第四章二十二話「転生」
「じゃあ――」
儀式場で黄金に輝く剣を意味もなく左右に振り、琥珀は話を聞き終えた。
「龍神というのは、人の生活を体験する趣味を持っているわけなのですか?」
「そう! そういうことなんじゃ! だから剣を下ろせ、な?」
ナイフを掌で回すイオアネスのまとめに、正座したジャハムと同じ容姿の龍神が何度も頷いた。
龍神の必死な命乞いにより琥珀たちはとりあえず話を聞くことにした。見た目がジャハムと同一だったというのも大きな理由だ。
曰く龍神はジャハムの体を乗っ取っているわけではないらしい。元々龍神の力だったものをヒト型にし、村人として潜り込ませていたそうだ。だからジャハムには害がないとのことだ。
「信じられないの」
「そうだね。いくら何でも信憑性がなさすぎる」
「なーんでそういうこと言うかなあ!」
クリスとサンが硬い石で造られた儀式場の床に正座し続けている龍神に懐疑的に目を細めた。
自分の命がかかっている龍神は信じてもらおうと必死だ。疑われて動転しているようで、額を手で押さえながら大げさに身じろぎする。
「いいじゃろが。ドラゴンだって人間に興味を持っても」
龍神は不貞腐れたように口を尖らせる。
信じてもらえないのが悔しいのだろうか。それとも自分で突拍子がないことを言っている自覚があるのか。
きっと両方だろう。千年間村を守ってきた龍神だ。似たような状況になったことがあるのかもしれない。
「だからって転生して――」
「疑似な。わらわの本体は別の場所で眠っておるし」
「疑似転生して村人に交じって生活するなんておかしいじゃない」
魔法に精通しているキテラは、龍神の話を一番信じられないでいた。
疑似転生。自分の魔力を使って人間の肉体を作った挙句、子供として振舞っていた。村人に混ざりジャハムの肉体年齢である五年ほど生活していたのだ。
普通ではありえない。どう考えても禁忌魔法のオンパレードである。需要がないので考えたことはないが、仮に禁忌ではなかったとしても消費魔力は莫大だろう。
「わらわが守っておるんじゃぞ? ちゃんと不満がないか調べねばならんじゃろが」
「そういうものなのですか?」
同じ権力者としてイオアネスが興味を覗かせた。
下々の気持ちを理解しなければならないという考えには同意だ。そう考えると身分を隠して民衆に紛れるというやり方にも合点がいく。一つ違うとすれば龍神は元々人間ではないというだけだ。
「あのとき雰囲気が突然変わったのも、龍神が顔を覗かせたからか」
「龍神ではない。わらわはゲヘナじゃ」
サンが納得したように剣を収めた。全員が龍神の所業に呆れこそすれ戦闘意欲は削がれていると感じたからだ。
龍神改めゲヘナが不満げに名乗った。もしかしたら神と呼ばれたくはないのかもしれない。
「ねえゲヘナ」
「なんじゃ人間」
サンに倣って琥珀も剣を腰に差す。
「君が転生したってのは分かった。人間に混ざりたいというのも共感できないけど理解はできる。でも」
「でも?」
「ジャハムはどうなるの? 話し方も仕草も雰囲気も全部違う。君とジャハムは別人でしょ?」
龍神の儀式は琥珀たちが予想していたものとは違った。ジャハムはゲヘナの一部らしいから不幸になる少女もいなかった。
だけど琥珀たちに笑顔をくれた無邪気なジャハムと目の前の少女は別人だ。見た目以外のすべてが変わってしまっている。
「そりゃあ別人と捉えられても仕方なかろう。ついさっきまでこの体にわらわの記憶はなかったんじゃから」
「どういうことなの?」
「簡単じゃ。人間に交じるにもわらわの記憶は邪魔をする。じぇねれーしょんぎゃっぷとか色々あるんじゃよ」
龍神として千年間君臨しているがゆえの弊害。
ゲヘナは人間とは違う時間軸で生きている。興味があるからと混ざりこむには価値観も感覚も何もかもが異なってしまうのだ。
そのため記憶を少女の体、ジャハムにはあえて持ち込まなかった。どうせ常識知らずなのは変わらない。それなら初めから記憶がないほうがまだ打ち解けやすいと判断した。
「だから最初からこの肉体には記憶を持ち込まなかった。村人は儀式と言うておったじゃろう。内容は教えておらぬがせっかくじゃ。誤解を解くためにも教えてやろう」
ゲヘナはなんてことない顔で、儀式が行われるまでの間琥珀たちが調べていたのにもかかわらず答えが見つからなかった内容をあっさりと打ち明ける。
「この肉体にわらわの記憶を持ち込む。それだけのことなのじゃ」
そしてそれはこの肉体が村人たちとのかかわりを断つことを意味する。
人間と同じ価値観を捨て、村人たちの前には二度と現れない。だからこそ儀式であり生贄と呼ばれているのだ。誤解ではあるが、わざわざ解く必要もないとゲヘナは考えていた。
「ちなみにわらわが転生した肉体じゃなければ記憶は持ち込めぬからな。千年もの記憶が普通の人間に入るわけないのじゃから」
「じゃあゲヘナは儀式と称して転生した自分を体よく処理していたってわけ?」
「言い方は悪いがその通りじゃ。わらわが飽きたから体を捨てる。一応わらわの一部じゃからな。爪先にも満たぬ力でも回収しておく必要があるのじゃ」
ゲヘナの力、龍神の魔力で造られた肉体は神造兵器に匹敵する。悪用すれば人間社会など平気で揺るがすのだ。不必要だからと簡単には捨てられない。
「そう、なんだ。早とちりしちゃったな」
ゲヘナの話通りなら、琥珀たちは早とちりした挙句愚かにも色々な配慮をしているゲヘナの邪魔をしているだけだ。
そう考えるととたんに恥ずかしくなった。戦う覚悟はできていても辱められる覚悟はまったくしていなかった。
「誤解は解けたな? では今度はわらわが質問する番じゃ」
よっこらせっと年季を感じさせる掛け声でゲヘナは正座を崩して立ち上がった。
「よそ者がどうしてここにいる?」
「っ――」
言葉は静かに、表情は穏やかに。
だけど琥珀は全身の肌が総毛立った。反射的に腰の剣に手が伸びる。
「凄い、殺気だ。手が震えてくる」
「幼子でこれとは、本体とやらはどれだけ強烈なのでしょうね」
気圧されているのは琥珀だけではないようで、サンとイオアネスも冷や汗を流しながら軽口を叩く。
「茶化すな答えろ」
ゲヘナの口調に苛立ちが混ざり、サンとイオアネスは息を呑んで黙り込む。
「僕たちは旅をしています。この村には立ち寄っただけです」
声がちゃんと出ているのか不安になる。
琥珀は初めて感じる明確な恐怖に声を震わせながら、それでも言葉を振り絞る。
「ほう? 戦いの装いで、一体どこに?」
「魔王城です。僕たちは魔王を倒す旅をしています」
琥珀が簡潔に答えると、周りの空気がさらに重たくなった。クリスと琥珀がたまらず膝をつく。膝をついていない三人も表情には玉のような汗が滲んでおり、耐えているのは明白だった。
「――そうか。アダムの差し金じゃな?」
声は何一つ変わっていないはずなのに、ゲヘナから溢れ出る圧に屈してしまった琥珀は言葉が耳に入るだけで眩暈がした。
「ならば帰すわけにはいかぬのう。わらわのことを話されてはかなわぬ」
「なんで、なの?」
「決まっておろう? わらわがアダムの敵でかつては魔王と共に戦った間柄だからじゃ」
「何?」
今度は琥珀たちの瞳にゲヘナに対する敵意が宿る。
今なんと言った。聞き間違いじゃなければ、魔王の仲間だと言わなかったか。
琥珀は震える膝を手で押さえて立ち上がる。敵なら倒さなければならない。目の前にある小さな体の大きすぎる障害も魔王を倒すためには越えねばならぬのだから、怖気ついてはいられない。
そもそも龍神を倒す覚悟は決めてきたのだ。ここで諦められるほど琥珀の諦めはよくない。
「この肉体ではどうしても気が進まぬじゃろ? わらわも全力で殺したいからな。本体で戦ってやろう」
そう言い残してゲヘナの体は靄となって消えた。まるで魔物を倒したときのようだ。魔物もゲヘナの肉体も同じ魔力で造られているので当然といえば当然なのだが。
ゲヘナが消えてすぐに儀式場が揺れ始めた。
「何よこれ!?」
「どうしたのキテラ!?」
「膨大な魔力が近付いてくる! ちょっと嘘でしょ。今まで見たことないサイズよ!」
地震かと思うぐらい激しい揺れに耐えている琥珀は、キテラの言葉に顔を青くした。
この地震がゲヘナによるものだとしたら、近付いてくる魔力が誰のものなのかすぐに理解できた。
「ああ。影が見えてきたよ」
サンが四つん這いになりながら明後日の方向を見ていた。つられて琥珀も同じ方向に視線を向けて言葉を失う。
「何、あれ」
「山よりも大きいの」
「これは、骨が折れそうですね」
全員の視線は空へと向けられていた。
遠くからゆっくりとした動作で近付いてくる影。おかしいのはそのサイズだ。遠近感がくるってしまったとしか思えない。琥珀の背丈より何倍も大きな塀を易々と飛び越えた影はどう見ても塀よりも大きい。
「アダム様に並ぶというのも納得ですわ。わたくしたちが予想していた儀式ではなかったのですし、帰りましょうか」
「逃がすと思うか? このわらわが」
影、漆黒の巨大な龍があぎとを開く。
声だけで琥珀たちの肌がビリビリと震える。儀式場全体も振動していた。
「ですよね。コハク、当初の予定通りです」
「龍神を従わせる。力づくでね!」
琥珀は剣を勢い抜き放ち、四人も各々の武器を取り出して構えた。
敵は山より大きい。だからどうした。覚悟ならとっくに決まっているぞ。
「ただの人間がわらわを従わせる? 愚かにもほどがあろう」
「ただの人間じゃない。ボクはコハク! 魔王を倒すために世界を渡った勇者だ!」
魔力を全身から迸らせた琥珀が、儀式場の床を破壊して神の一柱に跳びかかった。




