第四章二十三話「無駄死に」
「しっぽが来るの!」
クリスが叫ぶ。
「僕が受け止める!」
「わたくしも援護します!」
サンが自己強化の魔法を使い、イオアネスも従者の陰に隠れてさらに強力な支援魔法を唱えている。
「その隙に!」
「剣は通用しないでしょ! アタシが魔法で」
琥珀が攻撃の隙間を縫って飛び出し、キテラの周囲に紅色の魔法陣が煌めいた。
「ゴアアアアア!!」
「クソッ! 咆哮でかき消すなんて」
龍神が吠える。それだけでキテラの魔法はことごとくかき消されてしまった。
魔法は威力が高いが繊細だ。魔法陣だけでも線一本間違えただけで大惨事になる可能性だってある。山よりも大きな龍神の咆哮は魔法を打ち消す要因には十分すぎた。
「ハァッ!」
「その程度でわらわを倒せると思うてか!」
「きゃあっ」
キテラの魔法に気を取られている隙に接近した琥珀が全身をバネにした渾身の力で剣を振り下ろす。
しかし龍神は難なく剣を受け止め、身震いするだけで琥珀を吹き飛ばした。
琥珀は空中で三度宙返りし、勢いを殺して仲間たちの元に降り立った。
「なんて硬さなの」
「鱗一枚に剣も魔法も弾かれる。ハンッ! アダムの敵ってのも納得だわ」
「アダム様であろうと倒すのは簡単じゃないと思うの」
クリスとキテラは口元に笑みを刻みながら、龍神を覆う天然物の鎧を睨んだ。
先ほどから同じ展開を繰り返している。
自分の体より大きな爪や尻尾を掻い潜り、全力で攻撃する。しかし魔法はかき消され剣は通らず、決定打を与えられないでいた。
決定打が与えられない状況が続けば琥珀たちは疲弊する。ただでさえ龍神の攻撃は脅威な上に範囲も広い。避けきれなくなるのは時間の問題だった。
「ふん! アダムに負けるはずないじゃろうが」
龍神が一軒家なら丸呑みできそうな大口を開ける。
すでに琥珀たちは覚悟を決めているため諦めずに龍神と戦闘を続けていられる。しかし、もしもこのサイズの魔物と不意に遭遇したのならすぐに降伏していた。体格差というにはあまりにも次元が違いすぎる差は明確に琥珀たちを追い詰めていた。
「コハク!」
「うん! 照らせ選別の光!」
手段がないのなら、人間ではないものの力を借りればいい。
キテラに名前を呼ばれただけですべてを察した琥珀は空へと剣を掲げる。
神造兵器である剣は眩いばかりの光を放ち、漆のような鱗を突き抜けて龍神の足を焦がした。
「……ほお。それはアダムの剣か」
龍の表情は判別できないが、それでも龍神が怒っていることはなんとなく理解できる。
「効いた……!」
初めての有効打に琥珀の表情は明るくなる。キテラやクリスも同様に希望で頰が緩んでいた。
「さすがは勇者にしか扱えぬ剣、というわけですか」
「イオアネス様?」
「サン。時間を稼いでください。今は考える時間が欲しい」
「分かりました」
龍神と琥珀たちの機嫌の差が広まる中、イオアネスはふむと考え込んでいた。
主人の命を受けたサンは軽く頭を下げる。そして、すべての攻撃を防ぐべく一番前列に出た。
「コハク!」
「何!?」
「こちらへ!」
「分かった!」
イオアネスに呼ばれた琥珀はサンの姿を確認してから前線を離れる。
「させぬ!」
作戦会議をするのは誰の目にも明らか。それは仲間である琥珀たちだけでなく、敵対している龍神もまた然りだ。
龍神は琥珀を潰そうと馬車ぐらいはある前足を振り下ろす。
「それはこっちのセリフだ! ぐっ!」
「ちっ小癪な。人間のくせに頑丈ではないか」
そうはさせないとばかりに龍神と琥珀の間に体を割り込ませ、サンは前足の一撃を受け止める。
全力の身体強化をすれば辛うじて止められる。サンとて熟練の兵士なのだ。意地がある。
「僕はサン! 勇者の盾だ。絶対に守ってみせる!」
サンが全身に気合いを張り巡らせて、龍神の前足を弾き返した。
弾けたのはほんの数センチほど。だけど再度サンに襲いかかることはなかった。
真紅の魔法陣と水色の髪をたなびかせたこぶしにより、さらに前足は弾き飛ばされたからだ。
「いつの間にコハクの盾になったのよ」
「そうなの。サンのくせに生意気なの」
魔法と拳骨で龍神の前足を殴り飛ばしたキテラとクリス。肩をすくめたりため息を吐いたりとそれぞれ呆れていた。
「二人とも。話はよかったのかい?」
「イオアネスが呼んだのはコハクだけよ。アタシたちは必要じゃないみたい」
「だからこっちの手伝いをするの。サン一人だと頼りないの」
「……助かるよ」
戦力が増えるに越したことはない。だけど頼りないと言われてしまったサンは素直に喜べなかった。
「人間が三人集まったところで何ができる」
龍神の、人の上半身よりは確実に大きな瞳が鋭さを増す。
圧倒的な優位、傷すら付けられなかったくせに徐々に糸口を見つけている人間たちに少しばかり警戒心が増していた。
「さあ? アンタを倒すぐらいはできるんじゃない?」
「打つ手なしだったんだけどね」
「さすがキテラなの。清々するの」
あっけらかんと言い放つキテラ。絶望的な状況だろうと一切変わらないその態度にサンとクリスは思わず笑ってしまう。
「面白い。ならばその力、証明して見せよ」
龍神も覇気のある声をわずかに弾ませて、決して折れぬ勇者の一味にあぎとを開いた。
「無理だよそんなの!」
前線から離れ、イオアネスの作戦を聞いた琥珀が叫ぶ。
「できっこない。それにイオだって無事で済まないんだよ?」
「それでもこれしかないのです。大丈夫。クリスの祈りが素晴らしいのはコハクも知っているはずですわ」
「だからって……」
作戦はイオアネスが傷つくことを前提としている。
琥珀としては当然許せるものでない。だけどこのままではジリ貧なのも理解している。
「コハク。頼れるのはあなただけです。魔王を倒して元の世界に帰るのでしょう?」
「それは……」
「答えに悩んでいる。それは分かっています。でもどちらを選ぶにせよ、ここで龍神を倒さなければ未来はない」
琥珀の悩みのほとんどを本人の口から聞いているイオアネスは、このままでは悩むことすらできないと断言する。
「やるしかないのです。コハク、剣を」
そう、龍神を倒さなければならない。そして現状、イオアネスの作戦以外の案はない。
やるしかないのだ。イオアネスに傷ついてもらうしかない。
「――くっ、うぅう。絶対に死なないでね」
「もちろんですわ。まだ答えを聞いていないのですから」
琥珀は迷った末に剣を抜き、イオアネスに差し出した。
剣に触れた途端に、肉の焼ける音とにおいが鼻腔をくすぐった。
「ぐっ、つぅっ。王族なら扱えると思ったのですが、そこまで甘くはありませんか」
琥珀はイオアネスの顔を見る。いつもは朗らかに微笑んでいる彼女の顔は苦痛に歪み、大量の脂汗が滲んでいた。
アダムの話は本当だった。琥珀は顔を青くする。
「やっぱりボクが――」
「ダメですわ。コハクは剣がなければ魔法が使えないじゃありませんか」
慌ててイオアネスから剣を取り上げようとした琥珀の動きが止まる。
琥珀はまだ自分の魔力を使った魔法が使えない。
魔力はある。しかし、そのほとんどは剣から与えられるものであり、琥珀に制御できるものではなかった。
珍しい魔法、例えば他人に魔力を分け与えたりはできる。けれどそれは剣があって初めて可能になる。剣がないときでも戦えるよう魔法の練習もしたが練習では一度も成功しなかった。キテラの話では剣には大量の魔法陣が刻まれているような状態なのだろうとのことだ。
「……ゴメン」
「謝ることではありませんわ。キテラも言っていたではありませんか。まだ芽が出ていないだけだと」
魔力がないわけではないし、魔法を使う感覚もある。それなのに魔法が使えないのは、素質がないからだ。
キテラのように複数の魔法を使役するのではなく、クリスのように一点に特化した魔法しか使えないのだろう。どんな魔法が使えるかは分からない。普通は子供が成長する中で自然と自覚していくのだが琥珀は魔法に触れて半年、まだ自覚できなかったとしても無理はない。
「早く行きましょう。サンたちもそう長くは持たない」
「うん。そうだね」
理屈は理解していてもやっぱり悔しそうに顔を歪める琥珀。気にするなと諭す時間はないのでイオアネスは強引に気持ちを切り替えさせた。
物陰に隠れているイオアネスたちからはサンたちの様子は伺えない。しかし龍神がまだ健在なことからまだ時間を稼ぎ続けているだろうことは容易に予想ができた。
「龍神! 今度はわたくしたちが相手です!」
イオアネスは勇者の剣に手を焼かれ、けれども臆面にも出さず堂々と胸をはって龍神の前に躍り出た。
「まだ抗うか。わらわとの力量差は理解しておろうに」
龍神の表情は相変わらず分からなかったが、声には呆れが混ざっていた。
龍神の前には地面に跪く三人がいた。クリスにいたっては両手足を投げ出して寝転んでいる。
「……お待ちしていました」
「……遅かったわね。危うく出番を奪うところだったわ」
「はぁっ、作戦は決まったの?」
「はい。必ず勝ちます」
息も絶え絶えな三人にイオアネスは自信満々に頷いてみせた。
サンたちが稼いでくれた時間は無駄にしない。分の悪い賭けではあるが、必ず掴み取らなければならない。
「大見得にもほどがある。わらわを倒す? 剣も魔法も通じぬと言ったのはそちらであろう?」
龍神の声に侮蔑が混ざり、家すら飲み込みそうなアギトがにんまりと口角を上げる。
「ならば試してみましょう。コハク、準備を」
「うん」
剣を持つイオアネスの右手に琥珀も手を添える。
瞬間、溢れる闘気に反応して琥珀の周囲で火花が散った。
「二人がかりなら勝てると思うたか? 二度とそのような愚かな考えが浮かばぬよう」
龍神の口の周りに火の粉が舞う。
「わらわも全力で焼き尽くしてくれようぞ」
龍神の口、牙の隙間から炎が渦巻いているのが見える。
離れているにもかかわらず肌を焦がす感覚がする。しかし琥珀もイオアネスも迷いのない視線で龍神を射抜いていた。
「――コハク。合図をしたら剣ごと投げ飛ばしてください」
「分かってる。あの炎が放たれるよりも早く投げるよ」
「ええ。頼もしいですわ。あれも魔法の一種。わたくしたちが間に合えば、炎も消えるはずです」
基本的な一般論として、術者が事切れれば魔法も消滅する。
イオアネスの作戦通りなら龍神の炎も琥珀たちに届く前に帰るはずだ。
「アダムの駒よ。キサマらの健闘はわらわが覚えておこう」
龍神が口を開ける。灰すら残さない必殺の一撃が顔を覗かせていた。
「では燃え尽きよ」
「今です」
「いっけえええええええ!!」
炎と呼ぶにはあまりにも破壊力のある豪炎の紅球が放たれる。琥珀が気合い十分にイオアネスを投げ飛ばす。
ごうっと宙を走るイオアネスは空中で身をよじって姿勢を変え、振りかぶった琥珀の剣を龍神に向けて放り投げた。剣は紅球を突き抜けて龍神の口の中に入る。
しかし当初の予定とは違い、炎は消えなかった。
空中で静止する術のないイオアネスはそのまま紅球に飲み込まれた。
「イオ!!」
琥珀が炎の中に消えた親友に手を伸ばす。彼女の邪魔をするように、甲冑の男の背中が琥珀の前に立ち塞がる。
「サン!!」
「分かってる! 援護頼んだよ!!」
すっかり甲冑がボロボロになってしまったサンは剣を地面に刺し、残っている魔力をすべて込める。
地面に刺さった剣を起点にして、琥珀を中心にした光のドームが形成された。ところどころに赤や水色の混ざるまだら模様のドームだ。
イオアネスを飲み込み、それでもまったく勢いが衰えなかった豪炎の紅球が光のドームにぶつかる。ピシッと音がして、ドームにヒビが走る。
「まだまだぁ!」
「全力で!」
「コハク様を守る!!」
キテラ、クリス、サンは歯を食いしばり、さらに魔力をドームに集中させる。歯を食いしばりすぎる力が強すぎて歯茎からは血が流れている。
永遠に続くかと思われた攻防が終わった。
「――ほお。わらわの一撃すらも耐えるか」
四人がいた場所だけが残されたクレータができ、龍神は初めて興味深げに唸った。
「じゃが既に限界のようじゃな」
息も絶え絶え、自分の体を支えることもできず地面に突っ伏した琥珀以外の三人を見て、龍神は一瞬だけ浮かべた関心をすぐに引っ込めた。
もはやろくに動けない。もう一度紅球をお見舞いするまでもなく、勝利は決まったようなものだ。
「イオ……?」
唯一まだ立っている人間は呆然と龍神のほうへ、正確にはその中間にいたであろう人間へと手を伸ばしていた。
「アダムの剣ならわらわを倒せると踏んだようじゃが、残念じゃったな。持ち主なくして倒れるほどわらわはやわではない」
「イオ……? どこに行ったの返事をしてよ!」
「残念じゃったな。あの人間は無駄死にじゃよ」
龍神の言葉はほとんど聞く気にもならなかった琥珀は、たまたま鼓膜を震わせた言葉に現実を感じて、膝から崩れ落ちた。
焦点の定まらない目で四つん這いになり項垂れる琥珀。
彼女を励ます親友はどこにもいなかった。




