第四章十六話「意識」
小さな村を最低限の水準まで鍛え上げた琥珀たちは旅を再開し、今は森の中にいた。すっかり日は落ちて暗闇が支配している。明かりとなるはずの星は木の葉に遮られているからだ。これ以上無理に進むのは危険である。
「じゃあボクは見回りに行ってくるね」
日が落ちたことで野宿が決定し思い思いに寝る場所を選んでいると、琥珀が腰の剣を確認してから手を振った。
「ちょっとコハク? アタシがいるから大丈夫よ?」
「ううん。キテラの索敵に引っかからない敵がいる可能性はゼロじゃないから」
普段ならキテラの魔力探知で常時索敵しているため、魔物はもちろん盗賊に襲われる危険性も少ない。
しかし可能性が低いだけでないわけではない。琥珀の言い分も一理ある。
いつもならよっぽどでもない限りしないと言うだけで。
「待ちなさいよ、もう」
キテラが止めようとしたときには時にすでに遅く、琥珀の姿は茂みの奥へと消えていた。
「怪しいの」
「そうね。イオアネスは何か知ってる?」
「どうしてわたくしに聞くのですか?」
クリスが目を細め、キテラも同意してイオアネスにたずねる。
イオアネスの声はどこか冷たさがあった。
「そりゃあイオアネスが一番仲がいいからよ」
キテラはイオアネスの態度に首を傾げながら、真っ当な理由を答える。
琥珀が世界を渡ってから一番長い間近くにいるのはイオアネスだ。琥珀の事情のほとんどを知っているのは間違いなく王女様だ。
「……わたくしも知りませんわ」
イオアネスはキテラの視線から逃れるようにして顔を逸らした。
「ますます怪しいの」
どうみても事情を知っているであろうイオアネスの態度に、クリスの目はますます細まった。
「まあ、いいじゃないか」
「サン、知ってるの?」
クリスとキテラがはてと首を傾げていると、苦笑しながらサンが話に参加してきた。
少なくとも自分たちより付き合いが長いサンに、クリスは琥珀の異変について質問する。
「いいや、僕も知らない。だから話を聞いたほうがいいと思うけどキテラは?」
「癪だけどサンの言うとおりね」
何よ使えないわねという言葉は最年長らしい冷静な提案によって飲み込まれた。
サンの提案に、キテラは不服を露わにしながら頷く。
いや考えてたから。ちょっと喉から出なかっただけで、普通に頭の中にあったから。
キテラは誰にともなく頭の中で言い訳して、虚しくなってすぐにやめた。
「誰が話を聞きに行くの?」
「クリスが一番慣れているんだろうけど」
「ダメよベラベラ話すじゃない」
「そんなことないの!」
サンの提案を今度は当然じゃないっとばかりに却下するキテラ。
突然自分の勤務態度を貶されたクリスが断固抗議だと声を荒げる。
「僕はダメなんだよね?」
「当然。サンなんかにコハクは任せられないわ」
自分を指差して苦笑するサンにキテラは堂々と頷いた。
この朴念仁に可愛い可愛い琥珀のお悩み相談をさせるわけにはいかない。いくらなんでも琥珀がかわいそうだ。
「じゃあ頼んだよ」
「キテラに任せるの」
「任されたわ」
事実を隠そうとするイオアネスにも頼れない以上、消去法で琥珀の様子を確認できるのは一人しかいない。
キテラはトンと自分の豊満な胸を叩き、堂々とした足取りで琥珀の後を追った。
「否定しないでとかっこつけたのはいいんだけど」
琥珀は真っ暗となった森の中を一人で歩いていた。
地面には根が張っていたりこぶし大の石が半分埋まっていたりと足場環境は決していいとは言えない。だけど琥珀はそんな悪路を暗闇でほとんど見えていないにもかかわらずスイスイと進んでいる。
半年以上も旅を続けているのだ。自然と足取りも悪路に適応してくる。
今の琥珀なら元いた世界の整備された登山道ぐらいなら鼻歌交じりで駆け上がれるだろう。
「困ったなあ。意識しちゃうや」
「何を意識するわけ?」
「うわっ!」
近くに誰もいないと思っていた琥珀は、独り言に反応されて大げさなぐらい飛び退った。
「き、キテラ。どうしてここに?」
自分で自分の肩を抱いた琥珀は震えた声で紅蓮の魔法使いを指差す。
余談だが、琥珀はホラー番組を見れない。
「魔力の探知よ。アタシしか使えないけど」
震える琥珀に呆れて肩をすくめるキテラは、片目を閉じて答える。
「そっか。凄いね魔法使いは。なんでもお見通しだ」
「バカにしてる?」
「してないよ」
琥珀は苦笑いを浮かべて否定する。だけどキテラに疑わしげに睨まれた。
「それよりどうしたの? 珍しく落ち着かないみたいだけど」
「そっそうかな?」
「ええ。まるで初めて出会ったときみたい」
「あのときは色々慣れてなかったんだから仕方ないよ」
キテラが仲間に加入したのは一番後、クリスよりも後だった。
だというのに、だからこそかキテラは当時の琥珀を誰よりもよく覚えていた。
どう見ても笑顔。誰にでも微笑む優しい態度。
しかし実際は誰にも頼らず親しまず、ずっと殻の中に入っているように感じた。本心で笑っているとは到底思えなかったのだ。
本心を見せるようになるまで三ヶ月、他人に心配させるぐらいまで動揺したのは今回が初めてだった。いつもなら微笑みながら一人で考え込んで一人で解決していただろう。
「誰にも言わないって約束してくれる?」
だから琥珀に頼られるとは夢にも思っていなかった。
「もちろん。アタシの口の堅さは知ってるでしょ?」
「色々と隠し事の多いキテラだと説得力が違うね」
トンと自分の胸を叩くキテラは、トゲのある琥珀の言葉を聞こえていないフリをした。
どうしてキテラの魔力量が多いのか、そのギミックはまだ誰にも教えていなかった。
「イオに告白されたんだ」
「告白? 盗み食いの経験があるとか?」
今さらどんな懺悔をするのだろう、しかも懺悔を聞き届ける本職もいるのにとキテラが首を傾げる。
「違うよ。気持ちのほう」
「へっ? へえ。ホント? あのお姫様が? ふうんそうなんだ」
予想外の方向に訂正され、キテラの目に好奇の色が浮かぶ。
出会った当初の琥珀ほどではないがイオアネスも面の皮が厚いほうだ。しかしまさかそんな想いを抱いていたなんて、まったく気付かなかった。
「キテラ」
「ああゴメンゴメン。別にバカにしてるとかじゃないから。ちょっと意外だっただけ」
琥珀に目で責められて、キテラは咳払いをして頭を下げる。
世間一般では同性愛の婚約は認められていない。しかしキテラは俗世を離れて魔法の研究をしてきた人間だ。忌避したり罵ったりするつもりはない。
「なるほどね。大体分かったわ」
「うん。キテラの予想通りだと思うよ。笑うつもりはないんだけど顔が合わせづらくって」
琥珀の顔は暗がりでも分かるぐらい真っ赤になっていた。
自分の想いを判断ミスと悔やんでいたイオアネス。琥珀は同じ恋する立場として、そんな彼女に間違ってなどいないと断言した。
断言したからこそ合わせる顔がなく、こうしてできる限り距離を取っているのだ。
「気にする必要もないと思うけど」
「気にするよ! 告白だけでも経験ないのに友達からだなんて」
琥珀は前の世界でも誰もが惚れるほどのイケメン美少女であり、誰彼構わず優しく接する性格であった。
そんな彼女に想いを寄せる人間は数知れず。だからこそ、周りの人間は彼女を高嶺の花と見ていた。誰も告白する前から自分では無理だと諦めていたのだ。
誰からも諦められていた琥珀は当然告白もされなかった。それどころか不自然なほど距離を取られて友達も少なかった。一緒の昼食を鬱陶しそうに、けれども必ず一緒にいてくれた人物など一人しかいない。
「まあ、そうねえ」
琥珀に告白された経験がないとは到底思わなかったが、もしかしたら本人が気付かなかっただけかもしれないと思い直したキテラはあごをさすって考えを巡らせ始める。
「コハクはなんて答えたの?」
「今はまだ答えられないって言ったよ」
「なるほど。先延ばししたわけだ」
「うぐぅ」
先延ばしと言われると、反論のしようがない琥珀は小さく唸るしかない。
「それなら余計とコハクはいつも通り行動しないといけないと思うわ。あくまでもアタシの意見だけど」
琥珀が反論できないのをいいことに、キテラはため息交じりに持論を展開する。
「コハクが意識すればするだけイオが傷つく。そうは思わない?」
「それは……」
琥珀がこのままギクシャクしていれば、普段通りとはいかなくなる。日常を壊した原因は告白したイオアネスにある。彼女が何も思わないわけがない。
「自分が想いを伝えたばっかりに大切な人を困らせてしまった。イオが気にしないと思う?」
「思わない」
きっとイオアネスはこう思うだろう。やはり自分の想いは間違っていた。だから琥珀を困らせているのだと自責の念にかられるに違いない。
その考えこそが間違いだ。だけど今の琥珀の態度では説得力がない。
「じゃあコハクも気にしないこと。考えることを放棄しろってことじゃないわよ?」
「うん。分かってるよ」
ならば彼女の気持ちを理解した上で普段通りに接すること。答えを先延ばしにしているのならなおさらだ。
「でも――」
「何? まだ何か問題があるわけ?」
「これはイオにも言ったんだけど、実はボク、帰るかどうか悩んでいるんだ」
ついでとばかりに琥珀はもう一つの悩みも口に出した。
「はぁっ? アンタの大切な人がいるんでしょ?」
「いるよ。でもこの世界にも大切なものがたくさんできた」
その言葉だけで琥珀の考えをすべて悟ったのか、キテラは頭を抱えた。
「クリスがいないから遠慮なく言うけど、アダムのせいでボクはこの世界に来た。帰る方法はアダムしか知らないんだ」
「そうね。世界を渡る魔法なんて聞いたことがないもの」
魔法を数多く習得し、さらに多くの魔法を知っているであろうキテラでも神の所業は聞いたことがないという。
予想通りの言葉だったので、琥珀はキテラには反応せず話を続ける。
「そう。世界を渡る魔法は存在しない。つまりボクが帰った後、この世界に戻ってくる方法もない」
「そう、なるわね」
「アダムは世界を渡るときに元の世界にいたときのボクの記憶と記録を抹消したって言ってた。必要ないだろうとか言ってね」
忘れない。忘れられるはずがない。
召喚されて世界を渡った日の晩、帰るための希望をチラつかせて自分の要求を通そうとした最低な男のことを。
「つまり元の世界に帰れば」
「勇者コハクのことを覚えている人はいなくなる。当然、イオもキテラも」
「そんなの、許せるわけないじゃない!」
キテラはたまらず怒鳴り声をあげた。
ふざけるな。それではまるで、魔王を倒すためだけに琥珀はこの世界に来たようなものではないか。
しかも本人の記憶にしか残らないのでは感謝のお礼を言うことすらできない。誰にも気取られない暗殺者と言えば格好もつくが、要は使い捨ての道具にされるに等しい。
「うん。だからボクはアダムが嫌いなんだ。でも悔しいことに悩む時間はたくさんある」
アダムがそこまで考えていたとしたらとんだ策士だと顔面をぶん殴ってやりたい。
「鳥羽君かこの世界か、選ばなくちゃならないんだ」
世界を渡れば圭太を救える。深く絶望している彼を止められるかはやってみなければ分からない。だけど魔王を倒すよりは簡単なはずだ。
琥珀がこの世界に残れば魔王を倒した勇者として名声を手に入れられる。それに共に死線を潜り抜けた仲間たちと一緒に。
できることなら両方の未来が欲しい。だけど選べるのは一つだけ。しかし確実なのはどちらの未来も魔王を倒した先にある。言い換えればアダムの要求を果たした先にあるということだ。
「じゃあアタシが作るわ」
「作る?」
「新しい魔法をよ。自由に世界を渡る魔法を必ず作ってみせる」
琥珀が首を傾げてキテラを見る。
彼女の瞳は森の木々をすり抜けた星の明かりによって輝いていた。
「世界を渡るのは禁忌だって言っていたよ?」
「今さらよ。それに、禁忌の代償を支払わない裏道もある。不可能じゃないわ」
代償を補えるだけの魔力を集めれば良い。簡単な話だ。
勇者であろうと魔王であろうと神ですらも代償を補填することはできなかった。おそらく世界中の全魔力を集めたとしてもまだ足りないであろう魔力が必要になることを除けば、簡単なのだ。
「……そっか。うん。キテラなら信じられるよ」
キテラほど魔法に詳しくない琥珀でもアダムですらできなかったことがどれだけ大変なことなのか理解している。
「じゃあお願い。ボクのために、新しい魔法を作ってね」
理解した上で、琥珀はキテラの言葉を信じて頭を下げた。それが一度しかできなかったとしても、どれだけ時間がかかろうとも、きっと叶えてくれると信じたかったからだ。
「任せなさい。アタシの名にかけて、コハクを助けるわ」
勇者の願いを聞いた紅蓮の魔法使いは、力強く自分の胸を叩いた。




