第四章二十五話「約束」
地形を変えるほどの傷跡を作った琥珀は、剣を振り下ろした姿勢のまましばし茫然としていた。
「……あっけなかったな」
あれだけ苦労して、対策が思い浮かばなくて、悩んで、苦戦したのに。
琥珀は虚無感に苛まれていた。戦闘中は苛烈な殺意で動いていたが、我に返った今はもう何もする気が起きない。
五人が力を合わせるよりも、琥珀の奥底に眠っていた力のほうが段違いで優れていた。結局努力よりも才能が有無を言わせる。もう頑張る意味がないと告げられている気がした。
「凄いじゃない。あの龍神を一撃で消滅させるなんて」
「それが聖剣の力ですか」
キテラとサンが絶対的な戦力差をひっくり返した琥珀を讃える。
「聖剣?」
「アダム様が授けた神造兵器なんだ。聖剣って言えるだろう?」
琥珀が聞き慣れぬ単語に首を捻り、サンは声にかすかな興奮を乗せて説明する。
今まで気にしたことがなかったけど、神に与えられし剣は確かに聖剣と呼べるかもしれない。
琥珀はどうでもいいことを真剣に考える。今は現実を見たくなかった。
「あのねえ。コハクはアダムが嫌いなのよ? それを聖剣だなんて崇めるなんて」
「あっそうか。申し訳ありませんでしたコハク様」
無神経っぷりに呆れたキテラの指摘に、サンは慌てて頭を下げる。
二人とも琥珀の気持ちには気付いている。だから自分たちも辛いのに我慢して、明るくおどけているのだ。
「……」
「コハク?」
「……こんな力があったのに、どうしてイオを助けられなかったのかな」
「それは……」
仲間の配慮を無視した問いに、キテラは何も答えられない。
魔法使いである彼女は琥珀に才能があることは見抜いていた。何かきっかけがあれば使えるようになるだろうと楽観視もしていた。結果、琥珀の力は予想以上に優れており、そのきっかけもイオアネスの死という相応に重たいものだった。
「ボクが弱かったからイオを殺しちゃったんだ。ボクのせいで」
「それは違いますよ」
琥珀が虚ろな目で肩を落としていると、サンが首を横に振った。
「僕たちは戦いに生きています。常に剣を握り、魔法を唱え、奪う旅をしています」
戦い傷つける以上、どれだけ綺麗ごとを言っても誰かの何かを奪い続けていることには変わらない。
「奪い続ければいつか奪われる。覚悟しなければならなかったんですよ」
戦いに生きる以上、奪い続けるだけとは限らない。反対に奪われる可能性も常に頭の中に入れておかなければならない。
この場でもっとも戦士であるサンは、既に失う覚悟も決めていた。
「……じゃあサンは」
琥珀の顔は俯いている。その表情は伺えない。だけど絞り出すような声には、感情がこもっていた。
「じゃあサンはイオが死んでもよかったって言うの!? 覚悟してたから悲しくないって言うの!?」
サンの肩を両手で掴み、琥珀はすべての感情をぶつけるように叫んだ。
悲しい、辛い、寂しい。
琥珀の胸の内にあるのはそんな感情ばかりだ。自分が不甲斐ないせいで死なせてしまった。初めから自分の中に眠っていた力を引き起こせさえいれば犠牲はなかった。
不甲斐なくて申し訳なくて無力で。琥珀はどうにかなってしまいそうだった。
「そんなわけないでしょう!!」
「サン、アンタ……」
琥珀に肩を掴まれ、彼女の感情を一身に受けたサンは怒鳴り返した。
今まで一度も怒声をあげたことのないサンが見せた表情に、キテラが目を見開いて驚く。
「僕はエドワード様にお二人を守るようにと命令されました。いや、命令を受けるずっと前からイオアネス様を慕っていました。僕が守り切らなければならなかったのに!」
サンだけではない。騎士を志した人間のほとんどはイオアネスに憧れを抱いている。
国を守る使命に燃えている者も少なくはない。だけど騎士になるほとんどは若い青年だ。血気盛んな若者が美少女の姫君に憧れないはずがなかった。
「守るはずだったイオアネス様は亡くなり、コハク様には逆に守られる始末! 僕は一体何のためにここまで旅をしてきたというのですか!」
サンは琥珀の胸倉を掴み、自分が旅に同行した意味を叫ぶ。
盾を自称していたのに守れなかった。桁違いの能力を見せた琥珀がすべてを解決してしまった。
サンがこの場にいる必要はなかった。まるで自分の存在意義を否定されたような気分だ。
「そんなの、ボクには関係ないじゃん」
琥珀は顔を背けて口を尖らせる。
サンがいる資格がないのは琥珀のせいではない。弱いサンが悪いのだ。
「はい。関係ありません。でもこのままでは僕は死ぬしかない」
予想してなかった言葉が出てきて、琥珀は釣られるようにサンに目を向けた。
「魔王も倒せず、イオアネス様も守り切れなかった。このまま帰ったところで僕は打ち首でしょう」
「そんなこと――」
「ありませんか? いいえ。結末は変わらない。エドワード様に見逃していただいたとしても僕は自分が許せない。どちらにせよ死を選びます」
琥珀の知るエドワードは声が大きいだけで温情がある人間だ。サンの知る王は冷酷で的確な判断ができる賢王だ。
エドワードの反応について二人は真逆の予想をしているが、それでもサンは同じ未来を選ぶつもりである。
「ちょっ、ウソでしょ!?」
「嘘じゃないよ。魔王を倒せないのなら、僕は死ぬ。今の僕を襲っている無力感はそれだけ厄介なんだ」
キテラが目を見開いて声を荒げるが、サンは対照的に落ち着いた声音で返した。
琥珀ほどではないがサンもまた頑固者だ。意見を変えるつもりはない。
「コハク様。自分だけが辛いと思っているのならそれは間違いです。僕もキテラもクリスも、全員が後悔しています」
琥珀が力が使えこなせず悔やむのなら、サンたちはそもそも龍神を倒すだけの力すら持っていなかった。
結果として三人を助けた琥珀と違い、三人は守ることすら、そして戦うことすらできなかった。
気丈に振舞って琥珀を励ましているが、三人の心境は決して穏やかなものではなかった。
「でも僕たちは足を止められない。魔王を倒すという使命のために、歩き続けなければいけないんです」
だが悔やんでばかりはいられない。どれだけ後悔しても過去は変えられない。前を向くしかない。
「でも、またボクのせいで誰かが死ぬかもしれない」
「そうですね。少なくとも僕は死ぬ覚悟ができています」
視線を逸らして琥珀は呟く。サンはあっさりと肯定した。
「先ほど開花したコハク様の力なら、魔王であろうとアダム様であろうと負けることはないでしょう。だから覚悟してください」
アダムに並ぶと称されていた、神の一柱ですら手も足も出なかった。きっと魔王やアダムであろうと琥珀には傷一つ付けられないだろう。
戦士として、勇者として彼女は絶大な力を手に入れた。問題があるとすれば、その力が人間の中で突出しているという点だけだ。
「誰かを失う覚悟を。一人でも魔王を倒す覚悟を」
「……はあ。言い方ってもんがあるでしょうに」
サンのプレッシャーをかけるような言い方に、話を聞いていたキテラはため息を吐いた。
琥珀にペースを合わせていれば三人はいずれ脱落してしまうだろう。だけどペースを遅らせていれば魔王を倒しても意味がない。琥珀には焦るだけの理由がある。
だから最後の一人になったとしても魔王を倒すべき。サンが言いたいことは正確に理解できるが、それはあくまでも琥珀だけに向けた厳しい言葉だ。
おいて行かれないように全力で追いかければいい。たったそれだけのことなのに。
「サン、準備ができたみたいだからアタシは行くわ。ちゃんとコハクも連れてきなさいよ」
「うん」
こくりと頷くサンの肩を軽く小突いて、キテラは離れた位置で手を振っているクリスの元へと足を進める。
「準備? なんの話?」
サンと二人取り残された琥珀は小さく首を傾げた。
「……最期のお別れです。クリスが肉体を、サンが魂を操作してわずかな時間を稼ぐのです」
サンの言葉に琥珀は目を見開いた。
「行きましょう。イオアネス様がお待ちです」
それは、聖人と賢者が稼ぐ数分の足掻きだ。
『不思議な感覚ですね。これが死、ですか』
胸元で手を組み、クリスは祈りを捧ぐ。
その眼前では宙を舞うイオアネスが不思議そうに自分の体を眺めまわしていた。彼女の体は半透明で向こう側の景色が透けて見えている。もしもイオアネスに触れようと手を伸ばせば実体のない体には感触がなく、伸ばした手は彼女の体を貫通するだろう。
「ごめんなさいなの。もう少し時間があれば」
『いいですわ。死者を生き返らせるのは禁忌ですから。むしろ謝るのはわたくしですわキテラ』
ただでさえ残り少ない魔力を惜しみなくつぎ込み、全身から玉のような汗が滲んでいるクリスが手を組んだまま頭を下げた。
キテラが魂を選定し、クリスの魔力で形どった仮初の体に突っ込む。二人がかりの作業のかいあってイオアネスはこうして最期の言葉を話す機会が設けられていた。
その代償で命を削らん勢いで魔力を消費しているクリスに、イオアネスは苦い顔で感謝を伝える。
ありがたいのは確かだが、仲間が傷つくぐらいならとどうしても考えてしまうからだ。
「気にしないで。これはアタシの自己満足なんだから」
『だとしてもです。最期の時間を稼いでくれて、ありがとうございます』
「慣れてるからいいのよ。ほら、来たわ」
キテラはあごである方向を指す。サンに連れられて琥珀が走ってきている姿があった。
キテラは多く語らないが、彼女の体は全身を焼くような激痛が苛んでいる。魂に干渉した禁忌の代償を現在進行形で払い続けているからだ。
「イオ……」
『コハク。なんですかその顔は。美人が台無しですわ』
「……ごめん。ボクが弱いばっかりに」
『龍神を倒したのはコハクなのでしょう? 弱かったらそんなこと不可能ですわ』
わたくしは見られませんでしたが、とイオアネスは努めて明るい口調で微笑んだ。
せっかく友人二人が時間を作ってくれたのだ。思い人には笑顔を見せていたい。
「でもボクのせいで!」
『そうですね。では、見返りを要求しますわ』
琥珀の予想通りの反応に、イオアネスは微笑んだまま話題をすり替える。
本当は違うと言いたい。だけど現在も友人たちは命を削る勢いで消耗していっているのだ。あまり時間はない。
「み、見返り?」
『はい。コハクにしか頼めないことです』
琥珀がこちらの話を聞く姿勢になったことに頷いて、イオアネスは安堵した。
そして大きく息を吸う。残念ながら空気はまったく動かなかった。
『魔王を倒してください。そして必ず、この世界に平穏をもたらせてください』
今のイオアネスが願うとすれば、道半ばで見届けられなくなってしまった旅の完遂だ。
魔王を倒せば人間と魔族の戦争は終わる。そうなればきっと今よりも平和になるはずだ。
もう死んでしまったイオアネスは個人の約束ではなく民のことを思って願った。
「――うん。うん約束する。ボクがこの世界をきっと平和にしてみせるよ」
『それはよかった。では、わたくしは遠い場所から見守っていますわ』
「待って!」
何度も首を上下する琥珀にイオアネスは再び微笑んだ。
彼女の体の末端部が光の粒子となって空中に消え始める。琥珀は慌てて手を伸ばしたが、イオアネスの体をすり抜けた。
『――コハク。わたくしの愛したあなたはここで足踏みするような方ではありません』
目を見開いて瞳が揺れ、絶望している琥珀にイオアネスは困ったように笑った。
『大切な人を助けるのでしょう? わたくしのことなど忘れて、頑張ってください』
――約束ですよ。その言葉は音とならず。
イオアネスは光の粒子に代わり、キラキラと空気中に消えていった。
「忘れられるわけないよ」
伸ばしていた手を引き戻し、琥珀は彼女の感触を思い出すように握りしめた。
「約束する。たとえ帰れなくなったとしても、絶対にこの世界は平和にするよ」
この瞬間、琥珀は誓った。
たとえ圭太を見殺しにすることになろうと、イオアネスの願いを叶えると。




