043 タクト・ディド・ラクラウ
ディド視点。ちょっと長めです。
あと色々、本当に色々出てきますが、これ以上は先々の話にて。
前話を受けての話になりますので、順に読んでくださればと思います。
ラクラウ氏は、大変残念な人です。
(1/6:前話にて、大量に加筆しています)
数百年越しの古い友人であり中央図書院の院長であるアリストルが、長期休暇などと戯言を口にして本当に図書院へ姿を見せなくなってから半年以上が経過した。
確かに、まとまった休みなどおよそ二十年ほどはなかったようにも思うが、随分思い切ったことをしたものだと、副院長――タクト・ディド・ラクラウは、書庫内の仕事を中断する意思もなく泣き言を並べる扉の向こうへ視線を向けた。
なんでも、アリストルがいないので自分が確認をしなければならないものがあるのだとか。
だが、短い周期で考えればアリストルがいないことなど珍しくもない、とディドは思っている。面倒な案件で図書院を留守にすることは、年のうちに一度や二度はあることだ。単にそれが長くなっただけだろう。
そのくらいで動揺するなど、経験と訓練が足りないのではないだろうか。
ああなるほど、アリストルはこうして不足しているそれらを彼らに与えているのかもしれない。ならば、自分の助力は最低限で良いだろう。余計な干渉はかえって悪影響だ。
無言のうちに結論付けたディドは、その結論に従って行動した。
最重要のもののみを、隣の雑務室へ積んでおけ。後で確認をしておく。
そう告げて手元の古書へ視線を戻す。
古書とはいっても、ただの書籍ではない。魔道書だ。
図書院でのディドの専門は、古書の修復と管理である。
一般の書籍なら状態に合わせて『修繕』、もしくは『原状回復』をただ唱えれば良い。
だが、魔道書の修復となると、多くの場合書籍そのものにかけられている法術があり、その術式を読み解きながらそれすらも修繕していく必要がある。それを無視しようとした若手が妙な呪いをかけられそうになったのは、まだ記憶に新しい。
古くなればなるほど、既存の法術は複雑に絡みそして溶け合う。
数百年にも及ぶ経験から、ディドはそれを解きまた復元させる術を身に付けているが、それでも慎重さを求められることに違いはなかった。
扉の向こうの声を完全に黙殺してしばらく後、満足げに目を細めたディドはようやく『原状回復』を詠唱する。
文字の擦り切れかけた古い魔道書が、わずかに光を帯びる。
魔力の淡い名残も消えた書籍を持ち直し頁をめくって、ディドは再び満足そうに頷いた。そうして次の古書を取り上げようとした時、アリストルが残していった魔道具が反応していることに気付いた。
「……アリストルが保護した幼子に異変?」
置物に偽装した魔道具に浮かぶ伝言を三度読み返し、ディドは眉間のしわを深くする。
「幼子に異変、だと?」
聞き捨てならないことを寄越してくるものだ。
このような閉鎖的な環境にいるため、ディドが成人以外と接する機会は少ない。中央教学院の学生が図書院を利用していないわけではないが、研究生に毛が生えた程度の駆け出しが彼の専門とする古書を参照することなど滅多にないのだ。
しかし彼は森人である。
森人はそれほど社交性の高い種族ではないが、長命種の常でもある出生率の低さから相手種族を問わず幼い子供を庇護する傾向が強い。それはもう、森人の特性といっても良いほどだ。
ディドの周囲に子供はいない。
それだけに、幼子の危機に触れて黙っているわけにはいかなかった。
「アリストルは何をしているのだ!」
傍にいながら、みすみす幼子が危機に陥るままにしておくなど!
こうしてはいられない、とディドは魔道具を操作する。手に取りかけた古書も扉向こうの部下も全て放置して、ディドは緊急時用にと教えられていた転移の魔道具を迷わず作動させていた。
――アリストルが養女を迎えていたという話は驚きだった。
しかも、ただの庇護、養い子ではなく正式に契約を結んで養女にしたとは。
「竜人の契約のためには、特殊な契約書を作らねばならないと聞く。長老たちがよくお前にそれを委ねたものだ」
「私の妨げになるものがあるはずないだろう?」
「………」
穏やかな声音の奥にわずかな険が隠されているのを、ディドは付き合いの長さから察する。
何やら妨害しようとして排除されたものがいるな、ということも含め。
この「部外者には我関せず」が定番の友人がそこまで骨を折る幼子とはいったいどのような事情なのか、そう思い少々尋ねようとして――気付いたら、いつの間にかすべての事情を知らされていた。
「完全無属性の、世界転移者、だと……?」
「君もさすがにこの事例は初めてだろうね」
「……当たり前だ」
しかも、未知にして有用な知識を数多に抱えているなど。
そのようなことが知れ渡った日には、世界中、少なくとも中央院と各国の上層部は錯乱するに違いない。そしてきっと、浅慮な輩がその幼子を手中にせんとしてこの友人夫婦が容赦なく暴れまわるのだ。
なんて恐ろしい。
(私はいつの間に、ここまで重い事情を押し付けられているのだろう)
ほんの少し事情を聴くことができれば良かったのだが。
話を聞き終わると口を開く気力もなく、書斎の椅子に身を沈めて額に手をあてたまましばらく動くこともできない。
そう、これは否応なく巻き込まれる展開だ。間違いない。
「というわけだよ。君には、ミアの魔力抑制に力を貸してもらいたい」
「…………」
「私の可愛い娘のために、協力してくれるだろう?」
「やぶさかではないが」
「が?」
「いや、無論協力はするとも」
硬質な声音に問い返され、ディドは慌てて肯定の意思を示す。庇護が必要な娘が居ることに変わりはないのだ。拒絶する謂れはない。
それは良かった、と恐ろしいほどにこやかな友人に連れられ書斎を出る。
もちろん、幼い……幼いのだろう娘の危難の助けになることは嬉しい。同時に、この友人が珍しく執着をみせる存在の危機への対応が遅れた場合のことを考えると、それもいただけない話だ。
これは迂闊なことができない、そう気を引き締めながら夫婦に案内された先の混沌に唖然とするのも、またすぐこの後の話だったが。
一通り必要な話し合いと行動を終え、ファミアーシュを連れてアセアルドが退席した後。
驚きに一旦緩みはしたものの、ディドの眉間のしわは、先程の会話を思い出してこれ以上ないほど深いものになっていた。
「うふふ、ディドを呼ぶ時のミアが微妙に舌足らずなのが可愛いわよね。それだけでもディドを呼んだ甲斐はあったわ」
惑乱するディドを余所目に、メリアーシュはとんでもない方面でご満悦である。
否定などしない。まぎれもなく愛らしい。自分に向けられているところなど尚更だ。
だが今は、それより大事なことがある。
「メリアーシュ。裏山とはなんだ」
「アイルが訓練という口実で、裏のカーミズ山へミアを連れて入ってるの。実際、少しずつ体力はついてるみたいだから役には立ってるみたいよ?」
「あ……あのようなか弱い身が、霊峰でアセアルドの訓練を受けているだと?!」
「そこは、ある程度内容を考えているみたいよ」
「アセアルドに手加減などできるのか?!」
夫婦の息子が独り立ちする前、彼に剣術の手ほどきをしたのは実はディドである。
森人は法術だけでなく剣術や弓、体術に秀でた者も多い。森人最大の居住地周辺に魔物が多いことから血統的に武術に優れた者が生まれやすいこともあるのだが、ディドは人間社会に出た後もしばらく実戦で技量を磨いていたから、冒険者を志していたアセアルドにとっては良い指導者であったようだ。
当然、教え子の技量についても些か詳しい。それだけに、不安も感じているようだ。
「あの子にとっても大事な妹に、怪我させるようなことするはずないでしょ」
「信じられん」
「心配しなくても、あの子が独立した頃よりずっと腕を上げてるわ。この間腕試しをしたから間違いないことよ」
呆れたような困ったような表情を浮かべ、メリアーシュがため息を吐いた。
彼女がそういうのなら間違いではないのだろうが……それにしてもだ。
「そもそもあの体格差では、訓練そのものが不適切ではないのか」
「直接手合せするようなことはしてないわよ。もうっ、何がそんなに心配なの?!」
「私はただ、あのような脆弱さでアセアルドについていけるのかと……」
握っただけで折れそうな手足をしていたではないか!
ベッドの上でまるきりクッションに身体を埋めるようにしていた少女のことを思い出し、ディドは眉を跳ね上げた。
あんなに小さい生き物など、あのアセアルドが触れただけで壊れるのではないだろうか。
ディドは唇を曲げつつ、短く唸った。
が、庇護者本人であるはずのアリストルは、そんなディドにどこか面白がるような視線を向けてくる。
「怪我の心配をしてくれるのは嬉しいけれど、君を知らない者が聞けばミアの未熟が原因で訓練に反対しているのかと思ってしまうよ」
「反対であることはある意味正しい」
いくら精神は一度成人しているとはいえ、あのように庇護の必要な幼い身体では持ちこたえられないのではないか。
そもそも、三十にも達していないなど、竜人でも森人でもまだまだ子供のうちではないか!
ならば、もっと平坦な場所での訓練を……いや、それももっと体つきがしっかりしてから始めても良いだろう。
会話を交わしただけで聡明なことはすぐにわかった。
書字法術の才能も素晴らしいものがある。
座学が優秀であるなら、特に今から体力を伸ばさなくても……それでは病に打ち勝つ力は養えないか?
ならば、風にもあてぬよう大事に育てれば良いのだ。その間に少しずつ体力をつけさせればよい。
もちろん教育は厳しく施すとも。怠惰は許されない。だが、本人に勤勉の資質があるなら強制せずとも自ら伸びてゆくだろうに……。
ディドは一人考え込みながらむっつりと黙り込む。
そうしていると、気難しい気配がさらに重さを増していく。考えていることは気優しいを通り越して過保護なくらいのはずなのに、この雰囲気と言葉足らずがディドの周囲から小動物的な生命体を遠ざける一因になってしまっている。
気遣えば気遣うほど、好ましいと思うものから遠巻きにされてしまう。世の中ままならないものだ。
もっとも、これだけ過保護すぎる意見には、ミア自身は全力で「結構です!」と叫んで逃亡すること請け合いだ。
「これらはミアが望んで受けている教育だからね。私たちが干渉するのもどうだろう」
アリストルは、さも楽しそうにクスクス笑いながら釘を刺してきた。
しかし、小首を傾げディドを見つめるあの黒瞳の無垢さを思い起こすと、必要と思わされている可能性も――だからそう、厳しい気配で追い打ちをかけるなというのに。
まるで、ディドが何を考えているかなど見通しているような……実際見通しているのだろうが。
アリストルとの付き合いは、長さだけでいえばメリアーシュ以上になる。この男なら、その程度のことはできるだろう。
ディドは唸りながらも不承不承、同意の頷きを返した。
「……本人が望んでいるなら、致し方ないか」
「そうよ。それに、いい加減アイルのことも一人前として認めてあげなさいな」
「認めている」
「それにしては、まだ少し過保護が抜けないような気もするけど?」
呆れ気味に呟きはしたものの追及はせず、苦笑とともに肩を竦めたメリアーシュが夕食の支度をすると告げて部屋を出て行った。
少々遅れたが、ディドも黙ってそれを追うように部屋を出る。
窓のない小部屋から廊下に出ると、大きく取られた窓から差し込む光が些か目に痛い。
手をかざし目を慣らしていると、背後で静かに扉が閉まった。振り返ると、片付けを済ませたアリストルが最後に廊下へ出るところだった。
この部屋もよく考えると多数の驚異的な技術で整えられているな、とやや疲労を感じながら閉められた扉を眺めていると、アリストルの視線を感じる。
「なんだ」
「来てくれることは確信していたけれど、実際君が来てくれて助かった」
「あのような言伝を寄越されて、私が動かないとでも思ったか」
「いいや、全く」
「それを白々しいというのではないか?」
「そうかもしれないね」
ゆっくりと一歩先を進みながら、アリストルがひっそりと笑みを漏らす。
そもそも、この男が娘を愛おしむ父親の姿を見せていることにこそ、ディドは驚いたものだが。
「アセアルドの時には感じなかったものだがな」
「一般的にも、息子と娘では多少違うらしい。たしか、私より強い男でなければ嫁にはやらない、だったかな」
「……お前は」
頭痛を覚えて己のこめかみを叩く。
「あの娘を、生涯清い身で過ごさせるつもりかっ!」
人の身で誰がこの男に勝てるというのだ?!
いっそ、属性神か神話の中の月神でも連れてこなければならなくなるだろう!!
そう唸れば、友人は軽く目を瞠り小さく笑い始めた。
「なるほど、それはそうかもしれない。……まあ、好き合った相手で、私たちが認められる相手なら許しても良いと思っているよ」
「笑えぬ冗談はよせ」
「冗談、か。しかし、世間一般の男親が抱く感情というものは、多少理解できたような気もするよ。なるほど、確かに娘に害なすものは八つ裂きにしてしまいたくなる」
ふ、と息を吐くように笑った男の瞳はどこか冷たく冴えていて、八つ裂きにしたいと思った相手がいたのだな、とディドはうすら寒いものを感じた。
「それをあの娘が望むでもなかろう」
「知っているよ。だから、そこまではしなかった」
「そこまでではないことは、したのだな」
「当然だろう。ミアに苦痛を与える存在を許すはずがない。あの子は幸せでなければならない」
「………アリストル?」
幸せで――なければならない?
その表現は、おかしいだろう。
何気なく問おうとしたディドは、立ち止まった友人の気配にわずかな疑念を抱く。一度伏せられた視線がゆったりと上げられ、ディドのそれと交差する。
青褐の瞳はいつもと変わらないように見えて、いや、どこかあまりにも……澄み過ぎている。
幸せであることは責務か?
いや違う。
幸せであることは「負う」べきものなどではないはずだ。
この男に何かを問わねばならない。
形になりきらない思念を追い続け、ディドはかろうじてそれ《・・》を掴みかける。
「アリストル、お前はあのようなか弱い娘に――何を求めているのだ」
「私が求めるものは何もない。私の娘として幸福であれば良いと思っている、それだけだよ」
「それがお前の望みか」
「私は望まない。その意味が、君にはわかるだろう」
「アリストル?」
「ディド、私は望まない《・・・・・・》。全てミアが望むままだ」
視線を窓の外へ向けつつ確固として二度繰り返された言葉に、ディドの顔色が変わる。
普段通りに穏やかな声は、しかしどこか異質で――そう気付いてしまえば、どこまでも感情の揺らぎのない声音。聴き手によっては、そこに感情が介在するかすらわからないほど透徹な響きでもあった。
暖かな日差しの下にいながら、周囲の空気が一気に凍りつくような錯覚を覚える。
確かに、その意味をディド・ラクラウは知っていた《・・・・・》。
全てではない。だが、おそらくは伴侶たるメリアーシュよりも、アリストルについて多くのことを理解している。
少なくとも、アリストルの言葉の重さを悟るほどには。
「お前は、何を……っ?!」
「忘れているようだが、タクト・ディド・ラクラウ」
触れればその身を斬り分けるだろうほど、研ぎ澄まされた鋭さの潜む呼びかけ。名を呼ばれた男は、激昂しかかった感情に冷水を浴びせられたかのようにその場に立ち尽くした。
背を向けたままの竜人は長きにわたる友のはずだが、異名の通り深淵のように落ちる影はまるで見知らぬ誰かのようで、ディドは続くはずの言葉をじっと待ち受けるしかない。
だが、深淵を感じたのもほんの一呼吸。
吐息ひとつ。
それだけで、わずかに気配が変わる。
肩越しに振り返った友は、纏う空気だけでかすかに微笑んでみせた。
「ミアは、血族の干渉すら超える契約を結んだ私の愛し娘。この血にかけて誓った私たちの末の娘。たとえ世界の全てが覆ろうとも、それだけは永劫に揺るぎのない真実だ」
「………」
「――君が案じる、どんな事由があると?」
逆光に阻まれ、これ以上アリストルの瞳に映るものは読めない。
だが、それがまごうことなき真実であることは、すべての状況が指し示している。
いくつかの懸念を飲み込むと、ディドは大きく息を吐き唇を曲げた。
「それは揺るぎない、のだな」
「そうだ」
「…………」
振り返ってこちらを眺めるアリストルに、もはや疑いの気配は何一つない。
自ら誓約を口にし、また事実血族を超える加護まで与えた娘に、この男が深い情を抱いていることは間違いないのだ。
竜人が自ら望んで結んだ誓約は絶対のもの。感じた違和は自分の関与できない領域のものだったのか――まだわからないことが多いのも確かだが。
「――ならば、私はそれを信じよう」
そう。己にできるのは、その情の深さと積み重ねられる絆を信じることだろう。
「私にできることがあれば言え。力の及ぶ限りは助けになろう」
「ああ、頼りにしているよ」
目を細め嬉しげに微笑む姿はただ、娘のための力を純粋に喜んでいるようにしか見えない。
どうせアリストルのことだ、この男が必要と認めたことには否が応でも助力させられてしまうのだから、考えるのはその時で良いだろう。
それなら、今はそれで良い。
困難など芽吹く日が永遠に来なければ、それすなわち平穏な日々が続くということなのだから。
「さて、私も厨房へ急ぐとしよう。食後のデザートは期待していると良いよ。なにしろ、ミア提供のレシピだ」
「お前が作るのか」
「そうだよ。私が作る菓子が一番だとミアが言ってくれるのだから、私が作らなくてはならないだろう?」
下ごしらえは済んでいるなどと語りながら急ぎ足の竜人は、娘に甘い父親の顔を見せつつどこか自慢げに胸を張る。
これではまるきり噂に聞く……そう、親馬鹿というやつではないか。
千年の齢を越え、今頃になってこれ《・・》とは。
「やれやれ……」
書字法術の使い手であるあの娘は、近いうちにディドと職場を同じくする。
友人の親馬鹿に常時付き合うことになる可能性に困惑しながらも、それはそれで面白いかもしれない、とディドは幼子に指摘された眉間を指で撫でながら淡く微苦笑を浮かべていた。
残念な過保護エルフでした。
仕事内容は見ての通り、引きこもりでもできるお仕事。
あと、部下たちが白目剥いてます。ガンバレ(棒読み)
人物名表記については、ラクラウ氏の感覚に合わせてます。
その他については、ノーコメントということで…




