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少女は白本を抱いて世界を渡る  作者: 柚森 信
四章:新式法術
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038

 


「……ん…」


 意識の端で、淡い光がちらちら揺れていた。

 ゆっくりまぶたを開いていく。柔らかい光は、ここしばらくの間ですっかり意識に馴染んだ弱灯だろう。


「目が覚めたようだね」


 見慣れた天井と穏やかな声に、ぼんやりしていた意識がゆるやかに浮上していく。

 右手から流れ込んでくる暖かさに後押しされ完全に覚醒したミアは、こちらを覗き込む青褐の瞳に隠しきれない安堵の色を見つけた。


「……、…とう、さま?」


「そうだよ。意識はしっかりしてきたようだね」


 包み込む大きな手のひらと暖かな瞳に胸が詰まる。かすれた声を絞り出せば、優しい響きが答えを返した。

 ミアの右手を握ったままトールは溶けるように微笑み、目を細めて頬を撫でてくる。

 触れる指はとても優しくて、ミアはその心地よさを甘受した。

 応えるように空いた手を伸ばそうとして、軽く眉を寄せる。


(動けない……?)


 指先どころか、腕全体が鉛のように重い。

 いや、腕だけではなく全身に力が入らない。サイアニアス到着直後のような痛みがないだけマシだが、これは回復に相当時間がかかるのではないか……?

 無茶をした自覚は一応ある分、それなりのダメージは覚悟していた。しかし、予想以上の状況にミアは眉を下げる。

 寝過ぎていたせい?

 それとも、別の理由が?


「まだ動けないはずだ。おとなしくしていなさい」


(……なんで、そんなことに?)


 内心首を傾げていたミアは、当たり前のように言ってのけたトールにありったけの疑問を込めて視線を向けた。


「魔力枯渇寸前まで行ったのだよ、当たり前だ。君の体調は『逆行』の術式安定と密接に関わっている。今の体調不良は、法術が一時不安定になりかかった反動だよ。

 君は、魔力供給の停止で『逆行』の法術が解除されてしまったなら、という事態を考えてみたことがあるかい?」


「………」


「ミア?」


 トールの口調はどこまでも平坦で、……笑顔に妙に迫力が感じられやしまいか。

 ……あれ?

 父様、もしかして怒って……る?

 笑顔の裏にひんやりとしたものを感じて、ミアは唖然と開きかけていた唇を慌てて閉ざす。

 ふっと目を細め、


「どうやら、私が何を思っているか少しは感じてくれているようで何よりだ」


 思わず背筋を伸ばして最敬礼の姿勢を取りたくなるような、低い声音がトールの唇から滑り出た。

 身体が動くなら、おそらく飛び上がってベッドの上へ正座したであろうその響きに、ミアは小さくこくりと喉を鳴らす。

 ミアへ向けられた青褐の瞳は、優しくも厳しい色を湛えていた。


「たった今君が目覚めるまで、気が気ではなかった。ただでさえ法術師にとっての魔力枯渇は、身ぐるみはがれた状態であるとも言えるのに、完全に魔力がないなど今の君の状態ではそれにも増して危険だということがわかっているのかな?

 『逆行』の魔道具はまだ完全にその制御がなされているとは言えない。もし、すぐそばに誰もいない状態で魔力枯渇に陥ってしまったら、君がどうなってしまうのか誰にもわからないのだからね」


「……」


「今回は、枯渇寸前とはいえ、かろうじて魔道具稼働に必要な最低限が残っていたことと、たまたまメリアがすぐそばにいたことで大事には至らなかったようだけれど……もうこんなことをしてはいけない。わかっているね」


 視線を逸らせない有無を言わさぬ威厳とはこのことか。こんなトールの姿は初めて見た。

 それだけ、今回の自分の行動が何かのかけ違いでは最悪の事態にもなりえたのだろう。

 いつもの笑顔を消したトールが、真顔でこちらを見つめてくる。厳しい視線の奥にあるのは本当にミアを案じているという気遣いだ。だからこそのお叱りなのだとわかっているから、ミアも真剣な面持ちで頷いた。


「ごめ、ん、なさい……」


 何度か呼吸を繰り返し、かろうじて謝罪の声を音として絞り出した。

 こんなありきたりの謝罪しか口にできないこと、そして自分の身体を上手く操れないもどかしさに眉を寄せると、宥めるようにトールの指がそっと唇を撫でる。


「意図的なことではないのだから、謝罪も反省もそれで十分だよ。ひとまず、君が自身の現状を理解してくれればそれでいい。今回のことは事故とはいえ、私たちも予測が足りなかったという反省があるのだから。

 ただ、今の話を忘れてはいけない。いいね」


 言葉は不要とばかりに唇へ指を乗せられたままのミアは、小さく頷き力を込めた視線で意志を伝える。

 ミアとしても、心からの親愛を寄せてくれる『家族』を心配させるのは本意ではないのだ。自殺願望もない。

 咄嗟の行動とその結果を保証するのは難しいが、自ら破滅を招く意図はない。

 おそらく今の課題に魔力制御の訓練が加算されることになるだろうが、今回の結果を回避するためにもできることは全て受け入れ実行するつもりだ。

 真意を探るように青褐が黒瞳を覗き込み――しかし、すぐさま注がれる視線が柔く緩む。


「やれやれ、そこまで力まなくても。けれど、その意気込みは受け取るよ。……こんなに気を揉むような体験はしたくない。私たちも対策を考えよう」


 繋がれたままの手がぎゅっと握られる。

 大きな手のひらに包まれた自分の手は我ながら頼りないほど小さく、自分にできることの少なさを物語っているようだった。

 おぼろな夢の中で『雅』に戻っていた時の感覚を思い出し、ミアはきゅっと唇を噛む。


(仕方ないんだけど、早く大きくなりたいなぁ……)


 そうすれば、今よりは多少はできることも増えるだろうに。

 もっと法術も覚えて、魔力も制御できるようになって……、


(……っ! そういえば、広場はどうなったの?!)


 おろおろと瞳を揺らせば、再び宥めるように指が頬を撫でた。


「街が心配かい?」


 相変わらずの洞察力には敵わない。トールに頷くと、苦笑が返る。


「今は自分のことだけを考えてもらいたいが、仕方がない。

 ああほら、落ち着きなさい。あの後から今に至るまで特に問題はないから」

「……」


 そこで話を終わらされそうな気がしてジーッと視線を固定してみると、ミアの予想通りだったのだろう、困ったように微笑んだトールが小さくため息を吐いた。


「困った子だね、早く休ませようと思っていたのに。このままだと気になって休めない、などと言うのだろう?」


 さすが父様、よくわかってらっしゃる。

 小さくではあるがはっきり頷いた娘へ、諦めを滲ませた笑みを見せたトールが一度ミアから手を放す。

 傍らの卓上から木のカップを取り上げたトールは、もう片方の腕でミアを抱きあげながらベッドへ軽く腰掛けた。

 完全に腕の中へ抱き込まれた状態で、いつものカップを唇へ宛がわれる。小揺るぎもしないしっかりとした腕に抱えられ、ミアは父の胸へ凭れるようにしたまま与えられるものをゆっくり飲み干していく。

 飲まなければ続きは教えてもらえないのだろうと思っていたら、おとなしく中身を減らしていたからか、ミアの頭上でトールの優しい声がこぼれた。


「あの後のことだが。暴走した馬車での怪我人もそう多くはなかったし、君がかばった子も怪我はない。屋台は燃えてしまったが、本人が無事であることと被害が拡大して賠償問題にならなかっただけ良しというところだよ。元凶はさておき――もしかすると、一番の重症者は君ではないのかな」


「……っ」


 うぐっ!

 そ、そうきますか……。

 トールから聞かされる話に安心していたら、最後にちくりと釘を刺されたような気がする。

 いつもの調整用の飲み物を干したところでの投下、というのも娘のことをよくわかっていらっしゃる! 飲んでる最中だったらむせてたよね!

 はい、……本当にすみませんでした。


 カップの中身が空になったところで、ふわりと暖かい気配に包まれる。

 同時にとろとろと眠気がやってくるのを感じて、ああ寝付かされてるのだな、と自覚しながらミアはそれに抗わずに目を閉じた。

 髪を撫でる優しい手に眠りを加速されながら、ミアはいつも通りの穏やかな声をぼんやりと聞いていた。


「これ以上の話はまた明日だ。次に目を覚ませば、今よりも具合は良くなっているだろう。――法術の四種・・同時展開というのも、君から直接確認したいと思っているからね」


 うん、また明日ね。また明日、話を……って……

 は……???

 今、何か自分でも理解不能な単語が聞こえたような気がするん、ですが……?


 物問いたげなミアの気配にか、父の密やかな笑いの吐息が漏れ聞こえたのを最後に、ミアは強い波に抗えないままゆっくりと眠りの海へと意識を沈めていった。


 

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