寝ぼけていても、そこまで大雑把ではない。
「戦いに理由は必要ないの」
「必要だよ。いい加減にして」
騒音で起こされたこともあって琥珀は不機嫌になった。
「昨日、誰が一番強いかって話になったの」
「だから決着をつけるって? バカげてる」
「ひどい言い草なの。私たちにとっては大切な話なの」
呆れたように重たいため息、頭を押さえてまるで二日酔いのサラリーマンみたい、をする琥珀にクリスは口を尖らせる。
「必要ないって。止めるよ」
「止められるの?」
クリスがからかうように首を傾げ、琥珀は戦っている最中の二人に顔を向ける。
ドカーンバコーンと、苛烈極まりない紅蓮の魔法が飛び交っている。サンならともかく、一昨日までの琥珀では間に入るのは困難だ。
「……昨日の力が使えたら止められるし」
琥珀は口を尖らせて呟いた。
昨日の力、龍神ですら簡単にあしらったあの速さならキテラの魔法を避けて進むなど造作もない。
問題は、自分の身すら焦がしかねない闘気に燃えていたときならともかく、今の落ち着いた心境で魔法が発動できるかだ。
「じゃあ止めればいいの」
「力を貸してよ」
「大切な話って言ったの。私はここで見てるの」
ふいっと顔を動かして、クリスは二人の戦いを再び眺める。
「それに、私じゃ二人は止められないの」
琥珀からもわずかに見える横顔はどこか寂しそうだった。
「まさか、クリスも参加したの?」
「そうなの。敗者は口なしなの」
「もうっ。分かったよ。一人でやる」
クリスも主犯の一人なら、そりゃあ協力してくれないか。
琥珀はため息を吐いて目を閉じ、鞘から抜いた剣を体の前で水平に構える。
「昨日の感覚を思い出せ。速く、誰も追いつけない光を」
琥珀から剣へ、剣から琥珀へと魔力が循環する。
そして目を開ける。
すべてが止まって見えた。
「うっ」
「ぐはっ」
琥珀の体が光を放ち、クリスが振り向いたときにはキテラとサンが同時に吹き飛んでいた。
嵐のように展開されていた魔法陣も、術者が飛ぶと同時に消滅する。
「まったく。何をやってるんだ二人とも。危ないでしょ」
琥珀は剣を肩に担いで呆れるように肩をすくめた。
琥珀がしたのは簡単だ。ただキテラとサンに近付いて剣の腹で小突いただけ。もっともその動きは光の速さで行われているのだが。
「なんで邪魔するのよ。あとちょっとで勝てたのに」
「それは僕のセリフだ。もう少しで剣が届いたのに」
「言うじゃない」
「そっちこそまだ減らず口が叩けるようだね」
キテラとサンがバチバチと火花を散らすと、同時に頭を叩かれた。
「こらっ。やめてって言ってるでしょ」
琥珀はピカピカと光りながら腰に手を当てて喧嘩を続行しようとする二人を叱る。なんだか二人の母親になったみたいだ。
「何よケチ」
「話が通じませんね」
琥珀よりも年上な二人がまるで子供のように頰をふくらませる。
「何? 今度はボクに喧嘩を売るつもり? なんでそんなに血の気が盛んなのかな?」
普段ならここまで喧嘩っ早くはない。いつもならキテラの挑発をサンが受け流してそれでおしまいだ。喧嘩になることはほとんどない。
しかも琥珀に飛び火した。今までなかったことに琥珀は呆れた様子で肩をすくめる。
「ああ、それいいわね。今のコハクには一歩どころか十歩ぐらい先に行かれてるわけだし」
「ここで力比べするのもいいかもしれない」
「それなら三対一でやるの。私も参加するの」
キテラが立ち上がり、サンが剣を構える。クリスも手を上げて意欲的だ。
「ちょっと本気でやめてよ。ボクはそんなつもりないんだって」
「今さら遅いの!」
一歩後ずさる琥珀にクリスが飛びかかった。
光が走り、次の瞬間には琥珀に右手を上に捻られた状態でクリスは地面に取り押さえられていた。
「だからボクには勝てないって」
「クリス以外もいるわよ!」
キテラの頭上に赤い魔法陣が展開される。クリスも巻き込む勢いで炎の波が襲ってきた。
琥珀は再び光を放ち、クリスを抱えて移動する。そしてキテラの眼前まで移動して彼女の両腕を掴んだ。
「遅いよ」
「ウソでッ!?」
キテラからすれば突然クリスがその場を離れ、琥珀が目前に現れたに等しい。
驚いているキテラを背負って投げる。あまりに次元の違うやり取りに、琥珀は悲しそうな表情を浮かべた。
「こっちだ!」
サンが鞘に入ったままの剣を振りかぶっていた。
腕利きであろうと簡単には避けられない鋭い一撃を、琥珀は光の速さで一歩横に動いて避ける。
しかし近接戦闘の手練れであるサンは避けられることも想定していたようで、すぐに追撃をけしかけてくる。
一昨日までだったら無傷で避けるのは難しいサンの猛攻を琥珀は光りながら一歩動くことですべて回避していく。
二人と違って大きな隙がない。どうしたものかと考えてしまう。
「届かながっ!?」
サンなら頑丈だし大丈夫だろうと判断して、それなりに加減して蹴り飛ばす。
地面を滑る様子にやり過ぎたかと心配になったが、すぐに起き上がったサンを見て琥珀は内心で安堵した。
「だからダメだって。龍神ですら手も足も出なかったんだよ? 皆じゃ勝てないよ」
琥珀と三人の戦力差は絶望的だ。
光の速さで移動する琥珀を捉えることは不可能に近い。正面からの決闘なら文句なしで最強だろう。
「そんなの分かってるわ」
「戦力差があるからこそ――」
「アタシたちは知恵を絞るの!」
戦力差なら昨日の戦闘で理解している。
サンに集中している間に魔法を使って気配を消していたキテラが、クリスと一緒に琥珀を取り押さえる。
「くっ、放して!」
琥珀は暴れるが二人の手を振り払えない。
光速で移動しようにも世界が止まったように遅くなるだけで二人の手が振り払えないのは変わらなかった。動けないと移動のしようがない。
「思った通りなの。捕まえちゃえばコハクは動けないの」
「アタシとクリスを抑え込んで油断してたでしょ。だからこんな目に合うのよ」
ジタバタといくら暴れても腕力でクリスに劣る以上逃げ出せない。魔法を使おうにもキテラによって事前に阻まれてしまう。
手がない。いや、一つある。乱暴な手になるが魔力を無理やり放出すればいい。
取り押さえている二人はもちろん使用者である琥珀ですら傷つけてしまうが背に腹は変えられない。
「いい加減にしないと怒るよ!」
「いいえ。そんな暇はありません」
最終勧告とばかりに叫ぶと、蹴り飛ばしたはずの声がすぐ近くから聞こえてきた。
琥珀の首に剣が突きつけられていた。持ち主は当然サンだ。
「これで僕たちの勝ちです」
サンの勝利宣言を聞いて、二人も琥珀から離れた。
紛うことなく三人の勝ちだ。琥珀は絶大な力を持っているにもかかわらず、三人を制圧できなかった。
「どうして、こんなことをするの」
「決まっているでしょう。僕たちの力を証明するためです」
首元に手を当てて咳き込んでいる琥珀に、サンは当然とばかりに言い放つ。
「私たちは確かに龍神に手も足も出なかったの。コハクに命を助けてもらったのも確かなの」
「だけどアタシたちだって強いのよ。少なくともコハクを倒せるぐらいには」
「……何が言いたいの?」
要点が掴めない。
クリスとキテラの話に、琥珀は訝しげに眉を寄せる。
「お荷物にはならないってことなの」
「――っ」
その答えに、琥珀は息を飲んだ。
「今のコハク様が真正面から戦えば負けることはまずないでしょう。だけど僕たちは違う」
「手も足も出ない相手もいるでしょうね。コハクからすれば守る対象になるかもしれない」
「だから私たちはコハクの背中に隠れるほど弱くないって証明したかったの」
イオアネスは龍神という格上を相手にし、敗北した。
魔王を倒す旅を続けていれば同じように格上と戦って死ぬ可能性が高い。琥珀一人ならまだしも手も足も出ない三人ではお荷物になるかもしれない。
だが、三人は琥珀に勝つことだってできる。
琥珀の後ろではなく隣に立てるのだと身をもって証明したかった。
「コハク様の元から離れたりはしません。僕たちは全員一生あなたのそばにいます」
「イオアネスの願いを一緒に叶えてあげるわ」
世界を平和にする。
すべての人間が一度は望んだこと。けれど未だ誰も成し得ていない難題だ。琥珀は個人の幸せを捨てることでその道を歩もうとしている。
だからこそサンやキテラ、クリスの三人は同じ道を並んで歩くつもりでいる。
頼まれたのは琥珀だけど、大切な友人の望みだ。叶えてやりたいと思うのは何一つ不思議ではない。
「なんでっ、ボク望んでないのに」
目からボロボロと大粒の涙をこぼして、琥珀は両手で顔を覆う。
壊れたはずの心に、感情を廃したはずの機械に、三人の温かな気持ちが染み渡る。
「私に嘘は通じないの」
「たとえ嫌と言われてもついていきますよ」
「まあ、嫌だと言わせないけどね」
クリスがはっきりと言い、サンは苦笑しキテラは不敵に笑う。
「うん。ありがとう皆」
琥珀は手で涙を拭って言う。
「魔王を倒そう。絶対に」
勇者は改めて、今度は利用するためでなく対話のために、宣言した。




