第四章二十四話「返せ」
「残念じゃったな。あの人間は無駄死にじゃよ」
イオアネスを失い途方に暮れている中、龍神だけが言葉を発する。
「しかし、まさか突っ込むとはな。勝機があったにしてもいささか短絡過ぎぬか?」
「……」
満身創痍の三人はもちろん琥珀からも返事はない。だけど龍神は一人語り続けていた。
「それだけわらわが脅威だったということか? しかしわらわの全力を一度だけとはいえ凌ぐ実力を秘めておったなら捨て身になる必要もなかったと思うんじゃが」
「…………」
人間たちにはもう戦意のかけらも残っていない。万一残っていたとしても戦況を覆すほどではないと踏んでいた。
「もしや、イブを倒すことを投げ出したかっただけか? 何があったかは知らぬが、死にたいと思うほどに」
事実、琥珀は戦意のほとんどが消えかけていた。頭にあるのは事実として認識したくない現実と、龍神の哀れみすら込められていた声だけだ。
「女所帯じゃから恋煩いではないとして、何に悩んでおったことやら」
「………………れ」
琥珀はかすれるように呟く。龍神には届いていない。
うるさい、と思った。
ただでさえ色々なことがあって頭の中が真っ白なのに、余計な音のせいで考え事に集中させてもくれないのか。
「同情はしてやろう。じゃが嘆く暇はないぞ。すぐに仲間の元に」
「黙れって言ってるんだ!!」
まだピーチクパーチクとうるさい龍神に琥珀は怒鳴り、彼女の感情に呼応して魔力が暴風となって吹き荒れた。
「……なんじゃ、その魔力は」
龍神が初めて驚いた様子を見せる。
琥珀の魔力は剣から与えられたものだ。しかし今の琥珀は剣を持っていない。
つまり琥珀はこの世界に来て初めて自らの魔力を放出しているのだ。
「最善を尽くした。イオは最善を尽くしたんだ!」
琥珀の感情は、女の体から暴れ出る魔力と同等かそれ以上に荒ぶっている。
この世界は剣と魔法が支配している。当然平和な世界と比べれば生き死にのやり取りは多くなるし、自分の身を守るために他人の命を奪ったこともある。
だけどもまだ、どこかで他人事のように考えていたのかもしれない。奪われて初めてこの世界の残酷さを痛感し、琥珀は混乱していた。
他人に感情をぶつけることでかろうじて平静を保とうとしているのだ。
「それを奪って同情する!? 冗談じゃない。同情するなら死んでくれ!」
「づっ、なんじゃ胃が熱く。まさか剣か」
琥珀の感情に呼応したのは彼女の魔力だけではない。
龍神がうめき声を出して井の中にあったものを吐き出す。ほとんどは粘性の高い胃液だったがその中に一つだけ燦々と輝くものがあった。
イオアネスが捨て身の攻撃に使用した剣。勇者にしか扱えぬ剣。神であるアダムに造られた神造兵器だ。
剣は琥珀の感情に合わせて輝きを強めたり弱めたりしている。まるで勇者の覚醒を祝福しているようですらあった。
「いや殺す! イオをバカにしたんだ! 絶対に許さない!!」
ひときわ強く叫ぶと剣が一人手に飛び、琥珀の手に収まった。
魔力の嵐に火花が混じり、バチバチと魔力がはぜる。
「逆上もいいところじゃ。わらわは敵を倒したに過ぎぬ。そもそもキサマらが攻め入ったのじゃろう?」
「だぁまぁれぇぇぇええええええアァァァアアア!!」
「わらわの体を揺らすほどの魔力じゃと!?」
龍神の見事なまでの正論。
琥珀は頭のどこかで龍神の言葉に頷いてしまったからこそ激高し、ひときわ強い魔力風を起こした。そのあまりの魔力量に龍神の巨体がわずかに後退する。
龍神の巨体を動かされたことなど今まで一度もなかった。人から見ても分かるぐらい龍神は目を見開いた。
「イオを、返せ!!」
自身の魔力に目覚めた琥珀が一歩踏み出す。龍神に捉えられた動きはそれだけで、気付けば姿が消えていた。
「なんじゃどこに――」
龍神が琥珀の姿を探して首を動かす。すると龍神の背後に琥珀は姿を現した。チクリとした痛みが走った。
その手では抱えるようにして身の丈ほどの黒い光沢のある板を持っている。龍神には見覚えがありすぎた。
琥珀が持っているのは龍神の鱗だ。イオアネスが死ぬまでは傷一つ付けられなかったはずなのに、鱗を剥いでそこに立っている。
「なぜじゃ。わらわの体に傷をつけるなぞできなかったはず。なのにどうしてわらわの鱗を持っておる!」
「初めてだよ。誰かを絶対に許せない。絶対にボクの手で殺してやるなんて思ったのは!」
あまりの豹変に龍神は声を荒げる。しかし琥珀はその問いには答えず、再び姿を消した。
「簡単には殺さない。サンの分、クリスの分、キテラの分、そしてイオの分まで苦痛を与えてやる!」
「ガッァァァアアア!?」
姿が消える中声だけは聞こえ、自分の鱗がどんどんと剥がされていく。
一枚ならこけて擦りむいたような痛みも連続で与えられれば話は別だ。龍神は全身を襲う激痛にのたうち回る。けれど黒い鱗はなおも剥がされ雨のように地面に転がっていった。
「……僕は夢でも見ているのかな?」
サンは首だけを動かし、もだえ苦しむ龍神を見ていた。
つい先ほどまで手も足も出なかった相手が、どれだけ攻撃を加えようと余裕の表情ではじき返していた山のような龍が、今は痛みに顔を歪めている。
夢のようだと思った。それだけ信じられない光景が現在進行形で続いている。
「サンと同じ夢なんて吐き気がするの」
クリスもサンと同じように大の字に両手足を投げ出して、ぼんやりと龍神の様子を眺めていた。
彼女も見ているということはどうやらサンが見ているのは夢ではないらしい。現実だからこそ、二人は同じ光景に目を丸くしている。
「芽が出たのよ。コハクはようやく魔力を自分のものにした」
何度も魔法を使いこなしたい琥珀に魔法を教えてきたキテラは、どこか誇らしげに琥珀の一方的な戦いを見ていた。
ようやく芽が出た。勇者はその身に眠っていた力を呼び起こしたのだ。その代償はとても重いが、少なくとも悲しいことばかりではなくなった。
「だけどあれは」
「怒りで我を忘れてるわね。止めたほうがいいんでしょうけど」
「残念ながら私たちは指一本動かせないの」
サン、キテラ、クリスの三名はため息を吐いた。
龍神の紅球を防ぐのに全身全霊をかけた反動で今は体が動かない。指先に至るまでまったく力が入らない。これでは戦うどころか歩いて帰ることもできない。
「何か妙案はないかなキテラ」
「言ったでしょ。指一本動かないって」
「このまま仲間を二人も失いたくはないんだ」
サンは龍神からキテラへと視線を移す。下唇を噛む彼女と目が合った。
「――はぁ。まったく。んなのアタシも一緒だっての」
キテラはふぅっと全身に力を入れて立ち上がった。
「キテラ凄いの。もう回復したの?」
「魔法で無理やり動かしてるだけよ。魔力はそこそこ充填されてきたし」
クリスたちは知らなかったが複数の魂を魔力に変換しているキテラの回復速度は尋常ではない。
一度魔力がからっきしになれば、例えばサンやクリスのように、普通は最低でも一晩かかる。魔力量が多いならさらにかかる場合だってある。しかしキテラの魔力の根源を知らないクリスは紅蓮の魔法使いに称賛の視線を送った。
「で、二人も指をくわえて眺めているつもりはないんでしょ?」
「当然」
「もちろんなの」
キテラが試すように笑みを浮かべるとサンとクリスは同時に頷いた。
琥珀が圧倒的な力を手に入れたのは理解している。もしかしたら本当に魔王を倒せるかもしれない力を。
しかしだからといってこのまま放置すれば、きっと三人が今まで旅をしてきた琥珀という人間はいなくなるだろう。残虐で残忍な怪物が一人生まれようとしている。
暴走を止めるのも仲間の役目だ。
「いいわ。貸し一つね」
キテラは満足したように頷いて、二人の額に人差し指を当てる。小さな赤い魔法陣が形成された。
サンとクリスは彼女の指を温かいと感じた。そして戦闘は無理でも日常生活には支障がないぐらいに回復した二人はすぐに立ち上がった。
「鱗はもうないね」
龍神の鱗の一枚を地面に捨てて、琥珀は嘲笑った。
「くっ。やるではないか」
「よく言うよ。まったく見えていないくせに」
琥珀は肩をすくめてみせる。龍神の目が琥珀の動きに追い付いていないのは理解していた。
龍神の体からは鱗が一枚も残らず剥がされてしまった。威厳のある姿も鱗がなくなればかっこつかない。キテラたちが立ち上がるまでの時間で形成は完全に逆転していた。
「わらわほどになると目が見えずとも魔力で認識できるんじゃぞ」
「へえ。じゃあ舌を斬るから止めてみてよ」
琥珀が挑発的な笑みを浮かべながら再び姿を消す。
龍神は反射的に口を閉ざそうとするが、牙同士がガチリと音を立てると同時に姿を見せた琥珀は赤い肉を地面に捨てていた。
「これで話もできなくなったね」
閉じた口からだらだらと血を流し、舌を引きちぎられた龍神は瞳に恐怖の色を浮かべる。琥珀はまたも姿を消して今度は龍神の目を十字に斬り潰した。
龍神は琥珀の力が理解できないでいた。姿を消したかと思えば次の瞬間には一方的に傷つけられる。今まで見たどれほどの相手だろうと動きの片りんはあった。前兆すらない破壊はアダムですらしてこなかったのだ。
初めて相対する理解できぬ、けれども自分では絶対に勝てない相手に龍神は恐怖していた。
琥珀の能力は文字通りの光速移動。あの魔王ですら攻略を投げ出すほどの絶対的な速度の前に、龍神の戦意は削れつつあった。
「コハク」
返り血に染まり笑う、依然とは比べ物にならないぐらい変わり果てた琥珀の前に赤い魔法使いが立つ。
「なんだキテラか。待っててね。君たちの分も仕返しをするから」
「待ちなさい」
「――何?」
鬱陶しそうに眉を寄せる琥珀は態度で邪魔だと告げる。
力が覚醒する前、イオアネスが健在だったころは決して見せなかった表情だ。キテラの顔がわずかにこわばった。
「もういいじゃない」
「なんで?」
とても素朴に、返り血で真っ赤になった琥珀が首を傾げる。
「鱗は全部はがされて目は潰され舌も引きちぎられた。体中傷だらけだし、もう十分だわ」
「ダメだよ。まだ足りない」
「コハク」
首を横に振り、声も戦意も失った龍神にさらなる傷を与えようとする勇者の名前を呼んだ。
「怒りに任せるのを悪いと言うつもりはないわ。アタシもはらわた煮えくりかえっているし」
キテラとて仲間を失った。内心穏やかではいられない。
だけど彼女は落ち着いていなければならなかった。仲間をもう一人失いたくはないために。神の一柱であろうと弄ぶ新たな魔王を生み出さないために。
「でも今のコハクを放っておけばイオアネスが悲しむのは分かる」
「だからやめろって? 復讐は悪いことだとでも言うつもり?」
「違う。イオアネス様の知るコハク様がいなくなるから悲しむのです」
キテラの隣にすっかり傷だらけになった鎧をつける騎士が立った。
「サン……」
「このまま龍神をいたぶるのは簡単です。でもそれではイオアネス様が愛したあなたは死んでしまう。姫君の従者としてそれは看過できません」
「……」
イオアネスの名前を出された琥珀は言葉を詰まらせた。
「もう十分よ、コハク。どれだけ痛めつけてもイオアネスは帰ってこない。終わらせるしかないの」
「……………………そっか。やっぱり、そうなんだね」
キテラの静かながら感情のこもった瞳。
琥珀の頬を一筋の滴が流れて落ちた。
「うん、分かったよ。そうだよね。ボクはイオに告白されたんだ。イオの好きなボクでいないと、ダメだよね」
琥珀は血まみれの袖で頬を拭い、顔を赤くしながらも頷いた。
イオアネスは琥珀に告白した。好きだと言って、一生一緒にいたいと言ってくれた。
琥珀はまだ答えを出せていないけど、もう答えることすらできなくなってしまったけど、それでも彼女の愛した自分を守るべきだと思った。
恋愛感情は分からないけど間違いなくイオアネスは琥珀の大切な親友だった。琥珀とて親友の悲しむ顔は見たくない。
「終わらせよう龍神。これが今のボクにできる最高の技だ」
目も口も塞がれた龍神は、それでも雰囲気で状況を把握して閉じた牙の間から火の粉を散らす。
琥珀は剣を上段に構え、意識を剣に集中して目を閉じる。龍神の紅球をはるかに凌ぐ魔力が剣に込められて、光の柱が空へと伸びた。
「残念だけど負けないよ。別れを告げる光」
琥珀が目を開けて、剣をゆっくりと振り下ろす。
龍神は同時に口を開く。しかし圧倒的な光量の前に炎はかき消された。
光は龍神を飲み込んだ後も数秒流れ続け、やがて波が引くように細くなり消える。
そこに残っていたのは地面を抉った破壊の痕だけだ。龍神の姿はなくなっていた。




