第四章二十七話「やめるなら今のうち」
旅は再開された。荷物をまとめ、丸一日歩いた。
イオアネスの荷物のほとんどは道中で見つけた見晴らしの良い場所に埋めた。旅をする身では不必要な荷物は邪魔でしかない。彼女の思い出の品であるナイフだけを琥珀が持ち、それ以外はすべて灰にした上で埋めた。
歩き続け、何もない平野に来たところで日が落ちた。それ以上の旅は不可だと判断した琥珀たち一行は野営を決定する。
慣れた役割分担で火を焚き、炙った干し肉を食べた一行は次第に談笑へと移ろうとしていた。
「……先に寝るね」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
「いい夢をなの」
琥珀が立ち上がり、一人離れた位置で火に背中を見せて寝転ぶ。硬い土なのだが下に外套を敷き剣を枕代わりにして数秒で寝入る姿は、つい半年前まで外で寝るなんてキャンプしか知らなかった少女だとはとても思えない。
キテラ、サン、クリスはそんな彼女に手を振った。まだ眠るには早すぎる。いつもなら魔物と戦った時の反省とか改善点を言い合ったり、他愛ない話でふくれた腹が落ち着くまで話をするからだ。
「コハク元気ないの」
今夜の話題はもちろん今日あった最悪の出来事についてだ。
イオアネスを失ってから最初の夜。いつもなら澄ました顔で冗談の一つでも言ってくれる王女様の姿はない。
分かってはいたが、それでも寂しいという気持ちが浮かんでしまう。クリスの瞳は炎の照り返しで潤んで見えた。
「当然だよ。イオアネス様はコハク様にできたこの世界で初めての友人。すぐに切り替えられるわけがない」
サンも付き合いの日付としては一日しか変わらない。だけど、琥珀とイオアネスほど親密になれたかと言われると首を横に振ってしまう。
同性なのはもちろんあるが、どうやら一番最初に琥珀が帰りたい理由を打ち明けた相手でもあるらしい。
最近になって琥珀に想い人がいると初めて知ったサンと比べれば、失ったショックは相当だろう。
「それにあの子初陣だしね。仲間を失った経験もないはずよ」
「それなら仕方ないの。誰だって辛いものなの」
キテラのため息にクリスは憂いの顔で両手を胸元で組んだ。
この世界で生まれ育ったほとんどの人間は知り合いを失った経験を持っている。いつどこに現れるかも分からない魔物の脅威と常に隣りあわせだからだ。十年二十年も生きていれば隣のお宅のお父さん魔物に襲われたらしいよという世間話は聞こえてくる。
しかし、琥珀は違う。
琥珀は旅をするまで魔物の存在すら知らず、優秀な味方の存在もあって目の前で人が死ぬ瞬間を見たことがなかった。大体が魔物に襲われた後の死体かどう見ても手遅れかのどちらかだ。どちらにしても知り合いと呼ぶにはあまりにも知らない人間だった。
それが、この世界で一番心の拠り所にしていたイオアネスの死。
琥珀の心が塞ぎ込むのも仕方がないことであった。
「ねえキテラ、クリス」
「何?」
「なんなの?」
サンが名前を呼ぶと、キテラとクリスは二人して首を傾げた。
「二人に話がある」
「どうしたのよ改まって」
「いつも変だけど今回は飛び切り変なの」
「真面目な話なんだ。ちゃんと答えてくれ」
サンの声に一ミリもおふざけが含まれていないと察して、二人の顔にも真剣味が増していった。
「二人はこれからどうするんだ?」
「何言ってるの?」
「どうするって、旅を続けるに決まってるじゃない」
何を今さら。
せっかく構えたのになんでそんなことを聞くのかと二人は不思議そうな顔になった。
「二人も見ただろう。イオアネス様が亡くなったときのコハク様を」
「ええ見たわ。それが?」
「あんな速さは見たことがない。冗談でも比喩でもなく、目にも映らぬ速さだった」
味方どころか龍神ですら目で捉えることはできなかった。魔力の動きで何をしているのか予想していたようだが、それでも対策はできずされるがままになっていた。
目にも止まらぬ洗練された剣士ならサンも何人か知っている。対峙すれば行動する前にこちらの反撃を潰してくる達人と訓練をしたこともある。
だけどはたから見ればどんな達人であっても動きは追えた。様々な技術を駆使して姿を消したようにしか思えない動きをする人間はいても、離れた位置から見ればなんとなく何をしているのかは汲み取れた。
琥珀のように完全に姿を消して、気が付けば相手を斬っているなんて話は聞いたことがない。並の達人とは動きの次元が違う。
「確かにコハクの動きは見えなかったの」
「多分、魔法じゃないわね。魔法だったとしてもコハクにしか使えないはず。異世界の人間だからこそ使える秘訣があるんだと思う」
クリスがあごに手を当てて頷き、キテラは正確な予想を打ち立てる。
琥珀がしたことは単純だ。ただ光速で、文字通り光の速さで移動したに過ぎない。
難点があるとすれば二つ。一つは光属性の魔法は選ばれた者、勇者である琥珀やアダムのみ、魔法を極めている魔王ですら使えないという点。もう一つはこの世界に相対性理論が存在しないこと、言い換えるなら光にも速度があると知っている者がいないことだ。
魔法を使うにはその法則について理解していなければならない。炎を出す魔法も人を操る魔法もキテラは原理を理解しているから使える。だが仮に紅蓮の魔法使いが光属性の魔法を使えたとしても光に速度があることも光の速度がどれぐらいなのかも知らない彼女では琥珀の真似はできない。
琥珀はこの世界で唯一、光速移動が可能なのだ。
「コハク様なら本当に魔王を倒せるかもしれない。イオアネス様が言っていた通り、世界を平和にできるかもしれない」
疑うまでもない。魔王ですら知らない魔法があり、誰にも真似できないだけでも戦況は有利になる。
遠くない未来、この旅は悲願を達成することで終わりを迎えるだろう。
「いいことなの。なのにどうしてどうするなんて聞くの?」
「コハク様は間違いなく最強だ。だからこそ、僕たちもいつ死ぬか分からない戦場に立つことになる」
よく考えていないクリスの質問にサンは真剣な顔で答える。
「やめるなら今のうちだと思うよ」
「「……」」
サンの本題に二人は答えられず黙り込んだ。
そう。今回のイオアネスのように、ただの人間には攻略不可能な敵と対峙することになる。
琥珀一人ならきっと戦えるだろう。だけどその後を追うサンたちはどうか。
人間では敵わないような相手を前に、唯一の最強魔法を扱う琥珀ならともかくサンたちは果たして生き残ることができるのだろうか。
答えは否。このままではいずれ限界が訪れる。
死にたくないのなら今ここで別れるのも利口な決断であった。
「アンタ、コハクにも言ったの?」
「言えないよ。それに僕はたとえ道中で力尽きるとしても絶対についていくつもりだ。帰れないからね」
琥珀には何も伝えていない。だけど今の彼女なら、例え仲間が挨拶もなく去ったとしても何も言わないはずだ。もしかしたら安堵するかもしれない。
一人で傷つく道は辛いけど、友達の苦痛を見るよりは苦しくないのだから。
「でも二人は違うだろう?」
「まあ、そうね。アタシは元々一人で生きていたわけだし。ここで別れたとしても困らないわ」
「私もなの。故郷に帰ればまた聖人として仕事をするの。誰も帰りを拒んだりはしないと思うの」
キテラもクリスも旅に進んでついてきた身だ。魔王を倒すよう命令されている琥珀やサンとは違い、途中で投げ出しても困りはしない。旅に出る前の生活に戻るだけだ。
「「でも」」
二人の声が重なった。
「友人が苦しんでいる」
「傷ついているの。それでも歩くしかないの」
「見捨てるなんてできないわ」
見捨てるだけなら簡単だ。目を閉じて見ないフリをして、じゃあねと手を振れば完了する。
だけどキテラもクリスもそんなつまらないことをする人間ではなかった。友人のためなら命をかけて戦うことだってある。
「……そっか」
サンは小さく頷いた。
「というか、サンはどうなの?」
「僕?」
「さっきの話し方だとサンは自分のために旅を続けるみたいに聞こえたの。それならここで別の道を歩くことだってできるの」
「逃げろってことか。不可能じゃないんだろうけどね」
クリスの言葉にサンは苦笑しながら頭をかいた。
帰れないだけなら旅を続ければ良い。イオアネスを守れなかった贖罪なら魔王を倒さない方法もたくさんある。平和の基礎作りのため別れる道だって存在するはずだ。
「僕は、ダメなんだ」
「ダメ? 何がよ」
「このまま一人になれば、僕そのものが魔物になる。それこそコハク様にしか殺すことのできない魔物にね」
琥珀は平和の礎として、この世界に骨を埋める覚悟を決めた。自分の感情を押し殺す道を選んだ。
そして、変化が起きたのは勇者だけではない。この中で一番イオアネスと付き合いの長いサンもまた変質していた。
「僕は盾だ。あの炎も龍神なんてトカゲが相手でも壊れてはいけなかったんだ。守り切れないといけなかったんだ」
自分の力不足に反吐が出そうだ。仲間がいるからまだ我慢できるが、一人になれば罪悪感と劣等感で壊れてしまう。
そうなれば力だけを求める強者の出来上がりだ。民の平和を祈ったイオアネスの願いを踏みにじってしまう。
「コハク様に覚悟しろとは言ったけど、実際覚悟ができていなかったのは僕だった。イオアネス様が亡くなったあのときに僕は壊れてしまったんだよ」
自覚しているなら止まればいいと言われるかもしれない。だけどそれはできない。
自分は無力であり、より強い力を求める。
力を求める道中で、どれだけの被害が出ても気にならなくなっていく。嫌なほうに慣れていくのは間違いない。
気がつけば魔物と大差ない怪物が出来上がっていることだろう。
「コハク様のそばを離れないのは、僕が魔物になったときに速やかに倒してもらうためだ。それこそ僕が知覚するよりも速く」
サンが怪物になったとしても琥珀なら倒してくれるはずだ。たとえ仲間であろうとも、平和のためなら。
「コハクに仲間を殺せって言うの? 一人失っただけであんなに弱っているのに、今度は自分の手で深い傷を負わせるつもり?」
「じゃないと僕は――」
「アタシがやるわ。もしもアンタが魔物になるって言うんなら、アタシが倒してあげる」
サンに言葉をかぶせて、紅蓮の魔法使いは不敵に笑う。
「私も手伝うの! キテラよりは時間がかかるかもしれないけど、それでもサンには負けないの」
クリスも元気よく手を上げて、サン討伐に名乗りをあげる。
「いやでも二人じゃ」
「何よ。アタシたちがアンタよりも弱いって言いたいわけ?」
実力の問題はともかく、相性というものがある。
サンは近接特化で盾を自称するぐらいには硬い。懐に入られると弱いキテラや腕力こそあるものの後方支援がメインのクリスでは相性が悪い。
「……ううん。言わないよ。二人になら任せられる」
しかし、その事実を言うわけにはいかず、また言わずとも理解しているだろう。
だからサンは嬉しさ半分心配半分の表情で首を横に振った。
「でも僕も強いからね? 油断していたら勝てないよ?」
「何言ってんのよ。硬いだけじゃない」
「私たちの敵じゃないの」
援護があったとはいえ龍神の紅球すら防ぐサンを、硬いだけと鼻で笑い飛ばす二人。
「そういうことにしておいてあげるよ」
サンは笑顔を作っているが、カチンときていた。




